天皇賞回顧~「レースを支配できない」事態に
29.04.2012, 23:40:38 -edit-
なかなか、必然と不条理の行き交うレースではあったかな(挨拶。

暗転する舞台; OM-D E-M5 Lumix G Vario 14-45mm/F3.5-5.6 ASPH. (45mm) F5.6 1/100s ISO-640
◆ラップ:
12春天:13.0-11.6-11.3-11.7-12.4-11.9-11.9-12.7-12.7-12.7-12.1-11.9-11.4-11.7-12.3-12.5
06春天:13.0-11.7-11.5-11.9-12.2-12.2-12.0-13.2-12.6-12.7-12.9-12.7-11.3-11.0-11.2-11.3
はまぁ、余り意味は無く個人的なメモとして。
で、ディープインパクトが出たレースで、このレースに限らず余り今回のような極端な縦長で、みんな残り5Fでヤバいと気付いて追い出すみたいなのは、多くなくて、強いて言えば近似値として菊のシャドウゲイトとアドマイヤジャパンくらいかな、って所で(近似値、というのは、そもそもディープあのレースで1周目に掛ったのでそう後ろの競馬ではない)。
などと思いながら考えたのは、このレースのポイントは「何故、オルフェーヴルがあのペースであの位置取りになった」ってよりは「何故、あのような縦長の馬群がオルフェーヴルの出る競馬で実現してしまったのか」なのかな、ってこと。そしてそれを突き詰めると「オルフェーヴルがレースを支配できなかった」という辺りなのかなぁ、とも。
もうちょっと言えば、三冠馬ともあろうものなら、大体その「型」でもって圧倒する、というのは一つの経験値としてはあるかなと思う。ディープも、そしてシービーやルドルフ、ブライアンとてそういう「型」で語られるものであろう。オルフェーヴルは、そういう意味で「成長しながら走ってきた馬」でありそこまで明確ではないにしても、神戸新聞杯から有馬記念辺りである種の「完成形」は見えていた筈である。
ただ、それが阪神大賞典の逸走である意味「崩れて」しまった。
いや、馬の能力は変わる訳ではないけれど、それにしても「蓋を開けてみないと分からない」状態で、天皇賞を迎えることになった。そういう意味では「オープンなレース」になっていたと思う。
基本的には、あんな逸走を何度も繰り返すならもう競走馬の適性としての問題であり、ある意味自然体で行けばそう勢力図が変わる訳ではなく、その意味では「オープン」に見える状況であるなら却ってオルフェを蹴る方が悪手かと思われるような部分も、戦前にはあった。
しかし、三冠馬が「型」を持っている場合、馬群の中でどんな場所に居たとしても、レースを作るのは三冠馬であり、それが三冠馬の強みでもあるのだ。言わば、「出たレースで、常にレースを支配できる」ということ。
結果として、それが失われた形で「オープン」な状況となったことで、他陣営に、ある種の勇気を引きだしてしまったというのが、このレースのポイントだったと思う。多分、ある意味三冠馬をディスリスペクトする状況に支えられて、スティールキャストやアドマイヤジャパンよりは随分「計算された」戦略を、石橋脩は練ることが出来ていたのではないか。
その意味では、阪神大賞典の敗北から導き出された部分が、今日の敗戦の最も大きな位置を占めるとは思う。
その上で、阪神の暴走がある種の「想定外」であるとして、陣営のミスという意味では、今回のレースに向けての「中間」を整備しきれなかった面にある、とは思う。
調教再審査というのは、確かに大きな中間における障害にはなったであろうことは、想像に難くない。しかし、上にもやや触れたが、想定外の珍事はそう起きることがないから誰も想定しないのである。ならば、ある程度雑音を打ち消すように、「ルーチンをルーチンとして」仕上げることがもう少し出来ていれば、と悔やむ。オルフェーヴル自身の末脚は決して悪くなかったが、かといって「ベスト」とは言いづらい。あれ以上はこの日の馬場で出せるものと見えた。また、池添のコメントを信じるなら、仕掛けは坂下からだったというが、そこでの反応の鋭さも余り感じられなかった。もっと掛っても良かったと思う。
その意味では、この局面で最もやってはいけない「ツノを矯める」ような仕上げになってしまったことは否めない。池添の騎乗はミスだし、慌てた結果4角で外に振れたのは醜態だが、そこ以前で負けてるなら、調教師にそこは帰すべきなのだろう。オルフェーヴルの闘争心が傷ついている可能性が見られたのが、このレースにおける一番の後味の悪さだったのかな、と思う。
その闘争心を、もう一度競馬場で見せるか見せないかで、この陣営の前途も問われる、その気概を、何処になるかは今は見当も付かない次のレースで披露して欲しいと、心から願う。

暗転する舞台; OM-D E-M5 Lumix G Vario 14-45mm/F3.5-5.6 ASPH. (45mm) F5.6 1/100s ISO-640
◆ラップ:
12春天:13.0-11.6-11.3-11.7-12.4-11.9-11.9-12.7-12.7-12.7-12.1-11.9-11.4-11.7-12.3-12.5
06春天:13.0-11.7-11.5-11.9-12.2-12.2-12.0-13.2-12.6-12.7-12.9-12.7-11.3-11.0-11.2-11.3
はまぁ、余り意味は無く個人的なメモとして。
で、ディープインパクトが出たレースで、このレースに限らず余り今回のような極端な縦長で、みんな残り5Fでヤバいと気付いて追い出すみたいなのは、多くなくて、強いて言えば近似値として菊のシャドウゲイトとアドマイヤジャパンくらいかな、って所で(近似値、というのは、そもそもディープあのレースで1周目に掛ったのでそう後ろの競馬ではない)。
などと思いながら考えたのは、このレースのポイントは「何故、オルフェーヴルがあのペースであの位置取りになった」ってよりは「何故、あのような縦長の馬群がオルフェーヴルの出る競馬で実現してしまったのか」なのかな、ってこと。そしてそれを突き詰めると「オルフェーヴルがレースを支配できなかった」という辺りなのかなぁ、とも。
もうちょっと言えば、三冠馬ともあろうものなら、大体その「型」でもって圧倒する、というのは一つの経験値としてはあるかなと思う。ディープも、そしてシービーやルドルフ、ブライアンとてそういう「型」で語られるものであろう。オルフェーヴルは、そういう意味で「成長しながら走ってきた馬」でありそこまで明確ではないにしても、神戸新聞杯から有馬記念辺りである種の「完成形」は見えていた筈である。
ただ、それが阪神大賞典の逸走である意味「崩れて」しまった。
いや、馬の能力は変わる訳ではないけれど、それにしても「蓋を開けてみないと分からない」状態で、天皇賞を迎えることになった。そういう意味では「オープンなレース」になっていたと思う。
基本的には、あんな逸走を何度も繰り返すならもう競走馬の適性としての問題であり、ある意味自然体で行けばそう勢力図が変わる訳ではなく、その意味では「オープン」に見える状況であるなら却ってオルフェを蹴る方が悪手かと思われるような部分も、戦前にはあった。
しかし、三冠馬が「型」を持っている場合、馬群の中でどんな場所に居たとしても、レースを作るのは三冠馬であり、それが三冠馬の強みでもあるのだ。言わば、「出たレースで、常にレースを支配できる」ということ。
結果として、それが失われた形で「オープン」な状況となったことで、他陣営に、ある種の勇気を引きだしてしまったというのが、このレースのポイントだったと思う。多分、ある意味三冠馬をディスリスペクトする状況に支えられて、スティールキャストやアドマイヤジャパンよりは随分「計算された」戦略を、石橋脩は練ることが出来ていたのではないか。
その意味では、阪神大賞典の敗北から導き出された部分が、今日の敗戦の最も大きな位置を占めるとは思う。
その上で、阪神の暴走がある種の「想定外」であるとして、陣営のミスという意味では、今回のレースに向けての「中間」を整備しきれなかった面にある、とは思う。
調教再審査というのは、確かに大きな中間における障害にはなったであろうことは、想像に難くない。しかし、上にもやや触れたが、想定外の珍事はそう起きることがないから誰も想定しないのである。ならば、ある程度雑音を打ち消すように、「ルーチンをルーチンとして」仕上げることがもう少し出来ていれば、と悔やむ。オルフェーヴル自身の末脚は決して悪くなかったが、かといって「ベスト」とは言いづらい。あれ以上はこの日の馬場で出せるものと見えた。また、池添のコメントを信じるなら、仕掛けは坂下からだったというが、そこでの反応の鋭さも余り感じられなかった。もっと掛っても良かったと思う。
その意味では、この局面で最もやってはいけない「ツノを矯める」ような仕上げになってしまったことは否めない。池添の騎乗はミスだし、慌てた結果4角で外に振れたのは醜態だが、そこ以前で負けてるなら、調教師にそこは帰すべきなのだろう。オルフェーヴルの闘争心が傷ついている可能性が見られたのが、このレースにおける一番の後味の悪さだったのかな、と思う。
その闘争心を、もう一度競馬場で見せるか見せないかで、この陣営の前途も問われる、その気概を、何処になるかは今は見当も付かない次のレースで披露して欲しいと、心から願う。
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