FC2ブログ
09« 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.»11

殿下執務室2.0 β1

  : 

有芝まはるが綴る、競馬話その他の雑談、そしてYet Another Amateur Photography。

女子代表ワールドカップ優勝、プロセスと結果と。 

 まぁウチでも、軽く祝杯をあげて、スポーツ新聞を買ったりなど、出来ることからコツコツと(挨拶。
#あと、エンブレムに星付けたユニ出したら即買いするので、アディダスは早く出して下さい!(笑)

ささやかな祝福
ささやかな祝福; DMC-TZ7 DC Vario-Elmar 1:3.3-4.9/4.1-49.2ASPH.(4.4mm) F3.3 1/50s ISO-80


 一方で、今回の件だけでなく、これだけのエモーショナルな結果をもたらす代表に対して、我々の側が十分に与えているものがない、或いはそういう環境を与えるという「プロセス」による必然的な「結果」ではない、みたいな話題はちょくちょくと挙がってきている。

 これは確かにそうなんだけど、な反面、実際に女子サッカー自体、ワールドスポーツとしてやはりまだ興行的にはかなりか細い、みたいな部分は否めず、これは世界的にもそう一朝一夕に解決するモノではない、みたいな辺りで考え込んでしまうところがある。例えば、個人カテゴリとしての「女子サッカー世界一」は現在文句なしでブラジウ代表に君臨し5年連続女子世界最優秀選手に輝くマルタであるが、この選手のサラリーをぐぐって見たところ「大体40~50万ドル」という数字を目にした。
 無論、個人スポンサーとかあるから一応億万長者行くかもっぽいレベルかなとは思うが、単純に男子のトップが大体クラブからの年俸だけで10億届く現在にあっては、20分の1以下という勘定ではある。しかも、これを支払ってたマルタのチームは、1つ破綻してたりもする、くらいで、まぁ女子不動のバロンドールにおいてすらこれでは、頂点まで行っても実際そう「裕福な」スポーツではない。余程、ショーン・ホワイトが億単位で稼ぐ罰ゲーム業界辺りの方が上であろう。
(追記):ESPNの記事によると、米女子リーグのサラリーキャップが現在60万ドルで、更に減額の動きもある、とか。「ホープ・ソロの壁紙をダウソして、ラピノみたいに金髪に染める以上に、もっとこの競技への貢献としてやることはあるんだ」というコラム子の呻きは、いずこも同じな光景、というか。

 逆に言えば、そこまで「巨大な投資」をイメージしなくても、ちょっとずつの積み重ねでサポートすることで、我々も世界に伍していけるジャンルである、とは言えるのだろう。また実際現状として、中学にもなると女子のサッカー部が存在する学校自体少ないよね、みたいな話は昨日H5師匠がTwitterで話してたりして、そういう部分での組織的な充足の余地もあるのかも知れない。
 しかし、根本的には「グラウンドにはゼニが落ちている」というレベルでアスリートを集めるような競技ではないことも、ある種の制約としては存在するのかな、とは思う。一方で、アメリカなどを考えると、アメリカのサッカーインフラが向上したのは「スポーツ女子的な理想像」みたいな文脈から発展した、みたいな方向性がある。本朝でこれをマネすると「悪しき体育」カルチャーみたいなのと安易に迎合しそうで色々イカン部分はあると思うが、何というかある種の「スポーツの正気」みたいなのを、アイデンティティとしてどう洗練させていくか、みたいなのは、サッカーに限らず本朝スポーツ界として「百年計画」的な文化構築プロジェクトとして考えるべき、なのだろうなぁ、とも。
 それが、コミュニティや企業などを、長期的に利するだろうとは思われるだけに。

 一方で、「プロセスが足りないのに勝ったのは正当なのか」的な疑問があるとすれば、それには異議を差し挟むべきかな、とも。スポーツとは詰まるところ、瞬間に凝縮された芸であり、ストラテジーのアートである以上にタクティクスのアートである。もうちょっと言えば、その「瞬間」に至る小さな「あや」というべき些末かつ制御しづらい文脈との折り合いまで含めて、それは鑑賞されるべきモノであろう。
 インフラと個の能力に劣後する日本代表で、宮間と澤の決めたゴールは、まさにそうした「瞬間の芸術」の粋であったと思う。男子代表のゴールと比べると、やはりボディコンタクトの「強さ」みたいな部分に関してはかなり落ちるものではあるが、フリーになった状態での動きとしてはかなりディテールの籠められた中での必然、というか。まぁ後者に関しては、ワンバックの頭に触れてゴールを揺らしたという皮肉はあったものの、ソロの飛びつけるかギリギリのコースを狙いつつワンバックにクリーンヒットしてクリアされない中間、的な辺りの完成度は、逆に無駄に高く感じたものであった。そもそも、あの混戦で低い弾道での「脚を使う」ゴールへのアプローチ自体に、ある種の芸術性を見出せるし。

 一方で、そうした個別ゴール以上にやはり心を打ったのは「120分間の戦い方のディテール」ではあっただろう。アメリカの序盤の猛攻はやはりかなり無理はあり、スーパーサブ的なパサーであるラピノを先発投入してパスワークで試合を支配する意図はあったものの、それを90分通すようなモノではなかった。実際、彼らはその猛攻の尖兵となったチェイニーを怪我で45分で替えるハメになったが、実際早い段階でモーガンにスイッチする部分まではプランの通りという「消耗戦」ではあったのだろう。
 この辺りに関しては、Slateの記事で面白い表現があったのだけれど、曰く
The Americans dominated the early part of the game by out-Japanning Japan (keeping the ball, using the whole pitch, building attacks from the back). Japan won it by out-USAing America (staying cool under pressure, saving their best for the end).

つまり、日本以上に「日本らしく」戦ったアメリカを、アメリカ以上に「アメリカらしく」応じた日本が上回った、みたいな。
しかしこの落ち着き自体は、個人的には男子代表においても、南アフリカ以降などでは「成長」を実感した部分ではあった。その上で、この落ち着き自体は「王者の風格」的な、勝利によって得られるものというのが、半ば正しく、半ば誤っているのかな、という思いもあり。それが単に「風格」であれば、日本の選手達が「out-USA」することは出来なかったであろう。
 恐らくは、彼ら・彼女ら青いシャツを着たエリート達は、戦いながら「勝者」がいかに「勝者であるか」を適切に学んだ、ということなのであろう。この辺りになるとある程度「プロセス」のレイヤはあると思うが、技術や体格ではマネできない部分を、大会中の試合観戦やビデオでの検討などを含めて、ある程度「模倣」し、かつピッチにおいて実践を繰り返し続けたことで「集中」という字面の言葉だけではなく、「どの程度の強さと、どの程度のペース配分で行けば」という定量化に、決勝の舞台で成功したのではないか。

 そこに到達するためには、確かに愚直な反復練習に代表されるような「自己犠牲」も大きいとは思うが、それ以上に「適切な学び」と、それを確信するための「信頼感」が重要だとは思う。と、プロセスに立ち返って思うに、「スポーツの正気」の基盤も、詰まるところは「チームワーク」的なコミュニティ性を、個々人だけでなく、社会の様々なレイヤにわたって有機的に結合することに尽きるのではないだろうか。男女代表のこうした活躍を見る限り、サッカーにおいては、インフラ面の課題は残しつつも、サッカー文脈の中でそうした「コミュニティ」としての完成度は作ることが出来る、そして「信頼感」を大いに欠乏させているように見える本朝の社会の中でも、ミクロなレベルではそういうものはポテンシャル的に各所に実現してるであろうだけに。
 一方で、その文脈で「勝利を共に喜ぶ」ことは、案外重要だとは思う。それをナショナリズムと唾棄し、「成功はあくまで成功した個人のモノ」という成功自己責任主義は、詰まるところそうした「正気」を毀損する方向にしかならないのではないだろうか。まぁ、アスリート個人が億万長者を目指す的なハングリーさはスポーツの重要な要素ではあり、「スポーツマン個人」がそう思うのは、結構悪い話では無いんだけれど、桟敷の声としては、ちょっとね、と。

◆以下追記。
 ちょっと本文には纏めきれなかったが、上述Slateコラムの最後の段落は、なかなかグッと来る。ヤツらアメリカ人は、自分たちが「悪役」であり「ラスボス」であることを十分に自覚して、それこそが「自分たちが強くなるためのプロセス」だと分かってやがるのだ。蓋し、世界一スポーツ好きな国民の矜恃。
 やはり我々はまだ、忌々しいことに、アメリカ女子サッカーを追い掛ける存在、なのかも知れない。絶対次もぶっ倒して、こいつらの顔に泥塗ってやれ、「試合」での強さで!
It was clear going in that Team USA could never rival the feel-good story of the Japanese, who dedicated their tournament to victims of the tsunami and nuclear disaster. As a result, the media covered the U.S. team more as a sports team than as a roving band of inspiration. And because of the way the final played out, it wasn't even possible to reduce this team to some quality of can-do gutsiness. For most of Sunday's game, the U.S. women didn't look like plucky underdogs. They just looked like a team that was really good at soccer.
スポンサーサイト



このエントリーをはてなブックマークに追加

テーマ: なでしこジャパン

ジャンル: スポーツ

サッカー  /  tb: 0  /  cm: 0  /  △top

コメントの投稿

Secret

△top

この記事に対するコメント

△top

トラックバック

トラックバックURL
→http://mdenka.blog85.fc2.com/tb.php/1844-8d4778b9
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

△top