有芝まはるが綴る、競馬話その他の雑談、或いは反逆のドゥ・ロワイユ=デュプレ。
何となく雑談。
 子どもが、もうすぐ2歳である。
 で、最近であるが、そろそろピタゴラスイッチを卒業し始めている。何となく、録画リストからピタゴラを選ぶと嫌がることが多い。それでも膝に乗せておけば見るは見るんだけれど、前ほど熱心に眺めてる感じではないし、どちらかというとニコニコでとかち()とか見せてるときのほうがいい顔をしてるので、親父が見てるから付き合いで見てるみたいな雰囲気ではあるのだろうか。最近は何だか、「赤ちゃん扱い」されたくない、みたいな感覚は他にも色々あったりするので、或いは「ピタゴラ見て喜ぶなんて赤ちゃんなんだよ」ってのが本人的な気分なのだろうか。多分それは違うぞ、息子よ(笑)。
 因みに最近面白かったのは、麻智さんのお腹が大きかったときの写真を見て、見るたびにお腹をさして笑ってるのな。何か、他の赤ちゃんを見て「かわいいね〜」みたいになってる時と同じ反応だ、とは麻智さんの言であるが、本人的には既に懐かしい過去がそこにあったのかも知れない。それとも単に弟妹が欲しいだけなのか?にしても、お腹の中の記憶とか語ってくれると面白いので、出来ればその記憶が残っている間にもうちょっと色々言葉覚えてくれるといいんだけれど。つか、単語は結構覚え始めたけれど、まだ発音が唖語っぽいんだよな。「雪→あき」「酸っぱい→あっぱい」とか。しかし何故か「ちんちん」だけは正確に「ちんちん」と、ご丁寧に股間を指差しながら発音しやがる。男の子ってこういうもんよね。
 で、2歳の誕生日プレゼントは、ピタゴラですら赤ちゃんっぽいと思うような背伸びさんらしく、ちょっと先の話だけれど某アイスショーのチケットなどを買って、子連れで行くことに。つか、かなり俺の衝動買い。一応何かあったらすぐに遁走できるように出口近くを確保しておいたものの、ちょっと回りに迷惑掛けないかは不安タラタラではある。基本的には大人しいし、そろそろホールとかの音響とかにもビビらなくはなってきてる、と期待したいが。まぁいざとなったら敗者復活戦で夏のネズミー・オン・アイスがあるさ!くらいの気持ちで。

◆「生き方」的なものの一般化
 しんざきセンセイの所で読んでてつらつらと考えたのだけれど、どうも一般化したがるってのはある程度こういう問題を政治的なレイヤでとらえてるからかな、みたいに思わなくはない。要するに、何のかんの言って、ある種のライフハックを多数の人が採用することによって自分の生活環境が悪くなるみたいな危機感が「反論」を投げることの背景にあるのかなぁ、なんてことも。要するに、自分に適合するかどうか、って文脈よりも、不特定多数の他人がライフハックを有効に活用することで、「ライフ」におけるある種の「敷居が上がる」、ないしはそのハックが適合する人と適合しない人の間にアンフェアが発生することへの恐怖感、みたいなのは感じられなくないというか。

◆チベット話。
 難しいな、と思うのは、ある程度チベットの中でも「ダライ・ラマ的な宗教立国」モデルを記憶していることが減少していることで、ある程度「現代的な民族主義」としての活動にチベットの独立運動が転化しているかもな、ということ。勿論、ダライ・ラマ師はそういう流れを否定していると思うのだけど、一方でチベットが「ダライ・ラマ的な宗教立国」を回復することが可能か、というと、現代にあってはある種の絶望感も。実際、ダライ・ラマのチベットが明清代に独立性をある程度保てたのは、恐らく中華帝国側のモンゴル政策という都合が存在していたからであり、それは現代において不要なのは事実。また、チベット自体がある種「閉鎖国家」としてアイデンティティを保ってた訳だけど、それも果たして現代社会で実現するものなのかは。そうなると、中華によるチベットへ弾圧への回答としては「現代的な民族主義」にならざるを得ないかもだけれど、それってやっぱり「退いても地獄、進んでも地獄」の世界にしか思われないんだよなぁ。
 個人的には、「経済特区」ならぬ「文化特区」的なモデルでチベットの自治を再構成する必要はあるかとは思うのだけれど、それも周辺民族から見たら「チベットだけが(過去の歴史同様)特別扱いされてる」みたいな雰囲気に見えるだろうし、うーむ。

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