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殿下執務室2.0 β1

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有芝まはるが綴る、競馬話その他の雑談、そしてYet Another Amateur Photography。

「もし世界が128人の天皇だったら」にチャチャ。 

 はてブでも話題になってるので、引用元の社会派DSさまにトラバ。面倒なので、Blockquoteはつけずにだだっと箇条書きで。

◆14人は実在しません。
 個人的には9人説。つーか、事績が神話的で在位がアフォみたいに長いというならば仁徳までを否定しないといけないのだけれど、何故に半端に応神から?という話にもなる。倭の五王も履中からと強弁すれば良いのだし。或いは神功摂政~応神時代が大雑把に広開土王碑とクロスするから、ってことだとしたら、現代史学が神功伝説を否認するのと辻褄が合わんし。
 その上で、七支刀以前とか、稲荷山の大彦時代辺りに何らかのエポックがありそうというスジで行くならば、大和王権は崇神をエポックとするのが穏当であろうかなぁとは思われます。

◆5人は天皇かどうだか疑われています。
 これは定義者によって人数も変わってくるけど、
(安閑・宣化)(弘文){(北朝5代)|(南朝3代)}
を適当に組み合わせた数字にならないといけない。件のコピペ者は南朝+安閑か?自分はその組み合わせに、弘文もちょっと怪しいとみて、6人の即位を疑う、くらいの線で考え中。大海人吉野出奔後の皇統分裂は割と早い時期にあったと見られ、そうならば壬申の乱の段階でどちらを「正当な即位者」と見るのは難しいかなとも思われますので。

◆8人は女です。
 18人は少年です。
 23人は幼児です。
 1人は幼女です。(明正)
 3人は幼児のうちに位を奪われました。(六条・安徳・仲恭)
 まぁ、これは議論無し。

◆5人は気が違っています。
 武烈・陽成・冷泉・大正、とあと何だっけ?(追記:あぁ、花山院か。それをカウントしちゃうのはちょっと気の毒と言うか、真面目に基地だと思われてたら勅撰和歌集の親撰者とされるのか、みたいなのはあり)
 崇徳のように流刑先で狂死してるようなのはカウントするかは難しいさね。まぁでも、気が触れて無くてもキチガイみたいな帝王と言うのは、他国に限らず本朝にも時折現れますな。後醍醐なんかは典型でしょうが。

◆13人はやりたい放題やりました。
 の定義が分からんので何とも、ですが、出家してからも子をなした因業坊主のカウントはやっといて欲しかった(笑)。

◆29人は何もできませんでした。
 出来ない人の方が多いと思うので、このカウントでも少なすぎます。

◆9人は貧乏に苦しみました。
 んー、これも難しい。応仁以降、安土桃山を挟んで概ね明治まで貧乏、とすると17人くらいにはなるかと思うが(後土御門→孝明の19人ー正親町・後陽成)、そういう意図ともまたちょっと違ってくるのかな?

◆15人は戦争をおっぱじめました。
 神武(東征)、崇神(四道将軍)、景行(西征)、仲哀(熊襲)、応神(新羅)、継体(磐井)、欽明(任那再興)、斉明・天智(百済再興)、天武(壬申の乱)、桓武(蝦夷征伐)、平城(薬子の変)、崇徳(保元の乱)、後鳥羽(承久の乱)、後醍醐(建武)、明治(日清・日露)、大正(第一次大戦)、昭和(第二次大戦)の18人と出ましたが何か。神話時代はもうちょっと細かく見ればもう少し増えるかも。因みに、平治の乱や源平戦、秀吉の朝鮮征伐は私戦とみて数には入れず。あと南北朝時代のコマゴマしたバトルは全部後醍醐がおっぱじめたとして集約(笑)。あと恵美押勝の乱辺りは定義が難しいが、淳仁は直接関わったとも思われないのでオミット。

◆6人は戦争に勝ちました。
 上記18人で負けたのは欽明・斉明・天智・平城・崇徳・後鳥羽・後醍醐・昭和。
 差し引き10人が「勝った」と見ればよいかなと。ついでに、仕掛けられて返り討ちにしたという意味ではこれに嵯峨(vs平城)や後白河(vs崇徳)なども入ってくるんで、もちょっと増える。あと、最終的に戦略的敗北をしてる後醍醐などは扱いに難しい。

◆8人は戦争に負けて退位しました。
 弘文(壬申の乱)、淳仁(恵美押勝の乱)、安徳(源平)、仲恭(承久の乱)、後醍醐(元弘の変)、光厳(建武)、崇光(観応の擾乱)、後亀山(南北朝合一)くらいで丁度廃位された天皇の数としては数合わせにはなりますかな。

◆2人は戦争に負けても居座りました。
 天智と昭和天皇。欽明とかも外征で負けているので、これを足すか足さないか。

◆6人は殺されました。
 安康(眉輪王)・崇峻(東漢直駒)・弘文(壬申の乱)・安徳(源平)、あと仲哀(神功)・継体(日本書紀の謎の引用)辺りは微妙か。毒殺説とかそういう微妙なのを挙げるとキリはなくなりますが。

◆6人は流罪人として死にました。
 淳仁(恵美押勝の乱)、崇徳(保元の乱)、承久の3上皇、とあとは?

◆1人は自分の仕掛けたいたずらにひっかかって死にました。
 そのお茶目な天皇とは、四条院。御年12歳でしたとさ。

◆13人の天皇が、3人の皇太子と、16人の皇子を殺しています。
 綏靖(手研耳)、崇神(武埴安)、垂仁(狭穂彦)、仁徳(隼別)、反正(住吉仲)、安康(木梨軽・大草香)、雄略(八釣白彦・坂合黒彦・眉輪・市辺押磐・御馬)、清寧(星川)、天智(古人大兄・有馬)、天武(弘文)、持統(大津)、聖武(長屋王とその一家)……と、あと中古以降は余り覚えてないので、その辺り色々、かな(追記:そっか、桓武は入れといた方がいいか。一応流罪とか幽閉後すぐ、という話だけど、井上・他戸・早良、ですな。あとは、平城→伊予もそのロジックなら入るかも)。意外なことに、狂暴で知られた武烈がこのリストには入らない。にしても、雄略やりすぎ(苦笑。大悪天皇の称号はダテではありませぬ。

◆2人の天皇は、逆に皇子に殺されています。
 既出ながら、安康と弘文。どっちも叔父・甥の間柄となりますな。

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