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殿下執務室2.0 β1

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有芝まはるが綴る、競馬話その他の雑談、そしてYet Another Amateur Photography。

フィギュアスケーターとして記憶されたい、とキム・ヨナは言った。 

たまには自分でも滑ろうぜ(挨拶)

Blades Off
Blades Off; DMC-GX7 Leica DG Summilux 1:1.4/25 ASPH. F2.8 1/40s ISO-800
DxO FilmPack 4.5: Ilford Delta 400


“I want to be remembered as myself, as a figure skater, rather than a gold medalist at Vancouver or a silver medalist at Sochi,” the 23-year-old Kim told a news conference Friday that was packed with Korean media.
Yuna Kim wants to be remembered as a skater - The Washington Post

 この言葉を目にして、そしてキム・ヨナ、このまさしく記憶さるべき卓越したフィギュアスケーターには本当に申し訳ないのだが、ごめん、やっぱり俺達は浅田真央のFSを思い出してしまうよ、と。そして、両者の関係は恐らくライバルというには浅田はキムにマッチしきれなかったと思うのだが、何故キムがそうありたいと願うものを浅田がああいう形で先に手にしてしまうのか、という運命的な何かとしての一つの刻み、というか。

 しかし、キムはキムで、現実としてはこのソチの女子FS最終滑走を「絶対に金メダルの取れないポジション」から臨んでいたのである。
 ソトニコワがFSでマークした得点は、61.43の基礎点に対してプラス14.21のGOE、そしてPCSは74.41である。キムは17点のGOE加点をバンクーバーで獲っているが、あの時とはジャンプのGOE加点係数が減少していることを考えれば(何も全てのルールがキムに有利なように変更されている訳では無いのだ!)正直かなり超えるのは難しい。またPCSは80点満点であり、別にそう満点の付くような性質のものでもないと考えると、この両方で上積みできる余地はかなり低いものであった。
 その上で、キムはバンクーバーにおいてすら基礎点は60.90、そこから連続ジャンプを一つ2A+3T→3S+2Tとレベルダウンしてここに臨んでいて、明らかにここでは差を付けられる。もうスピンやステップでも全てレベル4を取りかつ完璧にミスなく演じて、初めて追い付ける数字だったのだ。そして、故障と加齢でスピンのレベルを保つのは極めて困難であったことを思うと。GOEとPCSでの優位性は確かに彼女を浅田に対して得点争いで優位にするものであったが、結果としてこの4年間、GOEやPCSが重要だと気付かれた世界でその偏差が下がり、いつの間にかキム自身をも相対化していたのである。
 もうバンクーバーの段階で、その数字を上げ尽くしてしまっていたのだから。

 恐らく、キムがその「必敗」な状況に気付いてリンクに入った訳では無いだろう。4年前にキムのスコアがアナウンスされる中でリンクインしていた浅田と違って、彼女は21番滑走のソトニコワを見る場所には居なかったのだし(他の選手見て数字意識する、ということをこの競技でやる選手はそもそも居ないと思う)。試合後に採点に疑問を呈した解説者や元選手たちもまた、気付いてなかったのかも知れない。
 そして彼女は、自らを「金メダルを獲る」ための文脈に置きつつかつ「絶対に金メダルは獲れない」という状況の下で、彼女らしく、実に美しい滑りを見せた。しかし、彼女にとってある意味皮肉なのは、その演技を多分自身においても、そして当然多くの観戦者においても、「金を獲れなかった」とラベリングされること、ではあろう。そこを外してみれば、虚心では、やはりあれは本当にキムらしい、見事な滑りだったのであるが、そういう虚心を前提化するために採点システムを理解しなければならないというのが、現代フィギュアスケートの、本当に難しいところだとは痛感するものではあり。

 カロリーナ・コストナーは、地元の天才少女として過剰に期待されたトリノで惨敗したということ、そしてその後の時代に現役スケーターとして常にキムと浅田という圧倒的な存在が居る中で現役生活を送ったという点では、安藤美姫に立場としては似ているのかもしれない。そして、安藤のように「気持ちの弱さ」を何処か持つ選手でもあったとは言えようか。ただ、安藤がその気持ちの弱さをある意味抱えながらその弱さすら美しさに昇華していったのに対し、コストナーは実直にそこをクリアし続けてこの8年を完成させた、と思う。傷だらけになりながら男坂を踏み上がった安藤と、ゆっくりだけど着実に女坂を歩み続けたコストナー。
 果たして、今やSPのアヴェ・マリアにFSのボレロという「女子の王道」的な選曲を堂々と演じ切る、見事な「完成品」ぶりをこの舞台で魅せて、「あぁ、最後にこういうスケーターになれたんだ」ということに、感慨を禁じ得ない。メダルとかは関係なく、コストナーにとってもスケーターとしての「勝利」を証明できた舞台となったのだろう。恐らくは、才長け過ぎてロールモデルとはなりづらいキム・浅田・安藤と比しても、こういう存在が成功したことは、今後のフィギュアスケートの世界にとっても明るい材料ではないだろうか。いや、我々には既に鈴木明子が居たのだけど。
 逆に、ソトニコワはまだ何も「フィギュアスケーター」として証明する前に、金メダリストとなってしまった側面はあったのかな、ということを考える。それどころか、メダルへの期待という意味ですら、彼女はアウトサイダーとしてこの五輪に臨んでいたのだ。近年では、サラ・ヒューズに近いタイプとは言えるだろうか。羽生のように今シーズンにある程度「チャン超え」が五輪あってもなくても実現しそうだったタイプともちょっと違うとこはあり、その意味でアマチュア競技への今後のモチベーションも含め、アイデンティティとして「フィギュアスケーターとしてのソトニコワ」を探すことが求められる立場なのかもしれない。出来れば、リプニツカヤ辺りと切磋琢磨する場面をもっと見て見たくもある。少なくとも、齧る程度しかフィギュア見てない自分辺りにとって、まだこの金メダリストには、フィギュアスケーターとして未知の部分は多いので、もっと知りたいと思う。

 浅田に関しては、もう言うことは無いだろう。
 ソチのあの舞台において、彼女は明らかに「フィギュアスケーター」として記憶された。この手の復活劇では、トリノでのライザチェクなんかが記憶に新しいが、やはりインパクトでは今回が上回る。結果としてここでバーを上げたことで最終組のPCSの基準点が上がってメダル争いに影響をもたらしたかも知れないが、それすら些細なことではある。
 しかし、事前に「表現の第一人者」と書いたが、音楽の物語をこうして実践の場に刻み込んでしまうとは、という感はあった。ラフマニノフのピアノ協奏曲2番は、作曲者自身がその前に交響曲1番という曲を大酷評されて、精神を病むほどの失墜した心理の中で達成された、作曲者の最も代表的な名作である。その世界を、ある意味自身の成績によって実現してしまったのだ。音楽の文脈性、みたいな話は過日も高橋大輔のSP曲などを巡って色々とあったりもした訳だが、事実は詐病のシナリオを軽く凌駕するものではあるだろう。タラソワ師はこの曲を選曲したことについて、結果余りにスケーターが運命的過ぎることによってメダルを逃すことになった件について真央に平謝りして貰いたいものであるが(笑)、いずれにせよ、ピアノ協奏曲と同様に我々の世代にとってこの4分間は「永遠」とはなったと思うし、それは同時にある種のスポーツ的な美の絶対性でもあった。
 その意味では、「表現の第一人者」として期待した以上のものを、浅田はこの場で刻んだのではと思う。

 そして最後に、フィギュアスケーターとは何であるのか、とは考える。
 浅田が泣いた。リンクサイドで信夫師とジャンナ助手が泣いた。観客席では高橋大輔が泣き、ロシアの実況席ではタラソワ師も泣いた。誰もが。その涙は、アートによるものか、スポーツによるものか。失敗したらそのまま重力の法則に従って谷底に流される他のウィンタースポーツの採点競技と異なり、最初のジャンプの失敗を残りの競技の間引きずり続けないといけない(しかしリカバリーもできる)この競技は、失敗に寛容であるとも言えるし過酷であるとも言える。そしてそういう複雑な文脈の中で困難なトリックを要求され(なにせリカバリーもできるということになってるから)、一方で音楽に合わせるなどという「芸術的」な所作も要求される。
 そうした複雑さと真摯に向き合い、そして同時に観客と対話し、ロマンティックを産みだす者たち。
 その宿命の強さこそが、浅田真央を「真のフィギュアスケーター」としたのだろうか、などと思い、またあのラフマニノフを再見するのである。「あなたは、最も強い子よ」と落涙しながら呟くタラソワ師の姿などを、思い出しながら。
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テーマ: フィギュアスケート

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この記事に対するコメント

今もって、キム・ヨナというスケーターは謎の存在である。

例えば、「キム・ヨナがいかにダメか、いかにおかしいか」ということを精査したサイトがいくつか存在する。そこで書かれていることは間違いではないのだろうが、それによってはこの疑問は解決しない。

「では何故、彼女の演技はあれほど人目をひきつけ、専門家の支持を得られるのか」

先に言っておく。私にはこの答えは出せない。

ところで、フィギュアスケートの競技性をざっくり男女に分けるとすると、「パワー・スピード・切れの男子」「優雅さと滑らかさの女子」という分け方ができる、としよう。ところが、長野以降で何が起こったかというと、男子選手に対して急速に優雅さが求められるようになった。具体例で言えばビールマンスピンであり、いわゆる「バレエの素養」である。それは女子選手においてもそうであり、ちょっと前なら「ビールマンができない女子」は普通にいたのに、いまでは「ビールマンができない女子は見劣る」という感じになってしまった。言わば、競技全体が「女性化」に向かったのである。

キム・ヨナにはバレエの素養がなく、体も硬い。

だがここでもう一度見つめ直してみたい。「フィギュアスケートにバレエ経験は必須」なのか? 答えは否、である。十分条件ではあっても、必要条件ではない。エルビス・ストイコの演技には優雅さはほとんど存在しなかったが、彼のスピードとパワー、破壊力は観衆を魅了した。
そしてキム・ヨナは、急激に女性化する競技の流れの中で、「男性性」を選択していたのではないか。たとえそれが、ほかにやりようのない苦肉の策であったとしても。ストップモーションではまったく絵にならない彼女の挙動が、動体として美しく輝いていたのはそのせいではないのだろうか。そして私たちは、そのようなやり方で潮流に抗った天才を一人だけ知っている。

伊藤みどり、その人である。

だが、キム・ヨナは伊藤みどりの後継者とは呼ばれなかった。国籍が問題だったのではない。アスリートとしての頂点、トリプルアクセルに挑戦し続けた伊藤みどりとは逆に、キム・ヨナは「できることだけを最大限に演じる」道を選択したのだ。「冒険への誘惑を殺し続ける」というのは別の意味で超人的な精神力を必要とされるものかもしれないが、なかなかそれは余人には理解され難いし、少なくともその道の先に伊藤みどりはいない。「キム・ヨナの道」は寂しく、孤独の道であったに違いない。

あるいは、かつてのストイコを超える、体も硬く見栄えもせずバレエの素養もないが、圧倒的なパワーとスピードで概念を破壊するようなフィギュアスケーターが現れたときに、悪意も偏見も抜きにキム・ヨナが再評価される時代が来るのかもしれない。
だが、その時たぶん人々は、彼女の演技をすぐに思い出すことはできないだろう。
それもまた、勝利を得るために彼女の払った犠牲のひとつなのだ。

キム・ヨナは伊藤みどりの夢をみることがあるだろうか? それもまた、謎。

URL | さわむら #QnNGGaoQ

2014/02/22 22:00 * 編集 *

わむ>
キムに関して一番魅力的なのは、結局はやはり圧倒的にジャンプなんすよね。
あとは、スピードとその中で失われない振付の所作、が続くのかなと。
そこに「表現力」を見出すなら、或いはそうした動作を音楽に乗せる辺りのセンスの独特さなのかも知れません。そこは、結構音楽というものの本質上どうも主観の入りやすいところで、実際解説者のコメントとか追ってると、割と好き嫌いがはっきり出るスケーターという印象もありました。
それこそ、ストイコとか(皮肉なことに)明らかにキム苦手っぽい感じで、前回も点出し過ぎとか批判してたし今回もソトニコワ勝って当然的なこと言ってたような。

URL | 有芝まはる(ry #RuQRrhTQ

2014/02/22 22:34 * 編集 *

スノーボーダーの國母和宏が似たようなことを言っている。
http://www.youtube.com/watch?v=HtIT0dVuOwo

>スノーボードのことだけやってきた奴だと思われたいですね。
>だから変なメディアに出てお金稼ぐとかじゃなくて、
>シンプルにスノーボードにどっぷり浸かって、そのまま消えていきたいですね。

URL | kiya2014 #.vjKhiP6

2014/02/22 22:49 * 編集 *

kiya2014さま>
どもです。
アスリートとしては、まずは「魅了すること」が原点ではあるのでしょうね。
トリックの複雑度も、その延長線、と。

URL | 有芝まはる(ry #LBrjZuRI

2014/02/22 23:57 * 編集 *

超個人的によく分からん、というか全く理解できないのは、浅田のあの完璧なFSを上回る点数が出ちゃっている、というところなんですよね。
最高難度の3Aを飛んでいるのは浅田真央ただ一人なはずなのに(どころか3回転全種制覇という怪挙)、正真正銘のニワカには全く持って謎採点です。
浅田より上行った選手は3回転を飛んだ回数が多いとかそんなくらいしか思い浮かばんとです。
殿下は「真央のお陰で上位陣のFSの点数が底上げされた」と文中で言っているように読めますが・・・・そういうことなら競技として正直どーよ? という話になるような。

教えて、まはる殿下!!

URL | NOBIE #-

2014/02/23 00:15 * 編集 *

私も同じことを考えておりましたので、共感しました。
http://yosh1a.blogspot.jp/2014/02/blog-post_22.html#more

真央ちゃんの12年来のファンとしては、トリプルアクセルが、現在の採点方式では評価が低かったのは残念ですが、プログラムが成熟して、トリプルアクセルを跳ばないと勝てない時代がやってきたときに、真央ちゃんの評価は今よりも高まると感じています。多くの選手がトリプルアクセル習得に苦労する中で「こんなに難しいジャンプを昔の真央は跳んでいたのか」と驚き、そのときに、改めて浅田真央のトリプルアクセルは真の評価を得て、歴史に刻まれると思います。その時がくるのが楽しみです。

採点方式に関しては、
「公平や正しさ」の追求の難しさの問題だと思いますが、この「公平や正しさ」というのは納得感という言葉に言い換えられると思います。観ている人が納得できるということ。ただ全ての人をというのは無理なので、審判をその道に秀でた誰もが認める人にして、納得性を持たせていますよね。
バレエなどそのよい例で、プロが採点すれば素人以上の視点で見ているのだろうと私たちが思うことで納得している節があります。その点、フィギュアの演技審判はスケート連盟の人であり、中には元選手もいるので、素人より詳しい点ではバレエと似ている気もします。
ただ、バレエも同じですが、芸術の判断が難しいのは、その人の人生経験(教わった環境(先生や国など))によって判断(評価)は異なる点ですよね。それにフィギュアの場合は、バレエや書道のように領域が定まっていなくて、総合芸術としての幅が広いからなおさら難しい気がします。(私はこの幅の広がりに魅力を感じているのですが)
歴史を見ても元々は図形(figure)を書く競技だったのが、ソ連が強い時代にバレエ要素が加わって芸術という見方が加速し、近年はロシア以外の台頭で、バレエ以外にもコンテンポラリーダンス、ジャズダンス、ヒップホップや世界各国のフォークダンスなどありとあらゆる舞踊を取り込んで発展しています。もしかしたら日本の舞踊やアフリカの民族の踊りが、今後取り入れられるかもしれないですよね(アフリカの選手が台頭してきたらの話)。
そうなったら、PCSの採点て今以上に難しくなりますし、フィギュアの世界もだいぶ変化するかもしれないと思っています。今の選手の評価は後の時代には変わるかもしれません。
長くなってしまって申し訳ございませんが、個人的には
演技審判になる人がフィギュアの歴史やダンスの歴史、種類など基本を勉強し、新しい表現分野がでてきたらすぐ学ぶような、常に感性を高めるような向上心と芸術面のプロになるという自覚をもつということで見ている人に、この人たちが言うことであれば納得と思わせるしかない気がします。できるかはわかりませんが。

コメント長くなってすみません。
素晴らし文章ありがとうございました。

URL | 殿下の下僕 #-

2014/02/23 10:21 * 編集 *

「フィギュアスケーターとして浅田のほうが記憶されてる」の根拠を知りたい。
むしろ世界的にはヨナのほうが“Queen Yuna”として記憶されてるんじゃないの?
あと、今回の採点はバンクーバーと違ってかなり物議を醸してるよ?
www.thewire.com/culture/2014/02/why-people-think-adelina-sotnikovas-figure-skating-gold-medal-was-rigged/358344/
www.washingtonpost.com/news/olympics/wp/2014/02/21/womens-figure-skating-recap-did-adelina-sotnikova-beat-kim-yu-na-because-of-russiaflation/
www.nytimes.com/2014/02/21/sports/olympics/adelina-sotnikovas-upset-victory-is-hard-to-figure.html
articles.chicagotribune.com/2014-02-20/sports/chi-women-figure-skating-gold-medal-20140220_1_yuna-kim-gracie-gold-carolina-kostner
twitter.com/JamieSale/status/436610337165422592
twitter.com/JamieSale/status/437255547440484352
twitter.com/JamieSale/status/436614821082308608
edition.cnn.com/2014/02/21/sport/kim-sotnikova-skating-controversy/
www.theguardian.com/sport/2014/feb/21/sochi-2014-south-korea-russia-figure-skating-gold-sotnikova-kim-yuna
www.morgenweb.de/sotschi/kati-witt-sauer-auf-preisrichter-1.1411448

URL | 殿下の下僕 #-

2014/02/23 11:42 * 編集 *

NOBIEさま>
極めて単純に言うと、あのFSは「6種の3回転ジャンプを全て跳ぶ」という、女子の競技史に例のないものではあるのですが、ジャンプの不得意は特に女子では誰でもあるので、苦手なジャンプでは加点されませんし、また連続ジャンプやトリプルアクセルは回転がギリギリなのでこれも加点対象にはなりません。技術的にはそれが点数伸び悩みの原因(まぁ、スピンも流石に浅田も加齢でやや分が悪いと思われましたが)。
芸術点に関しては、満点が決まってる性質から、先に滑る下位グループはやや下げられる傾向はあり、それはそれで問題なのですが、ちょい仕方ない面も。最終グループだったら70は軽く超えたでしょうね。

URL | 有芝まはる(ry #LBrjZuRI

2014/02/23 12:42 * 編集 *

yosh1aさま>
ブログ読ませていただきました。
「新採点方式に対する「模範回答」を打ち出したこと」というキムへの評価は深く頷くところではあります。

キムにとって難しかったのは、PCSやGOEが「満点」という屋根のある指標だったことで、周りに全員上積みの余地があるのに、どれだけ演技の「質」を向上させても何も(点数的には)評価がそれに合わせて向上しないポジションに立ってしまったことでしょう。
もうちょっと言えばこの採点システムでオリンピックの金メダルを2回連続で獲得するには、バンクーバーでの彼女の年齢でも「遅すぎた」ということにはなるでしょうか(技術力を維持するのが加齢によって困難となる、という意味で)。

採点方式は色々と問題を孕むものなのは確かですが、一方で「浅田の3Aを跳びつつ、かつキムのような素晴らしい幅と高さの3Lz+3Tを見せる、理想的な技術の女子スケーター」が出て来て、そしてそれを演技面で更に洗練させた理想的なスケーターが続く、という道を敷く際に、相応の意義は出て来るものなのかも知れません。
ただ、仰るような「アート」の要素は、多様化して来てなかなか一筋縄で「採点の基準」となるのは難しいかも知れないですね。

URL | 有芝まはる(ry #LBrjZuRI

2014/02/23 12:56 * 編集 *

下僕の人>
どもです。
個人的に引っ掛かったのは、上のWPの記事における会見なのですが、これが当地の聯合ニュースの手に掛ると
「キム・ヨナ 「一番のライバル」浅田にねぎらい」
http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2014/02/21/0200000000AJP20140221003800882.HTML
となってた訳です。
記事の中にも、WPが見出しにしたキムのコメントは一切なし。
「フィギュアスケーターとして」記憶されたいという思いを伝えられない辺りの「無理解」の起きる文脈の中に彼女が残ってしまった、という感慨というか引っ掛かりは、若干あるのです。
#韓国語の聯合ではそこは切り取られてなかった、かもですが。

なお、ソトニコワの点数が高すぎたかどうかと言われれば、個人的にも「高すぎた」という人を否定する材料は余り無いですね。一方で、競技の文脈でふらっと「高すぎる」点数が付くこと自体は前代未聞というものでも無いのかな、とは思われ、それもフィギュアスケートなのかなとは思ったりもします。

URL | 有芝まはる(ry #LBrjZuRI

2014/02/23 13:08 * 編集 *

いや、言ってること変わってないか?
このエントリを見るに、あなたは「キムは○○大会の△メダリストとしてより、フィギュアスケーターとして記憶されたがっている。でも、俺たち(非韓国人であるあなたが言うのだから、“世界の人々”という意味だよね?)は、あのFSひとつにより、浅田のほうを記憶する。キムが手に入れたくても手に入れられてないものを、浅田はすでに手にしてる」と言ってると取れる(ていうか、他に取りようがないよね?)。
でも、あなたのそのコメでは「(世界の人々はともかく)キムの周りにいる韓国人たちが無理解なので、キムは、自分がフィギュアスケーターとして記憶されてない(だからといって韓国においてキムが“○○大会の△メダリスト”などという“矮小な”記憶のされ方をしているわけでないのは明らかだから、ここでは、“ナショナルアイドル”“トップタレント”として記憶されてしまっている、ぐらいの意味かな?)という感覚を味わっている」と言ってるよね?

「文脈により、ふらっと高すぎる点数がつく」の意味がよく分からない。「誤審」との違いを明らかにしながら説明してもらえないかな?

URL | 殿下の下僕 #-

2014/02/23 13:51 * 編集 *

冒頭に
「このまさしく記憶さるべき卓越したフィギュアスケーター」
と書いてるのは、「分かってる人は確実にフィギュアスケーターとして記憶するであろう」という予期という意味合いも当然ながらあるのですよ。
ただ、こういう形で"was rubbed"がバズったりするような状況や、キムの思いよりも浅田とのライバル関係の方が大事なようなメディアの伝え方をされる状況は、そういう部分の純粋さを結果(浅田が不条理な僥倖で「記憶される」舞台を得た状況に比して)希釈する格好にはなるのではないですかな、とも。

URL | 有芝まはる(ry #LBrjZuRI

2014/02/23 15:03 * 編集 *

つまり、ライバル報道のせいで、両者ともフィギュアスケーターとして記憶されない危機はあったが、浅田はあのFSひとつだけでその危機を脱し、「分かってる人以外にもフィギュアスケーターとして記憶される」ことになった。一方キムのほうは、「分かってる人以外にはフィギュアスケーターとして記憶されない」だろう。…と、こういうことかな?
じゃあ、10番目のコメントの意味は何なの? 「(世界ではともかく)韓国ではキムは理解されない」みたいな書き方じゃん。
まあ、あなたの考えについて思うところを言えば、彼女たちがこれまで沢山の大会に出てきている中で、たった一つのFSでどうこうというのは、あまりにも非現実的だね。そりゃあ、あれは世間に浅田を記憶させる“一つの要素”ではあるが、浅田が記憶されるのは、その全キャリアによってだろう。同様に、キムもその全キャリアにより“Queen Yuna”として(恐らくは、日本以外では浅田よりも)記憶されると思うよ。ライバル報道云々ってのもなあ。これまでスポーツの世界で「好敵手同士」である人たち(そしてその関係をメディアによく取り上げられた人たち)はたくさんいただろうが、彼らは皆、「偉大なアスリートとして」世界に記憶されなかったのかなあ? むしろそういう“ドラマ”は(「団体、SPとミスった後での」浅田の例のFSがそうであるのと同じ理由で)、彼らを「偉大なアスリートとして」世間に記憶させる一つの要因になるんじゃないの?
そりゃあ、日本や韓国における加熱しすぎた報道に接していれば(まあそれに加えて、「報道に接する人が“日本人”または“韓国人”である」という要素も大きいけど)、「分からない人は」本質とズレた記憶の仕方をするかもしれない。たとえば、日本人の中に少なからずいる、フィギュアなんてほとんど知らないのに「(“高難度”な)トリプルアクセル」という1つの専門用語だけをつまみ食いして「真央ちゃんは、キムをひいきする審判にいじめられ続けた被害者」みたいに言ってる人たちとか。
でも、日韓以外の報道は十分にまともだと思うけどね。また、彼らはナショナリズム抜きで彼女たちを見るわけだし。

URL | 殿下の下僕 #-

2014/02/23 15:59 * 編集 *

×される/されない
○されやすい/されづらい

断定的な切り取りは、控えめに。

URL | 有芝まはる(ry #LBrjZuRI

2014/02/23 16:38 * 編集 *

「されやすい」「されづらい」てこともない、と私は考えるけどね。
キムの全キャリアによってキムがスケーターとして記憶されづらく、浅田の“他の”全キャリアによって浅田がスケーターとして記憶されづらく、浅田のただ1つのFSによって浅田がスケーターとして記憶されやすい…とは思えないわ。

URL | 殿下の下僕 #-

2014/02/23 17:01 * 編集 *

個人的には毎年単位の世界選手権がもっと評価されて欲しいとは思いますけど、世間的にはどうしても五輪>>>ワールドですが、世界的にフィギュアスケート業界としてもそういう風潮があるのは否めない部分でもありますね。
その中で、バンクにおけるキムの完成度は語り継がれるべきものではありますし、ソチにおける浅田のFSもまた語り継がれるべきものではあるでしょうか。

URL | 有芝まはる(ry #LBrjZuRI

2014/02/23 17:27 * 編集 *

ん~、何に対する返事かは分からない(あるいは返事ではないのかな?)けど、それは間違ってないと思うよ。

URL | 殿下の下僕 #-

2014/02/23 17:44 * 編集 *

両者は限界に向かうベクトルが違う。
浅田は女子が出来る最大難度を志向して、少なくとも出始めの頃は出来ていた完璧な演技を昇華させようとした。
ルール改定やらがあったとしてもその根底は変わらなかった。
だから点数でどう評価されてもそれは仕方ないという部分があり続けた。

キムは出来る演技が限界があったとしてもその完成度をルールの中で最大限に高めようとした。
ルールがキムに有利に働いたかどうか、あの国のロビイングなどはこの際置いておく。

で、どちらがスケーターとして名を残すかという問題はどちらがスケート史に名を残し続けるか、だろう。
バンクーバーでの男子をも超える評価を志向するスケーターが出るのか、浅田を超える難度を志向するスケーターが出るのか。

こればっかりは今後のルール次第じゃないかな。
今のままのルールだと浅田みたいなスケーターは出ないだろうし、出てもチャンピオンになることはないだろう。
点数のとりやすいジャンプ(≠難しいジャンプ)なり何なりのスペシャリストが出てくるんだろう。

でも浅田の出始めの頃のルールならあるいはチャンピオンとして浅田の後継者を見られるかもしれない。

個人的にどっちが見たいかと言えば浅田みたいなスケーターだけど。
果てしない限界にチャレンジしていく姿は見ていて美しいし見てる分には楽しいから。

URL |   #-

2014/02/25 04:30 * 編集 *

スケート史という記録的意味では、ベタですがまぁ、どっちも残るのとは思いますね。
確かに金メダルを獲った選手の方が記録に残りやすいのですが、一方でみどりちゃんやブラウニングがその新ジャンプのレコードで歴史に名を残すように(クワンのワールド5勝とかもそういう意味ではレアレコードか)、浅田のバンクでの3Aは、現状での女子における3Aの難しさを思うと、十分後世に残る傑出度の記録ではありますし。

URL | 有芝まはる(ry #LBrjZuRI

2014/02/25 22:08 * 編集 *

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