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殿下執務室2.0 β1

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有芝まはるが綴る、競馬話その他の雑談、そしてYet Another Amateur Photography。

撮影者と、シャッター操作者と、権利と。 

Flickrで著作権指定されてる自分の垢に家人の撮影した写真上げるのってどうなんよ(挨拶)

Taming Pokemon
Taming Pokemon; DMC-LX5 Leica DC Vario-Summicron 1:2.0-3.3/5.1-19.2 ASPH. (5mm) F4 1/800s ISO-80

Wikipedia refuses to delete photo as 'monkey owns it'@ガーディアン

てなわけで、ちょい面白いというかアレな案件。
要するに、ネイチャーカメラマンが猿にカメラを持ってかれたところ、その猿が自撮りとかをしたので後で回収したところ、中にはドンピシャに撮れてるのがあったからそれを自分の作品としてとりあげたところ、結構話題になってしまいにはWikimedia Commonsにまでうpされたというスジ。で、そりゃ著作権違反のパクリだろとカメラマンが抗議したところ、
「撮ったの猿なら、あんたに著作権ないやろ」
と。
個人的にぱっと思ったのは、「実はこれがSelfieであるってこと自体が、ウソだったりしね?」ということ。
まぁよくその手の題材に上がるキャパの崩れ落ちる兵士とかではないけど、要するに写真のインパクトを高めるために「目を惹くキャプションを付けた」という辺りの可能性。だけどまぁそれはどうでもいい。問題は、そのキャプションを付けるに至った、そして結果この写真を一介の猿の写真と聖別させることによってその価値を大いに高めたところの「証人」ってのは、どう転がしてもこのカメラマン以外には有り得ないよね、ということ。
写真ってのは(まぁ音楽においては今年の春先に散々論じられたとこであり、それと同様な訳ではあるが)結構写真の文脈性に印象を規定されるとこはある訳で、その「文脈性」が作品の構成要素だとするならば、その構成要素を引き出した功績ってのは必ずしもシャッター押した主体にはなくて、写真家に帰するんじゃないかなぁ、という辺り。それは、記事に書かれてるように単にアフリカまで行ってきただけの旅費だけで、カネとリスクを背負ったのは間違いない訳で。

ただ、多分法律的な辺りでは「写真の著作」ってのはそういう問われ方はしないのかもな、というとこ。
もうちょい言えば、カメラという機器の操作という観点以上に、「写真を撮る」ってのは法的には意味を与えられづらいのかなぁという辺り。いや、実際どういう法律的な扱いになってるのかは分からんけど、少なくともWikimediaの法務としてはそれが法理だと考えてる訳で、全く根拠ないお話でもなさげ。
しかし、そこの妥当性ってのは詰まる所写真においてほぼ構図や光を完全に操作可能な状態で準備が99%以上を占めるブツ撮りから、完全にその場で瞬間的にあった偶発的事象をシャッター押した時点で切り取る街スナップまで、かなり差はあったりするもんで、そうした撮影の多義性ってのをどう盛り込むか、だよなぁ、とも。言わば、「撮影行動」の多様性に応じた権利の様相ってのが、「カメラという機械の操作」という単純すぎるデバイスの特性によって、やや阻害されてる格好というか。

何というか、法的判断を自動化したレベルまで落とし込むのは、何であれ容易ではない、という一つの例ではあるんかな、と。
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