つー感じで、積読消化。
◆Amazon.co.jp/古事記と日本書紀―「天皇神話」の歴史(講談社現代新書)
通史的な書紀と古事記の扱われ方、そしてそれぞれが描くコスモロジーなどを通じて、書紀と古事記がともに日本神話でありながら、前者が陰陽的な世界観、後者が天地的な世界観という点で独自であり、言わば別系統の神話である、というような話が大まかな趣旨。
個人的には、古代史などを扱う際にも、(特にマニアレベルではなく、外部から語られる際には)往々にして一体のものとして扱われがちなこの両書の質的な違い、みたいな辺りに関して分かりやすい切り口を提供して貰えたな、的な本ではありました。大学時代にはこの人の講義とかは受けなかったけど、受ける機会があれば面白かったかな。上述のような議論は、書紀・古事記の成立における形而上学的な端境としての8世紀初頭という文脈を浮かび上がらせるものではあるかなぁとも見えます。
思うに、政治的な世界がある程度拡張すると、それを統率する人物は、その拡張した世界に見合った世界観を取り込まないといけない。或いは順序的には逆で、拡張した世界観が政治的な世界の拡張を生むのかも知れないけど、それはサテオキ。ともあれ、そういう「世界観の拡張」の画期は恐らく古代の日本においては二段階くらいあって、一段階目が共同体的なカミの並列な連合から、天孫という一つのアイデンティティの元に収斂するカミの系列化(前にもちょっと書いたけど、恐らく画期は崇神辺り)、そして二段階目が、仏教や道教という更に普遍的な人間論に応じた、法理的なシステムの構築、ということになるのだろう。恐らく律令国家の成立という、二段階目のパラダイムシフトの途上に、書紀と古事記は編まれて、「国家」として編まれた前者はパラダイムシフト後の世界観で、「私的」に編まれた後者はパラダイムシフト前の世界観で描かれた、ということなのだろう。本書の作者的には、そういう時代的な前後関係は意図的に盛り込んでなくて、むしろ古事記的な世界観と書紀的な世界観は並列というように扱いたそうな雰囲気もあるけど。
古事記にはやたら皇別氏族の出自が書き込まれてる訳ですが(書紀にも無いことはない)、あれは各氏族という「カミ」を皇統に収斂させる作業、とも言えるのだろう。一方で、書紀の天孫降臨に関して、本書では「アマテラスは何ら降臨に関与せず、また神武の系統であるニニギの優位性も語られず、単に実力で君臨した、とする。その文脈で天武が自らを「真人」とし、「神にしあれば」と詠ませたのは、言わば力で超越した、という確信を天武自身が持っていた、となるのだろう。ただ、恐らく天武のそういう部分ってのは歴史的に見てもある種ユニークな部分であり(基本的にこの天皇は相当に急進的な性格を帯びたキャラクターだと思う。逆に言えば、これだけのキャラクターが「易姓」などと言い出さずに万世一系を維持したのは、彼が本当に天智の弟だったからなんだろうなぁ)、恐らくは持統天皇以降はややバランスを取りつつ、仏教的な世界観に移行してその後の神仏習合の時代に入り、一方で天武の信奉した道教は勢いを落としつつ、神秘主義に移行して陰陽道の元になった、くらいの見立てになるのかなとも。
◆この日のQMA。
昼だけプレイながら、不調。
◆Amazon.co.jp/古事記と日本書紀―「天皇神話」の歴史(講談社現代新書)
通史的な書紀と古事記の扱われ方、そしてそれぞれが描くコスモロジーなどを通じて、書紀と古事記がともに日本神話でありながら、前者が陰陽的な世界観、後者が天地的な世界観という点で独自であり、言わば別系統の神話である、というような話が大まかな趣旨。
個人的には、古代史などを扱う際にも、(特にマニアレベルではなく、外部から語られる際には)往々にして一体のものとして扱われがちなこの両書の質的な違い、みたいな辺りに関して分かりやすい切り口を提供して貰えたな、的な本ではありました。大学時代にはこの人の講義とかは受けなかったけど、受ける機会があれば面白かったかな。上述のような議論は、書紀・古事記の成立における形而上学的な端境としての8世紀初頭という文脈を浮かび上がらせるものではあるかなぁとも見えます。
思うに、政治的な世界がある程度拡張すると、それを統率する人物は、その拡張した世界に見合った世界観を取り込まないといけない。或いは順序的には逆で、拡張した世界観が政治的な世界の拡張を生むのかも知れないけど、それはサテオキ。ともあれ、そういう「世界観の拡張」の画期は恐らく古代の日本においては二段階くらいあって、一段階目が共同体的なカミの並列な連合から、天孫という一つのアイデンティティの元に収斂するカミの系列化(前にもちょっと書いたけど、恐らく画期は崇神辺り)、そして二段階目が、仏教や道教という更に普遍的な人間論に応じた、法理的なシステムの構築、ということになるのだろう。恐らく律令国家の成立という、二段階目のパラダイムシフトの途上に、書紀と古事記は編まれて、「国家」として編まれた前者はパラダイムシフト後の世界観で、「私的」に編まれた後者はパラダイムシフト前の世界観で描かれた、ということなのだろう。本書の作者的には、そういう時代的な前後関係は意図的に盛り込んでなくて、むしろ古事記的な世界観と書紀的な世界観は並列というように扱いたそうな雰囲気もあるけど。
古事記にはやたら皇別氏族の出自が書き込まれてる訳ですが(書紀にも無いことはない)、あれは各氏族という「カミ」を皇統に収斂させる作業、とも言えるのだろう。一方で、書紀の天孫降臨に関して、本書では「アマテラスは何ら降臨に関与せず、また神武の系統であるニニギの優位性も語られず、単に実力で君臨した、とする。その文脈で天武が自らを「真人」とし、「神にしあれば」と詠ませたのは、言わば力で超越した、という確信を天武自身が持っていた、となるのだろう。ただ、恐らく天武のそういう部分ってのは歴史的に見てもある種ユニークな部分であり(基本的にこの天皇は相当に急進的な性格を帯びたキャラクターだと思う。逆に言えば、これだけのキャラクターが「易姓」などと言い出さずに万世一系を維持したのは、彼が本当に天智の弟だったからなんだろうなぁ)、恐らくは持統天皇以降はややバランスを取りつつ、仏教的な世界観に移行してその後の神仏習合の時代に入り、一方で天武の信奉した道教は勢いを落としつつ、神秘主義に移行して陰陽道の元になった、くらいの見立てになるのかなとも。
◆この日のQMA。
昼だけプレイながら、不調。
1(P-08):雑○(6)[3]→NR5(3)[6]→芸タ(4)[2]→学タ/芸タ/SR2/SR2(3323)[3]A
2(P-09):学R3(4)[4]→S順(5)[4]→Nタ(4)[5]A
3(P-11):AR2(6)[3]→SR5(3)[7]→学EF(4)[7]A
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