朝の最初の会でサクっと見に行きました。ハネた後の次の回はもう列がびっしり。みんな天皇陛下が大好きなのですねぇ。とは言いつつ、自分よりも年下という世代は殆どいなかった辺りは何か微妙に世代の分断がここにあるのかなぁという複雑な感慨を抱かせたものではありましたが……。
個人的には微妙にスカされたなぁという部分が全体としてはあった、というか、要するに恐らく自分がこの映画を観ようとしたモチヴェーションとしては「外人が描くことによって昭和天皇の像というのに自分の知っているそれとはもうちょっと別の絵が出てくるのかなぁ」という辺りだったのですが、そういう点では、描かれた昭和天皇は完全に戦後生まれの我々がブラウン管を通じて知る昭和天皇よりも踏み込まれたような描かれ方をしていなかった、というのが印象としてはあり。要するに、浮世離れした変な爺さん、というのをそのまま若くしただけではあったなぁと。勿論、昭和生まれとしてそういうのを愉しむ余地は自分の中にはあるので、そこかしこに散らばる昭和天皇のウィットみたいな所の描き込みに関しては素直に笑えたのではありますが。ただ、昭和天皇をそれだけで説明しちゃうと、どうも、昭和天皇は素でただのヘンな人みたいな部分が出てきて、今ひとつ彼の背負ったカルマというのがある程度彼自身の人格と渾然化してるみたいな印象が少なくなり、やや悲劇が上滑りしてしまう感も。あと、平たく言って、そういう昭和天皇だったら自分でも想像出来るよ、みたいな意外性の無さというのはどうしても出てしまうものなんですよね。
ただ、恐らくそれは、我々日本人にとってはそうなんだけれども、恐らく天皇と言うのを全然知らずに、というとアレなので、「歴史上の人物としてしか昭和天皇を知らなかった」人、ぶっちゃけガイジンにおいて、ブラウン管で戦後活躍された昭和天皇の姿ってのはある種の意外性をもって見られる部分があるには違いないだろう、ということ。そしてその上で味があるのは、天皇が中庭で写真撮影する場面でのお茶目っぷり。これを見て写真撮影のヤンキーGIどもが「チャップリンだ」「チャーリー、チャーリー」と囃し立てるというなかなかに敗戦の悲哀を枢軸国臣民の子孫に想起させるシーンではあったのだけど、恐らく史実においてマッカーサーの隣で直立不動で写真に収まるヒロヒト天皇の姿ってのは、現代人的感覚で言えば昭和天皇が花壇の前でおどけてるくらいのインパクトで持って見られる場面であったのだろうなぁ、と思われるし、教科書で見ただけの人が円遊会や一般参賀での独特のリズムに感じる部分とも通じるのかも、とも。それにしても可笑しくもやがて悲しかったのは、ナマズを熱く語り出すところでマッカーサーが引いて退席しちゃう辺り。kagamiさんが書いてるけど、これはまさに日本のヲタクの縮図であるし、天皇のある種「ヲタク的弱さ」(これはまぁ事実あったんでしょう)を描いているというのも同意できるかと。
ただ、天皇ってのは、これは人間宣言云々拘わらず、そして恐らく今の陛下や或いは皇太子殿下辺りにもまだその残照は残ると思うのだけれど、「儀礼的」場面で最もその「儀礼」を徹底している存在、ではあり、その上でプライバシーと言うのをギリギリまで削って生きている部分ってのは感じる所でもあり、その意味ではもっと切り詰められた中でああいう天真爛漫さが垣間見られる、くらいの描き込みを自分は期待しすぎてたのかな、というのも思ったりする。で、そういう前提で見るとアラと感じられるシーンや演出(とりわけ、マ元帥との絡み)、或いは衣装の選択の不自然さはあったのかと。あと衣装と言えば、御前会議のシーンの軍服がちょっとアレだった。鈴木貫太郎はともかく、阿南はもうちょっと軍服らしい格好をして欲しかったものだが。余談だけど、マ元帥は確かにネット評価とかでも言われるようにややミスキャストっぽいけど、先に挙げたシーンなども踏まえると「常識人代表」みたいなスタンスでの描かれ方であったゆえに、史実よりもアクの少ないキャラを求めてたって部分はあるんではと思います。
その上で、なおかつラストシーンは味わい深い映画ではあった。このシーンだけで桃井かおりがメインロール扱いになるのはそこそこ正当だし(一方でメインロール扱いと言えば、侍従役の佐野史郎がそうだったんだけど、ヘッポコ執事振りではむしろもう1人の老侍従役だったつじしんめいの方が面白かったかと)、スジとしても史実における田中義一事件なんかが咀嚼されているような部分があって、一本通っていた、という部分はある。天皇は自らサーベルを振るわずして人を殺すことが出来る存在である、そしてそこから逃げることが出来ないという重さ。そして、昨日もちょっと天皇退位の可能性をカイタノだけど、やはりあそこで吉田茂によって退位が許されなかったのは、恐らく吉田としても将来の天皇制や爾後の安寧のために必要と思っての措置だと思うんだけど、結構しんどかったろうなぁ、というのも改めて考えたり。
◆以下余談。
昨日買った中央公論で、麻生氏がテポドン交渉についての手記を書いてて面白かったんだけど、微妙に「う〜ん」と思ったのは、「すげー愉しかったぜ」みたいなまとめをしてた辺り。そういうのを愉しむってのはそれはそれで政治家としては頼もしいかも知れないけど、一方で「こんなの二度と御免だ」くらいの感覚を持ってるほうが共感しやすいかなぁ、とも(全体的にこのヒトは良い政治家とは思いますけどね)。で、恐らく吉田茂なんかは孫同様、難局を「楽しめる」人物で、昭和天皇は逆かなぁ、というイメージはあったりもします。
◆そのほか。
・なんでみんなあんなヘタな英語を喋るのか。ハーフのGHQ通訳とかもーちょっと英語巧くてもいいと思うが……と思ったら、その喋りを佐野史郎がやってたらしい。因みに史実における昭和天皇は多分もうちょっと流暢な英語を喋れたと確信する。
・あと、個人的ベストキャストはマイナーだけど六平直政の阿南惟幾。史実のキャラに一番似てるという点ではイッセー天皇を凌ぐし、何かあの無意味に汗かいて焦燥している雰囲気というのが、クーデター一歩手前(阿南本人もある程度は関与していたかも知れない)の陸軍の史実の雰囲気を表現しつつ、劇作に通じるコミカルにも寄与していたという辺りで。
・史実といえば、当時の史実において侍従長って海軍大将の藤田尚徳だったのね、というお話。まぁでも、あの戯画化された侍従コンビも好演だったのでは。
個人的には微妙にスカされたなぁという部分が全体としてはあった、というか、要するに恐らく自分がこの映画を観ようとしたモチヴェーションとしては「外人が描くことによって昭和天皇の像というのに自分の知っているそれとはもうちょっと別の絵が出てくるのかなぁ」という辺りだったのですが、そういう点では、描かれた昭和天皇は完全に戦後生まれの我々がブラウン管を通じて知る昭和天皇よりも踏み込まれたような描かれ方をしていなかった、というのが印象としてはあり。要するに、浮世離れした変な爺さん、というのをそのまま若くしただけではあったなぁと。勿論、昭和生まれとしてそういうのを愉しむ余地は自分の中にはあるので、そこかしこに散らばる昭和天皇のウィットみたいな所の描き込みに関しては素直に笑えたのではありますが。ただ、昭和天皇をそれだけで説明しちゃうと、どうも、昭和天皇は素でただのヘンな人みたいな部分が出てきて、今ひとつ彼の背負ったカルマというのがある程度彼自身の人格と渾然化してるみたいな印象が少なくなり、やや悲劇が上滑りしてしまう感も。あと、平たく言って、そういう昭和天皇だったら自分でも想像出来るよ、みたいな意外性の無さというのはどうしても出てしまうものなんですよね。
ただ、恐らくそれは、我々日本人にとってはそうなんだけれども、恐らく天皇と言うのを全然知らずに、というとアレなので、「歴史上の人物としてしか昭和天皇を知らなかった」人、ぶっちゃけガイジンにおいて、ブラウン管で戦後活躍された昭和天皇の姿ってのはある種の意外性をもって見られる部分があるには違いないだろう、ということ。そしてその上で味があるのは、天皇が中庭で写真撮影する場面でのお茶目っぷり。これを見て写真撮影のヤンキーGIどもが「チャップリンだ」「チャーリー、チャーリー」と囃し立てるというなかなかに敗戦の悲哀を枢軸国臣民の子孫に想起させるシーンではあったのだけど、恐らく史実においてマッカーサーの隣で直立不動で写真に収まるヒロヒト天皇の姿ってのは、現代人的感覚で言えば昭和天皇が花壇の前でおどけてるくらいのインパクトで持って見られる場面であったのだろうなぁ、と思われるし、教科書で見ただけの人が円遊会や一般参賀での独特のリズムに感じる部分とも通じるのかも、とも。それにしても可笑しくもやがて悲しかったのは、ナマズを熱く語り出すところでマッカーサーが引いて退席しちゃう辺り。kagamiさんが書いてるけど、これはまさに日本のヲタクの縮図であるし、天皇のある種「ヲタク的弱さ」(これはまぁ事実あったんでしょう)を描いているというのも同意できるかと。
ただ、天皇ってのは、これは人間宣言云々拘わらず、そして恐らく今の陛下や或いは皇太子殿下辺りにもまだその残照は残ると思うのだけれど、「儀礼的」場面で最もその「儀礼」を徹底している存在、ではあり、その上でプライバシーと言うのをギリギリまで削って生きている部分ってのは感じる所でもあり、その意味ではもっと切り詰められた中でああいう天真爛漫さが垣間見られる、くらいの描き込みを自分は期待しすぎてたのかな、というのも思ったりする。で、そういう前提で見るとアラと感じられるシーンや演出(とりわけ、マ元帥との絡み)、或いは衣装の選択の不自然さはあったのかと。あと衣装と言えば、御前会議のシーンの軍服がちょっとアレだった。鈴木貫太郎はともかく、阿南はもうちょっと軍服らしい格好をして欲しかったものだが。余談だけど、マ元帥は確かにネット評価とかでも言われるようにややミスキャストっぽいけど、先に挙げたシーンなども踏まえると「常識人代表」みたいなスタンスでの描かれ方であったゆえに、史実よりもアクの少ないキャラを求めてたって部分はあるんではと思います。
その上で、なおかつラストシーンは味わい深い映画ではあった。このシーンだけで桃井かおりがメインロール扱いになるのはそこそこ正当だし(一方でメインロール扱いと言えば、侍従役の佐野史郎がそうだったんだけど、ヘッポコ執事振りではむしろもう1人の老侍従役だったつじしんめいの方が面白かったかと)、スジとしても史実における田中義一事件なんかが咀嚼されているような部分があって、一本通っていた、という部分はある。天皇は自らサーベルを振るわずして人を殺すことが出来る存在である、そしてそこから逃げることが出来ないという重さ。そして、昨日もちょっと天皇退位の可能性をカイタノだけど、やはりあそこで吉田茂によって退位が許されなかったのは、恐らく吉田としても将来の天皇制や爾後の安寧のために必要と思っての措置だと思うんだけど、結構しんどかったろうなぁ、というのも改めて考えたり。
◆以下余談。
昨日買った中央公論で、麻生氏がテポドン交渉についての手記を書いてて面白かったんだけど、微妙に「う〜ん」と思ったのは、「すげー愉しかったぜ」みたいなまとめをしてた辺り。そういうのを愉しむってのはそれはそれで政治家としては頼もしいかも知れないけど、一方で「こんなの二度と御免だ」くらいの感覚を持ってるほうが共感しやすいかなぁ、とも(全体的にこのヒトは良い政治家とは思いますけどね)。で、恐らく吉田茂なんかは孫同様、難局を「楽しめる」人物で、昭和天皇は逆かなぁ、というイメージはあったりもします。
◆そのほか。
・なんでみんなあんなヘタな英語を喋るのか。ハーフのGHQ通訳とかもーちょっと英語巧くてもいいと思うが……と思ったら、その喋りを佐野史郎がやってたらしい。因みに史実における昭和天皇は多分もうちょっと流暢な英語を喋れたと確信する。
・あと、個人的ベストキャストはマイナーだけど六平直政の阿南惟幾。史実のキャラに一番似てるという点ではイッセー天皇を凌ぐし、何かあの無意味に汗かいて焦燥している雰囲気というのが、クーデター一歩手前(阿南本人もある程度は関与していたかも知れない)の陸軍の史実の雰囲気を表現しつつ、劇作に通じるコミカルにも寄与していたという辺りで。
・史実といえば、当時の史実において侍従長って海軍大将の藤田尚徳だったのね、というお話。まぁでも、あの戯画化された侍従コンビも好演だったのでは。
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