◆悲しいのです@cocoonP
恐らく、cocoonPはカズマ氏がここ最近「MADに対する格付け/ネガコメ」の是非を巡って悩んでおられたという文脈もご存知の上で書かれてるとは思うので、やや釈迦に説法かも知れないのだけれど、「自己承認のために声を出して欲しい」ってのは、「ネガティヴなコメント」をフィルタできるものではない、とは思うのですよね。もうちょっと言えば、「観る側」の視点で、別にそんな非難とか言うつもりはなくとも、結果としてPの創作意欲を大いに減退させるコメント、ってのはあるんではと思う。例えば有芝は過日サーディPのエフェクトについて「わかむらPのフォロワー的」と書いたけれど、これなんかは読み方によってはPの間で鼎の軽重というか、格付けしてるみたいなネガティヴな捉えられ方される可能性はあったなぁ、みたいなことは考えたりもしてて。あと、ある作品に関して観る側が勝手に講釈をぶった場合に、それが作り手の意図してた作り方と全然違う場合、そんなもの読んで作り手は「自己承認」的な感覚を得られるの?みたいなのはある。そうこう考えると、賢しらな解説や、或いは熱烈な愛着をベタに語ることもケースバイケースなんかも知れない。むしろ、いい作品はさらっと動画の上に「GJでした!!」と書くのが回りまわって最も確実度の高い「お布施」なのかなぁ、なんてことも「観る側」的に思ったりもする。
ところで、恐らくアイマスの「観客」、まぁ「見る専」と置き換えてもいいですが、ってのは、基本的にクリエイターがアマチュアだってのを意識する部分が大きい故に、ある程度プロ相手よりも気を遣う傾向はある気がする。要するに、落語家ではないが「あくび3つですぐに死ぬ」クリエイターがいることを前提にした上で、「あくびでクリエイターを殺す」ことに対しての罪悪感を感じる傾向は強いんではないだろうか。これがプロ相手ならば、死ぬ方が悪い、こっちはカネ払ってんだ、という話になるんだろうけれど、対価を得ずに娯楽を提供するアマチュアにそれを適用するのはある種の不誠実というか、「観客道」にもとる、と。
で、この辺りで感想ブログの立ち居地が難しくなる部分はあると思う。
つまり、ブログのエントリってのは基本的にはそれ自体「創作活動」な訳です。それ自体が自己本位というか、MADを作るのと同様な「自己承認の撒き餌」としてのレイヤもある訳で、その感想文の対象たる作品の作り手に対してという視線だけで書いてる訳ではない。その意味では、感想ブロガーってのはその段階で、「単なる客」ではなくなってるのですよね。ある意味、自分の創作物として人に読ませる批評を書く文脈で、上述のような観客道にもとるようなことをしでかしてしまうかも知れない。そういう立場と「単なる客」として見る立場の間の板挟み的な部分に、カズマ氏の悩みはあるのかと。
#誤解ならすまんです >カズマ氏
その上で、現状のカズマ氏のように「距離をおく」ようなスタンスも一つのやり方かも知れないが、それは確かに寂しいというか後ろ向きかもと思わなくもない。
そんな中で、MAD作者が感想ブロガーの語らいを受けたい/感想ブロガーがMAD作者に気兼ねなくエントリを上げたいのならば、ある程度、感想ブログの中の人たちを「アイマスMADの創作の仲間」としてみる必要があるんじゃないかな、という気がする。例えば、P同士で議論するならば、ある程度辺りの丁々発止な議論も、自分の能力を高めるためみたいな感じで受け入れられるだろうけれど、それに近い感じで「ただの客」と会話する用意があるか、という話。実際、プロレスなんかにおいては、実況アナはある意味その存在自体がもはやプロレスラーそのものに近い。感想ブロガーがそういうものだという視点で、彼らとプロレスが出来る関係を持てれば、Pと感想の書き手の関係は向上するのかなぁ、なんてことを思ったり。関係ないけど、古館伊知郎がプロレスアナとしては素晴らしく、それ以外のスポーツ実況では毀誉褒貶があり、ニュースを語らせたら明らかに全然ダメなのは、プロレスアナをしてる彼はプロレスラーだった一方で、それ以外のスポーツにおいては実体の競技との関係がやや相対化されており、ニュースにおいては明らかに対象と自分を別物として対立させてるから、なんではと(その意味で、古館がプロレスアナだった時代を知る人ほど、現在の古館に失望してると思われ)。
ただ、絵を描く/作るスキルの無い人がそういう所に気後れせずに上がれるかとか、MAD職人側でもそういう関係を築くには最低限のリテラシーを求める部分はあるのでは、って辺りはちょっと分からず、微妙に思案してしまうところではあるんだけれど……。
◆その他、本日の話題。
本題とは関係ないですが、プリブラ150万にて、Sランク達成。
「クラーク、スタルヒン……」はちょっと面白かった。祭りとは関係ないが。

恐らく、cocoonPはカズマ氏がここ最近「MADに対する格付け/ネガコメ」の是非を巡って悩んでおられたという文脈もご存知の上で書かれてるとは思うので、やや釈迦に説法かも知れないのだけれど、「自己承認のために声を出して欲しい」ってのは、「ネガティヴなコメント」をフィルタできるものではない、とは思うのですよね。もうちょっと言えば、「観る側」の視点で、別にそんな非難とか言うつもりはなくとも、結果としてPの創作意欲を大いに減退させるコメント、ってのはあるんではと思う。例えば有芝は過日サーディPのエフェクトについて「わかむらPのフォロワー的」と書いたけれど、これなんかは読み方によってはPの間で鼎の軽重というか、格付けしてるみたいなネガティヴな捉えられ方される可能性はあったなぁ、みたいなことは考えたりもしてて。あと、ある作品に関して観る側が勝手に講釈をぶった場合に、それが作り手の意図してた作り方と全然違う場合、そんなもの読んで作り手は「自己承認」的な感覚を得られるの?みたいなのはある。そうこう考えると、賢しらな解説や、或いは熱烈な愛着をベタに語ることもケースバイケースなんかも知れない。むしろ、いい作品はさらっと動画の上に「GJでした!!」と書くのが回りまわって最も確実度の高い「お布施」なのかなぁ、なんてことも「観る側」的に思ったりもする。
ところで、恐らくアイマスの「観客」、まぁ「見る専」と置き換えてもいいですが、ってのは、基本的にクリエイターがアマチュアだってのを意識する部分が大きい故に、ある程度プロ相手よりも気を遣う傾向はある気がする。要するに、落語家ではないが「あくび3つですぐに死ぬ」クリエイターがいることを前提にした上で、「あくびでクリエイターを殺す」ことに対しての罪悪感を感じる傾向は強いんではないだろうか。これがプロ相手ならば、死ぬ方が悪い、こっちはカネ払ってんだ、という話になるんだろうけれど、対価を得ずに娯楽を提供するアマチュアにそれを適用するのはある種の不誠実というか、「観客道」にもとる、と。
で、この辺りで感想ブログの立ち居地が難しくなる部分はあると思う。
つまり、ブログのエントリってのは基本的にはそれ自体「創作活動」な訳です。それ自体が自己本位というか、MADを作るのと同様な「自己承認の撒き餌」としてのレイヤもある訳で、その感想文の対象たる作品の作り手に対してという視線だけで書いてる訳ではない。その意味では、感想ブロガーってのはその段階で、「単なる客」ではなくなってるのですよね。ある意味、自分の創作物として人に読ませる批評を書く文脈で、上述のような観客道にもとるようなことをしでかしてしまうかも知れない。そういう立場と「単なる客」として見る立場の間の板挟み的な部分に、カズマ氏の悩みはあるのかと。
#誤解ならすまんです >カズマ氏
その上で、現状のカズマ氏のように「距離をおく」ようなスタンスも一つのやり方かも知れないが、それは確かに寂しいというか後ろ向きかもと思わなくもない。
そんな中で、MAD作者が感想ブロガーの語らいを受けたい/感想ブロガーがMAD作者に気兼ねなくエントリを上げたいのならば、ある程度、感想ブログの中の人たちを「アイマスMADの創作の仲間」としてみる必要があるんじゃないかな、という気がする。例えば、P同士で議論するならば、ある程度辺りの丁々発止な議論も、自分の能力を高めるためみたいな感じで受け入れられるだろうけれど、それに近い感じで「ただの客」と会話する用意があるか、という話。実際、プロレスなんかにおいては、実況アナはある意味その存在自体がもはやプロレスラーそのものに近い。感想ブロガーがそういうものだという視点で、彼らとプロレスが出来る関係を持てれば、Pと感想の書き手の関係は向上するのかなぁ、なんてことを思ったり。関係ないけど、古館伊知郎がプロレスアナとしては素晴らしく、それ以外のスポーツ実況では毀誉褒貶があり、ニュースを語らせたら明らかに全然ダメなのは、プロレスアナをしてる彼はプロレスラーだった一方で、それ以外のスポーツにおいては実体の競技との関係がやや相対化されており、ニュースにおいては明らかに対象と自分を別物として対立させてるから、なんではと(その意味で、古館がプロレスアナだった時代を知る人ほど、現在の古館に失望してると思われ)。
ただ、絵を描く/作るスキルの無い人がそういう所に気後れせずに上がれるかとか、MAD職人側でもそういう関係を築くには最低限のリテラシーを求める部分はあるのでは、って辺りはちょっと分からず、微妙に思案してしまうところではあるんだけれど……。
◆その他、本日の話題。
本題とは関係ないですが、プリブラ150万にて、Sランク達成。
「クラーク、スタルヒン……」はちょっと面白かった。祭りとは関係ないが。

Comment
一番最初にTB打っていただけたのに、コメントつけるの遅くなりました。何か含むところがあったわけではありません(というか、最初にコメントしたつもりだったのですがどうやら送信ボタンを押す前に閉じてしまったらしいです)。
で、自分は『「ネガティヴなコメント」をフィルタ』したいわけではないですよ。むしろ「黙殺されて悲しい」というのがあのエントリの主眼ですし。
>それが作り手の意図してた作り方と全然違う場合、そんなもの読んで作り手は「自己承認」的な感覚を得られるの?
これについては、「なるほど、そう捉えるのか」と感じます。そのまま誤読されたままではよくないかな、と感じたとき(実際にそういうことがあったわけではないですが、たとえば、悪意はないのに悪意と取られたときとか)なんかには、コメントする手段があれば伝えようとするでしょう。
基本的にどんなものでも公開した瞬間それは自分のものでもありそうでもなくなるわけで、それを肴にどんなことを書くのも自由だと思います。そして、そのかかれたものに対しどのような反応を返すのか、も。
さすがに何の根拠も具体的な指摘もなくひたすらけなしてあるだけだったら腹も立ちますが、具体的にどこがどうダメかが書いてあるようなネガティブコメントの場合、「じゃあこれでどうだ」というモチベーションにもなったりします。作っている間の検討段階で「これはないわ」と思って切り捨てたようなものだった場合には「ああ、あなたはそちらがお好みだったんですね、残念ながら自分は違いますけど」と思うだけだったりしますし。
ネガティブな言及であっても、ちゃんと見もしないで書いたのではない、ということがわかるのであれば、それはやはり何かを生むと思いますよ。
で、自分は『「ネガティヴなコメント」をフィルタ』したいわけではないですよ。むしろ「黙殺されて悲しい」というのがあのエントリの主眼ですし。
>それが作り手の意図してた作り方と全然違う場合、そんなもの読んで作り手は「自己承認」的な感覚を得られるの?
これについては、「なるほど、そう捉えるのか」と感じます。そのまま誤読されたままではよくないかな、と感じたとき(実際にそういうことがあったわけではないですが、たとえば、悪意はないのに悪意と取られたときとか)なんかには、コメントする手段があれば伝えようとするでしょう。
基本的にどんなものでも公開した瞬間それは自分のものでもありそうでもなくなるわけで、それを肴にどんなことを書くのも自由だと思います。そして、そのかかれたものに対しどのような反応を返すのか、も。
さすがに何の根拠も具体的な指摘もなくひたすらけなしてあるだけだったら腹も立ちますが、具体的にどこがどうダメかが書いてあるようなネガティブコメントの場合、「じゃあこれでどうだ」というモチベーションにもなったりします。作っている間の検討段階で「これはないわ」と思って切り捨てたようなものだった場合には「ああ、あなたはそちらがお好みだったんですね、残念ながら自分は違いますけど」と思うだけだったりしますし。
ネガティブな言及であっても、ちゃんと見もしないで書いたのではない、ということがわかるのであれば、それはやはり何かを生むと思いますよ。
>cocoonP
ご笑覧有難うございます。
>で、自分は『「ネガティヴなコメント」をフィルタ』したいわけではないですよ。
これは、cocoonPご自身がそうであると思ったってより、「そういうことをフィルタしないとやってられない人、世の中に当然のごとく相当数いますよね」という話ではありました。その後の段落でも言及しましたが、「観客」としては、そういう恐らく確実に存在するであろう作り手をある程度考慮するのが前提、みたいな所がある訳で。
まぁ要するに、この辺り、当然ですが、作り手のほうもケースバイケースですよね。
#そして、批判コメントで死んでしまう弱い作り手が必ずしも才能に欠けてるわけでも無いだろうし。
という訳で、基本的には読み手としては全体最適的なスタンスでいく場合は、ある程度cocoonPが要求される範囲よりは「遠慮して」接することになるのだと思いますし、自分はそれが間違いであると言い切れない面はあります。しかし、アイマスのクリエイターなんてのは、幸か不幸か現状それほど星の数ほどいる訳ではないので、それこそ作り手として自分のコミュニケーションに対するスタンスがこうであると表明することで、読み手の側に個別最適へと誘導するようなことは可能かなと。その意味で今回のようなcocoonPの意思表明については相応の意義のあることだと思っております。
ご笑覧有難うございます。
>で、自分は『「ネガティヴなコメント」をフィルタ』したいわけではないですよ。
これは、cocoonPご自身がそうであると思ったってより、「そういうことをフィルタしないとやってられない人、世の中に当然のごとく相当数いますよね」という話ではありました。その後の段落でも言及しましたが、「観客」としては、そういう恐らく確実に存在するであろう作り手をある程度考慮するのが前提、みたいな所がある訳で。
まぁ要するに、この辺り、当然ですが、作り手のほうもケースバイケースですよね。
#そして、批判コメントで死んでしまう弱い作り手が必ずしも才能に欠けてるわけでも無いだろうし。
という訳で、基本的には読み手としては全体最適的なスタンスでいく場合は、ある程度cocoonPが要求される範囲よりは「遠慮して」接することになるのだと思いますし、自分はそれが間違いであると言い切れない面はあります。しかし、アイマスのクリエイターなんてのは、幸か不幸か現状それほど星の数ほどいる訳ではないので、それこそ作り手として自分のコミュニケーションに対するスタンスがこうであると表明することで、読み手の側に個別最適へと誘導するようなことは可能かなと。その意味で今回のようなcocoonPの意思表明については相応の意義のあることだと思っております。
有芝まはる(ry | URL | 2008/02/17/Sun 19:08[EDIT]
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今更感あるけど、所謂「Pと見る専の付き合い方」的な話が盛り上がっていたので、
ちょうどサボり中で(ヲイ)暇だし、ちょっと書いてみよう... [続きを読む]
狐狐庵 2008/02/19/Tue 18:14
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