THE END OF EVANGELIST [まごころを、ディープに] 
ディープインパクトは、(その名に反して)ある意味全き太陽のような存在であった。先のエントリでも触れたようにライターの「言葉」に照らされることもさほど多くはなかったが、それと同様に、ライバルの「負かそうとする意思」に照らされることも少ない馬であったには違いなかっただろう。
ただそれは、実際のところ、騎手が「どう乗れば」ディープのような馬を抑える手立てを講じれるかの問題では、と思う。例えばミハルカスの場合、当日の中山で内の馬場が掘れていたという条件があり、それを活かしたことであのプレーが出来た。馬場がフェアな状況であれば、松本善は悠々とミハルカスを無視して内に入ればよかっただけの話であろう。一方で、もしシンザンがサイレンススズカ的な逃げ馬であったならば、加賀武見はどのようなプランを講じられただろう?ただ、逃げ馬だったならば、単純に「負けてもいいから競り掛けに行く」という選択肢はあったかも知れない。しかし、ディープインパクトのような馬は既に最後方に待機するだけでもう自分の方から先に不利を引き受けた状況で競馬をしているのである。それを解消するためには、無理矢理全馬出遅れてディープを引っ掛けさせるとか余り現実感の無いかたちしか有り得ないであろう。ディープインパクトは合理的な存在ではなかったからこそ「不利を与えにくい」存在になった、と言えるのではないか。
その上で、ディープが現実に敗れた2戦のうち、先行して自滅したのが凱旋門賞であり、乱ペースに仕掛け所を逸したのが05有馬である。あの有馬の敗因はおおよそ、ハーツクライの能力もさりながら、*タップダンスシチーのペースにも拠ったと思われる。何故あの馬がああいう不思議なペースを引けたかと言うと、能力が高くてなおかつ本調子に無かったからであろう。基本的に、逃げ馬は余り意図的に乱ペースを作ることは出来ない。まともな出来でまともに折り合えば、出力されるペースは比較的分かりやすい流れになるものである。それが「気分よく走る」ということであるだろう。それが乱れるのは、先行して競り合ってペースが乱れる場合だが、ディープのごとき追い込み馬がいるような状況で競り合いを選ぶような騎手もそうは考えられず、単独で逃げた馬がそのようになるのは、ある種の逃げ馬的な狂気を秘めるような「質の高い」逃げ馬ではないか、とも思われる。あとは、ミホノブルボン級の逃げ馬がそのまま押さえ切る、という可能性はあるが、そもそもその騎手がミホノブルボン級の馬に乗っていない限りは無理な相談な訳ですし、そもそもミホノブルボンにハナを切らせるのは何ら「工夫」ではない(笑)。
結果として、ディープインパクトは自身のキャラクターとして「騎手の工夫」を余り表現させない馬ではあったと思う。一方で、ダービーのインティライミ佐藤哲三や菊のアドマイヤジャパン横山典弘、JCのドリームパスポート岩田康誠などは比較的「ディープを倒すための工夫」が正当な結果として出力された例として05有馬のルメールと並び称されるべきではないかとも思われる。ただ、有馬に関しては見事に「負かそうとする策」を練った側が軒並みダイワメジャーの演出したスローペースに撃沈した訳だが、ディープの勝利したレース全てで騎手が初めから白旗を上げていたと思うならば、それは明白な失当であろうし、有馬においてすら「倒す」ことを考えていた騎手はいたと有芝は確信する。策がある程度「当たった」例が上に挙げられる程度にあるのならば、「ハズした」策を打った結果何の見せ場もなく着外に甘んじた人馬はもっと多くあるはずなのだから。
詰まる所、ディープは追い込み馬でありながら、「自分で展開を作る」追い込み馬であり、自分で展開を作るA級馬というのはかくも負かすに難いものである、に尽きるのだろう。
そして、ディープインパクトは、そのような名馬の多くに悩みとなった脚部不安に、見事なまでに無縁であった。同様な存在としてはシンボリルドルフがいるが、彼とて宝塚をフレグモーネで回避し、海外遠征のプランに影響を与えた。ある意味、凱旋門のゲートに入った時点でディープはルドルフを越えたとも言えるだろう。3歳の有馬を勝利した点では勿論ルドルフが上回るが、ルドルフとその関係者が真に夢見たのは、ロンシャンの晴れ舞台であったのだから。それは当然エクイロックスなどの技術にも支えられた部分はあったし、馬場の最適な管理に恵まれた面もあったかも知れないが、ともあれ、この「頑丈さ」がひとつの水準となるのならば、今後の名馬は半端なことでは故障できないよな、とも思ってしまう。その点では、ディープが4歳で引退したことで、次に現れるディープ級の名馬が5歳まで現役を続けることでひとつの「ディープ越え」を目指す姿も見てみたいな、とも思う。
ただ、言うはやすし、でもあるのだろう。
結局のところ、ディープの凄さは「150km後半を9イニング通じて投げられるスターター」であることではないか、と思う。例えば藤川球児は「ホップする=落ちない」剛速球のストレートを投げられるが、彼は基本的に2イニング以上それを求められない。一方で、松坂大輔は、藤川に近い落差のストレートを先発投手でありながら投げることが出来る。そして、それでありながら松坂がスターターでいられるのは、それを藤川よりも「ラクに」投げることが出来るからだろう。それこそが、松坂の底知れなさではないだろうか。同様に、そのタフネスさという面で最後まで破綻しなかったことは、ディープの能力に対してプラスアルファの評価を与える余地とはなるであろう。無論この点では、シンザンや*シンボリクリスエス、或いは競走馬として本格化前にしか故障していないテイエムオペラオーも一定の評価が可能であるが、JCのエントリで書いたように、春秋4シーズンでG1を勝ったのはディープだけである。
ともあれ、ディープのこのタフさが基準として尊重される限りにおいては、或いは日本において「名馬が3歳で引退する」風潮がさほど主流とならないのではと期待する面はある。言わば「ディープ越え」を目指す馬においては、仮に3歳で凱旋門を勝利する馬であっても「勝ち逃げ」ることが主流とはならないのではないかな、とも。日本の競馬が「興行」にその軸足を置くことで成立している(そして馬産の成功も、良くも悪しくもそこに負っている)以上、名馬の現役時間がこれ以上短くなることは避けなければならないものであると思われるだけに、それはディープの正のレガシーとなるのではとも。
そして、そのイメージを更に強固ならしめるためにも、種牡馬として常識的な成功をして貰いたいものであると期待される。幸いにして、サンデーは種牡馬の父としても優秀ではあり、これまでの産駒同様に競走成績なりのものを出せるなら、ある程度の結果は出すだろう。問題は、それ以上のものを期待しすぎることによるハードルの高さや、或いは自身の資質と配合から推測されるフィリーサイアー的な面であろうか。*ウインドインハーヘアは母の Burghclere と父母の Lady Rebecca 双方から Hyperion に Sickle=Pharamond という Selene−Canterbury Pilgrim の強い牝系経由の効果を得た名牝である。そしてディープ自身も夙に心配能力の高さで知られた馬であった。この心配能力は、現在の配合理論では多く娘を経由して伝わるものとされる。それが真実ならば、ディープの活躍馬もまず牝馬からとなるように思われる。あとは、馬体の問題であろう。特にアメリカにおいて Seattle Slew の眷属が活躍するシーンが増える中で、ある程度デカ馬的な良さを出す馬が、特に海外レベルでは増えてくる可能性もある。そのような馬に対して、小柄なディープの適性が噛みあうかどうかは未知数でもあり。
ともあれ、ディープは歴史に残る存在として、暫くは語り続けられることとなるだろう。
個人的には、シンザンとルドルフ、そしてディープという3頭は、アメリカの最強馬としてトップ3に並ぶ Man o'War, Citation, Secretariat の3強の並び方に近いような印象を持つ。ある種伝説化された揺るぎなき存在としての Man o'War、そしてそれを凌駕するとも思われる実績を作り、或いはこれを超える馬をもたないのではないかと思われた Citation、そして闊達かつ粗削りな天衣無縫さで時代を彩った Secretariat。アメリカのこの3頭が概ね30年程度のタイムスパンで出ているのに対して、日本の3頭はほぼ20年スパンで現れた。その辺りは、日本の競馬の進化がある意味急速であることを物語るところでもあるのだろう。自分は恐らく暫く後に競馬を観始めたファンに「ディープ見たことないだろ」と自慢できると思うが、そのファンたちが「俺はこの馬をこの眼で見た」と語ることが出来る存在が現れるのもまたそう長くない、10年20年程度のスパンであると良いなと思う。
それにしても、色んな意味で、薄い空気を吸い続けるような気分であった2年間かもしれない。この馬を応援することのある種のベタさを受け入れるのも少なからず苦労した面は認めざるを得ない部分でもあった。ある意味、破綻することから生まれる「物語」を渇望する側からのカウンタープレッシャーというのは、須田鷹雄氏が指摘するような「ディープを応援しないといけない空気」と等価でキツい部分はあったようにも思うし、その辺りはアンチディープな方にも十分ご理解願いたいと思う部分でもある。その上で、ディープが実況に「ライアン!」とすら挟ませないような存在であった(つーか、90有馬で「ライアン!」と挟むのはある種のダンディズムとして成立するが、06有馬の映像で「ポップ!」なんて挟んでも現実にはマヌケなものにしかならんもんなぁ)ことがある種の疲れをもたらすものであることは理解するが。
その上で、この馬を信じ続けた者に対して、これだけ応えてくれたこと。
それが出来る馬だったからこそ、この馬はやはり愛されるべき馬であったとは思う。
有馬が「淡々としていた」のは、単にレースが単調だったせいだけではない。レースが終わった後の、一つの時代、余りにも多くに応えすぎた名馬との甘美な関係の終了に、観客が何ともいえない感慨を抱いていたせいでもあるだろう。少なくとも、それが中山に集まった「たった11万程度」の観客の多くの心を占めていて、彼らは、最終レースを終えても、帰路に付く気配はなかった。このインパクトを越えて、残っているのは何か?それは、「競馬」にほかならない。その「競馬」を知ってる人たちよ、あなた方の愉しんでいた普段の競馬は戻った。存分に愉しめ。その「競馬」を知らない人たちよ、普段の競馬も面白いものだと、俺が保証する。これからも存分に愉しめ。そして、ディープインパクトのエヴァンゲリストとして有芝が伝える言葉に、もう余すものはない。
そして、ディープインパクトよ。全てのまごころをこめて、伝えたい。
「君は、素晴らしい名馬だった!」と。

コメント一覧
戯言
「〜だったと!」まで読んだ。
ほうぼうで見かけた惜別の辞であろう「ディープみたいな馬は今後は現れないかも」という言葉には違和感があって、その正体は何だろうなというのを考えていてふと思ったこと。
トウカイテイオーが無事だったら、案外ディープみたいな感じで引退してたんじゃね?
タラレバ炒めを持ち出したいのではなく、「ディープたいしたことないよ」みたいな電波飛ばしたいのではなく、つまるところ「ポテンシャルのものすごく高い馬ってそんなに珍しい存在ではない」のではないか、と思います。問題は、それを競走にアジャストできなかったりとか、スタッフに恵まれないとか、もちろん故障も含めて、「花を咲かせ続けること」がいかに難しいか、ということであり、逆にそのチャンスは案外転がってそうな気も。
だから僕は、次の「史上最強級名馬」はそう遠くない先にいると思うんですよね。
凱旋門の敗因は、馬場や体調もあったのでしょうが、個人的には「ポテンシャルを抑え込んだままレースをする」ということをついに学べなかったことのほうが大きかったような気がします。それはシンボリルドルフの陣営がたぶん執拗に教え込んだであろうことであり、そうしてしまうことにより持ち味が死ぬかもしれないディープには進めなかった道なんでしょうが。アニキが再三言っていたように、普段から先行させてみてどうだったか、ということを考えるとそれが残念ですね。
かくして、ディープは「支配者」の印象のままターフを去っていったのでありました。
太陽神
「小さい身体」だけど、
「圧倒的に強く」て、
「賢く」、
それでいて気性的に「欠点」があって、
それが故に民衆に「愛され」、
まるで「太陽」のような存在であった――
なんて書くと、かの17代ダービー伯爵の名馬Hyperionのようですな。
ディープインパクトが得た人気というものが過去の日本の人気馬と一線を画す点として、逆境を跳ね返して得た人気ではないということがあるかと思われます。(「逆境」には「強敵」含む)
名生産者に名調教師、そしてカリスマ的馬主に囲まれ、自身のポテンシャルの全てを発揮できる環境が整った中で、自身はその愛すべきキャラクターにより観衆の敵対心を削ぎ落とし、逆に虜にしてしまう。
時にそのキャラクターが敗戦に直接結び付いてしまうこともあったが、普通でありさえすれば自身の才能と周りの環境が、そのキャラクターを包み隠さないままに勝利へと導いてしまう。
かの太陽神Hyperionはそんな存在であったと思うのです。そして、ディープインパクトも多くの競馬ファンにとってそんな存在であったと思います。(まあ、Hyperionは生産者=馬主なわけですが)
――と書きつつ、すぐ下のエントリのコメントに「セクレタリアトまんまじゃね?(略し過ぎ)」とか書いているんですが、まあ彼も人気馬なので気にしない(ぇ
>わむ氏
全文、同意します。
このエントリに感動した(´;ω;`)ウッウッ
同意
デビュー戦の走りを見て以来スケールの違いを感じ続けてきました。辛口が売りになるライターさんたちが相手関係云々を口にしてディープを過小評価するのは、どうしてもライトなファン、JRAの対応への不満の意を混同しているようにしか感じられませんでした。ハーツクライはドバイで過大評価されましたが、位置づけはナリタブライアンに対するスターマンに近い気がします。
ジョッキーの無策も言い続けられましたが、ほぼしんがりから大外を捲っていく馬に何をしろというのか常々疑問でした。今回でも、武士沢、五十嵐はディープより先に動いていたのですがあまり触れられませんし。
近年の中で比較対象となりうるのはアグネスタキオンとダートのクロフネでしょうか。アグネスタキオンは相手関係、クロフネは時計、というもので自らの価値を誰からも否定されません。ダービー、天皇賞で時計の点では十分であり、丸二年無事にその2頭以上のレースでのポテンシャルを披露し続けたディープ。
悲しむべきは強すぎた故に相手の光を消してしまったことと、強さのベタさ加減なんでしょうね。
競馬を知っていればいるほどディープの強さは深く、計り知れないものでした。天皇賞のレコードでも奥まで覗けなかったディープの能力が素直に賞賛され、語り継がれて欲しいと思います。
分かりやすいヒーローならここにいるのに
アジュディミツオーのほうがよっぽどヒーロー然としてるんだけどなあ
プレゼント
つまり本調子のタップダンスシチーが最強ですね!
ブログ開設ついでにトラバさせてもらいました。
これからもよろしくです。
皆様
わむ>
俺も「〜だったと!」まで読んだ!(挨拶
大雑把に同意できると言うか、ディープの戦績が出せる馬とディープ的な破天荒なA級馬のどちらが先に出そうかなぁと思うに、案外前者かなという気もして。近似値としてオペラオーとススズカを持ち出すに、オペラオーのほうが時代が近い、ってのもあって。凱旋門に関しては「不利を引き受けるレースばかりしていたから、不利を最小限にすることが出来なかった」ということなのかもと。
NOBIEさま>
トラバ先も、チェックさせていただいております。
Hyperion 説はなかなか興味深いですな。
ところで、オーナーブリーダーとしてダービー卿は競馬史の金字塔となる存在の一人ですが、マーケットブリーダーとしてここまで鉄壁の馬運をもって名馬を持ち続けた存在として、金子HD氏は世界の競馬史においても屈指ではないか、という話を知り合いがしてたのを思い出しました。
ヘヴンリーロマンスさま>
そう言って頂けると、こちらも励みになります。
今後ともよろしくどうぞ。
おうしゃんさま>
五十嵐冬は結構チャレンジングな競馬をして、結果展開に泣いたと思うのですが、敗れた騎手の戦術などはその存在自体が気付かれにくいものなのでしょうかねぇ。天皇賞は、レース後ちょっと唖然とした記憶があって、ああいうレースを見られたのは本当に眼福でした。
FallenRedLeafさま>
アジュディミツオーのヒロイズムを否定はしませんが、公営の場合も、ちょっと中央と相似な問題で「ゴール・決戦」が何処か、が見えづらくなっている恨みはある気がします。ドバイがそのポイントとなるかなぁと一時は期待してたのですが、壁はナカナカ高く。
タップさま>
例えばイングランディーレの天皇賞にディープが出たら普通に差し切りそうですが、タップのJCは難しいなと思います。ただ、タップはそこまで自分でペースを作るのが巧くないので、どちらかというとかき回す役の方が多くはなりそうかと。