ブログの改行の意味合いとか。 
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◆ブログの行間@六本木で働いていた元社長のアメブロ
私の場合、パソコンでも携帯でも見るんですけど、行間がぎちぎちに詰まっていて、細かい字のほうが、集中して読めるし、スクロールしなくていいので、パッとみて、すぐに別のブログを見られるので、都合がよいのですが。
堀江貴文氏の何がしかの文化における最大の貢献の一つは、日没閉門氏の浩瀚な競馬予想をサイバーワールドに送り出したことでありましょう。そして、ご存知の方はご存知の通り、アレはとにかく長い。字数に制限のある紙メディアではまず不可能な作品であり、往時のダービースクエアでは「2ギガバイト」とも呼ばれた、エッセイとしての軸を確かに持ちながら騎乗や駆け引きなどの微を穿ち配合論にまで立ち入り、最後まで読むまでに普通の競馬新聞1冊読めるような気合を読み手に要求する長口上(144kのモデムだと予想メールが来たときに、添付ファイルもないのにDLするのに数秒以上を要した)は、確かにネット黎明期におけるある種のモヒカン的文化の精華ではありました。そして、そういうものを送るメディアを提供していた堀江氏が、冒頭のようなエントリをしたためる心象というのも、また味わい深いものがあるよな、とも。
一方で、確かにあの予想をメーラーでギチギチの行間で読んでいたことを懐かしむ一方で、結構没師の予想って、改行も多かったんじゃないかなぁ、なんてことを思い起こしたりもして、例えば1998年の秋天辺りをサンプルにちょっと調べてみたり。予想文は、えーと、ををあったあった、Web Archiveに。まぁ、これを見て興味を持たれた方は、Amazonあたりで「文字のパドック」注文してくださればと。にしても、この文章を書いた時の年齢にもはや達しつつあり、遂にこれだけの文章を書けるに至らなかった自分の凡庸を恨む。
はサテオキ、この約20000字の予想文から、シルシの部分や見出し・区切りを除いてWordでカウントしてみると、段落数は182段落となっています。一方でセンテンス数は310だから、やはり改行率は結構高い。代表的な辺りでは、以下の部分なんかは、かなりきっちりと文章ごとに段落切ってる部分だったりしますよね。
今年の秋の天皇賞は特定の馬の個性と能力が際立って話題になっているわけだが、それを勝利の方向へ導く騎手の役割分担は大きい。
しかしその騎手と馬とのコンビネーションに、僕は信を置く気に最後までなれなかった。
それは武豊とサイレンススズカが今までにないことをしようとしているように思えるからだ。
テン3ハロンを34秒台、前半1000mを57秒で走り切るような2000mの競馬。
それは、強く個性や主張を伴うもので本来は歓迎されるべきものだ。より速い未来のスピード競馬を先取りするようなものかもしれない。
こうした競馬が強烈な逃げだけで成し遂げられるという話になると、自分の経験リストの中にないことであり、大袈裟に言えば、そのうち追い込み馬の出番などが全く失われて、展開を楽しむ余地がやがて競馬から消失してしまうような不安を少し感じてしまう。
前でスピードを持続する馬というのに、自分は高い評価を今まで与えてきたつもりだが、それは他の馬とのからみの中で演出された時に輝くのであり、潜在的スピードの絶対値の違いだけでそれが行われるとなると違和感を覚える。
要は新しい扉が開けられる気持ちの準備ができていないのだが、その一方で武豊がサイレンススズカのペースが過去の常識、既知の事実というボーダーを超えんとする時に、いかなる反応をするのかはとても興味がある。
この辺りは、ある種のプレゼンというかスピーチ的な呼吸を文章から感じるところではあるのですが、実際行間はともかく段落区切りもしないと、結構ネット文体としては「早口にまくしたてる」的な印象が出てくるのかなぁとは思われ、まぁその辺りで「落ち着かせる」ような語りをするならば、こういう段落とか行開けを活用するってのはオーソドックスではあるのでしょう。ラノベなんかもやたらと改行するけど、あれは描写において会話部分が相対的にかなり多いので、半ば「芝居の台本」的な意味合いで改行するのかな、みたいなことは思うけど、それはおいといて。
で、ブログでの改行ってのが特に芸能人のブログとかでよく見られるのって、アレは何か、そういう「間合い」がショウ的な文脈で使いやすい、みたいな部分があるのかなぁ、と愚考してみたり。要するにアレだ「続きはCM」みたいな感じで、引っ張りを多用しながら話を進めていく、みたいな進行。或いはライヴのMCで「おいっす〜!(おいーっす)声が小さい!もう一度?おいっす〜!!(おいーっす!)」みたいな、相手のインターアクションを前提とした間の空け方、みたいな感覚というか。もうちょっと言えば、パフォーマンスを行う対手に対して「聴き漏らし」を減らすような部分での気の持ち方みたいなのを普段心がけるような中で、「トーシロさん相手の間」みたいなのをはかった結果がああいう「行間の開いたブログ文体」みたいになる可能性はあるんじゃないですかね、と。
まぁ、実際に受け手がそういう距離感で読んでるかは非常に微妙なんだけれど、書き手は詰まるところ受け手のそういう状況までを考慮するのは難しいかな、ってのもあったりで。実際ブログの「良い書き手」にはなれても、「良い読み手」になれるのは芸能人のような人には難しいかな、って気はしますし。


コメント一覧
ああ、懐かしい文章を久々に目にしました。
これに呼応して、長文をMLに投稿しましたなあ。
あの頃はやはり若さゆえのエネルギーがあったなと思ったのは、稚拙にせよあのような言葉数を羅列することが、今の自分にはもうできないことで。
10年の月日は「物言えば唇寒し」の、おそらく世間一般とは違う意味で痛感させられるには充分だったと言うことでしょう。
すなわち、パフォーマティブな物言いができない人間の言葉には意味がなく。
はさておき、ネットを始めたばかりの頃は、BBSへの書き込みは「原稿用紙」のように行っていました。段落始めは一字開け、コメント欄の枠に来たら改行キーを押し、段落単位で空行を入れることはない。
文章とはそのようなもので、メディアに適合した変更など愚の骨頂と思っていたのですね。若いことでした。
にしても、さほどPCでの文字打ちに慣れているとも思えない芸能人が、自然とメディア適合的な表記を獲得していくというのは、面白いことでもあり。
で、もし◆師のエッセイを語らせるとしたら、誰に読ませたらいいですかねえ。
天皇賞、JRAのサイトで録画を見ましたが、13分間の写真判定のドキドキを経験できなかったのは残念です。
しかし、およそ語り口切り口は多くあるレースなれど、あれから10年の後に出した1分57秒2というタイムはなかなか衝撃的な数字で、
12.6 - 11.1 - 11.5 - 11.9 - 11.6 - 11.6 - 11.7 - 11.3 - 11.3 - 12.6
とりわけこのラップを刻んだダスカと、これを差しきったウオッカの凄さは語るに言なしというところでしょうか、特に上記の◆師の文章と比べると感慨深く。
宮嶋さま>
どもです。
何となく秋天終わるのを待って遅レス。
レスライターとかブックマーカーとしてはあれだけキレがあるのですから、あとは羅列に持ってくるかは体力的な問題ってのもあるのかも?
ただ、こういう鉱脈がある意味埋まってる、みたいなのは今日の競馬なんか見てて思ったところで、若い人たちが今日のようなレースを見てどういう創作意欲的な部分を刺激されるだろうな、なんてことを考えたりしてました。
>もし◆師のエッセイを語らせるとしたら、誰に読ませたらいいですかねえ。
競馬文化人的なヒトって最近は確かに余りいないというか、そういう点では源ちゃんと直子氏の破局って結構密かに影響してた部分はあるのかなぁ。あとは山田雅人が変な意味でローラーかけちまった、とか(苦笑)。案外、井森美幸とかが◆師のエッセイじっくり読み込んだら、結構真面目に当時からの記憶とか思い起こしつつ、面白いトークしてくれるかも知れません。
>あれから10年の後に出した1分57秒2というタイムはなかなか衝撃的な数字
でも回顧にちょろっと書いたけど、「タニノとダスカが競ってればなぁ」なんてことも考える辺り、人間の欲というか業の深さではあります。
>若い人たちが今日のようなレースを見てどういう創作意欲的な部分を刺激されるだろう
そこは別に思うところがあって、秋天懐古の方へ。
>面白いトークしてくれるかも知れません。
土曜競馬に井森美幸って、個人的には意外なチョイスではあったのですが、しかし萩原流行とは比べものにならないデキなのが面白く。
(正直、北野誠と川村ひかるを変えた理由が人心一新だったとしたら、それは勿体なかった。川村ひかる、土曜日の北海道文化放送の競馬特番にゲストで呼ばれて、須田鷹雄に請われてレース後の配当読ませたら貫禄が凄まじくて、須田が爆笑したというエピソードを実際に見てるだけに)。
で、ここのところ、実は「誰に“ナレーション“させたらいいでしょう?」という趣旨だったのですが、改めてお伺いしていいでしょうか。
宮嶋さま>
あぁ、ナレーション、というお話ですね。読み違え失礼。
没師本人が結構いい声してるんで、俺の中では本人声で脳内再生されてしまい、微妙に他が思いつきづらいっす(笑)。