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殿下執務室2.0 β1

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有芝まはるが綴る、競馬話その他の雑談、そしてYet Another Amateur Photography。

凱旋門賞雑感。 


Autumn Contrast
Autumn Contrast; D800 AF-S Nikkor 24-85mm 1:3.5-4.5G ED VR (48mm) F8 1/350s ISO-1250

 Trêveに関しては、オープンなレースで半端な馬が勝たなかった辺りでは良かったな、と。
 で、日本馬の敗戦は、割と特に他の条件は問題なくて単に20頭立てのあのペースで10番手以内に入れずかなり置いて行かれた場所からの競馬となった位置取りに帰するというシンプルなものではあろう。その上で、割と積極的にあの位置取りを「選んで」競馬してるというのを、ある程度事前から決めて掛っていたように見えるのが、問題と言えば問題か。福永も馬混みには入れていたがもうちょっと前でも良かったとは思われるだけに。

 詰まる所、このレースに出ていた馬が毎回走るたびに20頭とか32頭とかそんなヘヴィーフィールドの競馬をやってる訳では無い。実際今回の上位でもTrêveとFlintshireは今年2ケタ出走の競馬が凱旋門までなく、Taghroodaもオークスとデビュー戦以外は1ケタ。むしろ、日本の方が平均的な頭数は特にオープンレベルでは多いだろう。つまり、馬混みをせいぜいここ以外ではオークスかダービー級のレースでしかない実戦経験で学習してそれを克服してるのではなく、その場で成算は分からずとも試していると考えた方が良いだろう。
 そうであるならば、少なくとも頭数が多いならば単純にアトサキ考えず馬混みに入れることの方が結局は「こういうレースになりがち」な凱旋門賞においては正解とは思われる。一方で、キャリアを通したパフォーマンスの中でそういう競馬をやることの影響がトレードオフになる、というお話にはなる。結構難しいのは、レースの頭数なんてのは一週間前にもならないと分からないので、案外頭数が行かないのであればそのトレードオフに苦しまずに行ける可能性もある、という辺り。その意味では、「後者を優先するくらいなら出ない方がマシだ」的な意見はある程度排除されてしまうとこではあろう。実際、案外頭数少なくなったとこでズドン決まってあっけなく勝つシーンとかも想像できないことないし(笑)
 で、個人的には割とペースのメリハリ的なものはこのレースや欧州の伝統的な中長距離を勝利するには必要な資質であると思っていて、それ自体は現状の日本の馬場で育成できてない訳では無く、逆に先行ベースな競馬の選抜だけで欧州行っても、勝負どころの爆発力で負けてジリジリと着拾うしか出来ないんじゃないのかな、なんてことも。ただ、そのメリハリを表現する際に日本の競馬の展開的に後方ズドンが割と一つの形として成り立ちがちで、かつ騎手にとってもそれがラクだったりもするという事情もあるとは思われ。ただ、そのラクさを利用するのであれば、その代償として日本の騎手は凱旋門の舞台で己がアサインされないという運命を受け容れた方がいいのかも知れないな、という感覚もあったり。

 にしても、その辺りの勝負に関して割と色々な判断でリスクオフすること自体はまぁ長期的にありとして、それでありながら凱旋門に敢えて出るというリスクを取って、細々としたリスク以外は結構なリソースを他のどのレースでも無く概ねこのレースにだけやたら掛けまくる姿勢ってのは、特に当のフランス人から見たら実に奇異なものには映るのだろうなぁとはしみじみ思う。この熱意というのは多分フランス人ならまだ凱旋門賞が最大の目標という意識くらいはあると思うけど少なくとも国外においてはドイツがある程度競るくらいでそれも大陸の向こうから来るなんてのは(香港や豪州が長距離から降りてる以上)他には類が無いし、それだけ気合入れて来てる割には何か「勝ちに来るためのレース運び」よりは単純に自分たちの絶対能力で押し切る割とざっくりした展開で競馬をやって帰ってく辺りは、何か狐につままれたような気分ではないのかと。

 そういう熱意と淡白の相半ばする光景ってのは、詰まるとこ、競馬の国際化の中で世界の競馬全体の抱えるある種の「ローカリズム」なのかも知れない。日本競馬が世界を追い上げ、名誉や国際的な競走馬の価値として海外遠征が様々な形で定着する中で、ドバイや香港含めてレートを稼ぎつつその年の該当する上位との力関係とかも何となく見えやすくなったし、アジア全体でそういう交流の敷居はかなり下がってきた。一方で世界の競馬は、テニスのトップ選手がクレーもターフもやるような能力のグローバル化からは道が遠い現状。実際Frankelとかは真のバケモノでもしかしたら人類はSt.Simon以来の競走馬を得たのではないかとすら意識の片隅で考えたものの、彼が「イギリスから一度も出なかった競走馬」であるのも事実なのだ。
 そうした状況が可視化された中で、競馬において真の「王者決定戦」が希薄化していくという問題。実際、ジャスタウェイはどれだけ惨敗しても、自分を超えるレートのパフォが出なければ、2014年のある種の「チャンピオン」にはなってしまうのだ。そうした中で我が国で何故か「世界最高のレース」として衆目一致の大目標として存在するレースに、ファンも関係者も遠征を望む中で、「1着を取る」だけが何かを産むのだろうか。
 そう考えると、ある意味「日本競馬のスタイルで勝てる」のであれば、それに勝るものは無いのは確かではある。それこそが、競馬の時代を「クレーでもターフでも勝てるチャンピオン」という新たな時代に導く可能性までも思うと。そして、そのスタイルを貫くことが、逆に結果がついていかなかった場合に「淡白」に見えるのもまた事実。その敗戦の淡白さへの割り切りを見せるか、淡白でない「1着を取る」で得るものを得るべきか。後者的なものも個人的には好きだけど、一方でだとしたら「凱旋門を目標にする」ことの意味から問わないとイカンだろうなぁと思うと、ちょいもにょって前者的な現況を受け容れるのもありなのかなぁ、なんて感慨を抱きつつ、だとしても「熱意」の演出的な技量や仕上げに関してのプロデュースを、競走馬の物語を作り上げる関係者にはもうちょっと要望していいかも知れない今年の凱旋門だったかな、とは思う。
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テーマ: 競馬

ジャンル: スポーツ

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