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殿下執務室2.0 β1

  : 

有芝まはるが綴る、競馬話その他の雑談、そしてYet Another Amateur Photography。

断片的に。 

 最近、フォト蔵もはてブ数出すのね(挨拶。

夢を追い疲れ
夢を追い疲れ posted by (C)有芝まはる殿下。
Nikon F3 Ai Noct-Nikkor 58mm/1:1.2 F2.0 1/125s Kodak Super Gold ISO-400

 個人的には、配合ってある種の大局観が必要というか、ある血統表を眺めた時に、下から累代を眺めながら「どのようにアップグレードされているか・いないか」の手筋を確認する側面が結構要諦みたいなところがあって、それを確認するツールとして配合論がある、的な位置づけ。
 その意味で言えば、勿論「手筋」に対しての結果がある種のフィードバックとして得る作業としての「競馬をある種澄んだ眼で見る」ことが割と重要な気がするし、恐らく血統を馬券に活かせる人ってのは、配合論のバックボーンにおける精緻さだけではなく、そうしたある種の先入観を排した状態で競馬を見る力が備わっているのかなぁ、みたいなことも考えたりする。この手筋は無論単に「見る」だけではなく、Targetや昔で言えば熱血解析的な解析なども結構大事であり、例えば今でも競馬通信出身な方とかはそういうのをマメにやりながら、ある種の「目」を育てていく的な部分もあろうなぁ、と。
 ただ一方で、「見る」ことがセンス的な面では重要であり、一方で競馬というスポーツは事前に馬券を購入するという行為故に先入観を持って観戦してしまいがちな競技であり、どうしても外れた場合に「結果が間違ってる!」と言ってしまいがちな側面はある。
 そうした悔しさを出してしまうアツさは確かに競馬を愉しむのには重要だし、負けたからと言って安易にフォームを変えるような行為が「上達」の敵であるのはどんな道でも変わりはしないと思うのだけれど、一方で競馬の結果にある種の正義を見る謙虚さの中にある種の競馬を深める道はあるんじゃないかな、ってことも考える訳である。もうちょっと言えば、馬体派であれ血統派であれ調教時計派であれ、個人的にはそういう真摯な謙虚さを感じる片鱗が文章にあるかどうか、その上で言い切る局面においてのある種の修練の積み重ねを感じるか、という辺りに信頼性を見出すってのはあり。因みに、後者の方はやや基準が厳しく、ちょっと並ならぬ修練、みたいなのを感じさせないと食い付きづらい、かな。
 で、冒頭のような血統観を共有できる人においては、血統ってのはあくまで大局であるので、大局であるからこそ「血統表が走る」的な考えを有してない、ってのは明らかだと思う。その辺りは、あんまり誤解されると、ちょいもにょるかな、なんてことは思ったり。
 一方で、逆に大局として過剰に空論的に取られると、いやまぁ基本的にはリアルの動きから逆算してある種の絵を描いてるんだから、それが非実学的なものかって言われると、ちょっと納得はしませんよ、という所ではありますかな、って辺りで、どっとはらい。
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テーマ: 競馬

ジャンル: スポーツ

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