有芝まはるが綴る、競馬話その他の雑談、或いは反逆のドゥ・ロワイユ=デュプレ。
昨日のアレの解説。
 てな訳で、お約束どおり解説をば。途中からは教科書見ても分かるネタばっかりになるから割愛な。
 一応、昨日の組曲へのリンクはこちら
1)大物主川を往く
神武の妻となる媛蹈鞴五十鈴媛(ヒメタタライスズヒメ)の出生譚。ヒメタタラの母勢夜陀多良比売(セヤダタラヒメ)がある日川でウンコをしていたら、突然川から下ってきた矢が陰部に刺さってきた。その矢を家に持ち帰ると、矢から大物主を名乗るイケメンが出て来て二人は結ばれた、というお話。古今東西、イケメンは何をしても許される。そんな訳で娘は陰部を示すホトから富登多多良(ホトタタラ)と名がついたが、流石にそれは恥ずかしいのでヒメタタラと改名したのである。(古事記・上)

2)沼河(ヌナカワ)ユカイ
神武にはヒメタタラとの間に生んだ神八井と神沼河のほかに、多芸志美美(タギシミミ)という庶子がいたが、これが父の死後にその正妻を娶って王位を乗っ取ろうとした。この意図に気づいたヒメタタラは息子に歌を送って危険を知らせ、神八井と神沼河は先手を打ってタギシミミを倒そうとする。神八井がビビってる間に神沼河がタギシミミを暗殺し、その功績をもって即位した(古事記・中)

3)患部で止まってすぐ溶ける 〜 狂気の欠史八代
綏靖〜開化の八代は、史書にその即位後の事績が残らず、即位年や没年、皇后や墓所の記録しか残っていない。

4)Help Me,Tatakekooo!!!
崇神天皇は即位後、国内の疫病に苦しむことになる。色々試してうまくいかなかったある日、大物主が夢枕に出て大田田根子が自分を祀ればよいと告げたので、これを三輪山の祭司に任命すると疫病は収まった。(書紀・崇神7)

5)No Fortune
倭迹迹日百襲姫(ヤマトトトヒモモソヒメ)は崇神天皇の近親の巫女であり、天皇の危機を神憑りによって何度も助けた。その事績から卑弥呼のモデルともされることがある。大物主と神婚しており、夜にしか会わないので昼に顔を見たいと頼んだところ、大物主は「自分の姿に驚かなければよい」と約束させた。しかし、大物主は蛇の姿で出てきたので百襲姫は驚いてしまい、神の怒りを買う。そのショックでへたり込んだとき、箸が陰部に刺さって死亡。その墓は箸墓と呼ばれ、3〜4世紀の初期前方後円墳を代表する大墳墓。(書紀・崇神)

6)建波邇安の牙
建波邇安は崇神が将軍を各地に派遣するのにあわせて反乱を企図した。しかし、将軍の一人大彦が道中、童女の不吉な歌を耳にし、それを百襲姫に問うたところ波邇安の反乱が露見した。妻の吾田媛(アタヒメ)も香具山の土を取って領巾の頭に撒き、ヤマトに取って代わると勇んだものの、結局天皇の軍との決戦の末に敗れ、夫婦ともども殺害される。(書紀・崇神10)

7)SUJIN!!
崇神はその事績から御肇国(ハツクニシラス)天皇と称されたと書紀にある。これは神武と並ぶ名称だが、神話時代ではなく人代の創成期を担ったという評価であると見られる。(書紀・崇神12)

8)四人の将軍にご用心
9)KIBI
崇神は国内統一も進めており、その代表が四道将軍の東西への派遣である。かつては実在性が疑われていたが、埼玉で出土された稲荷山鉄剣の系譜に「オオビコ」の名が見つかるに至り、実在の可能性も高まっている。(書紀・崇神10)

10)野見の角力(すまい)
野見宿禰は出雲の人で、天皇に招かれ当麻蹴速と角力(すまい)を行った。わが国で最初の相撲であるとされる。結果、野見宿禰が当麻蹴速のアバラと腰骨を砕いて当麻蹴速を倒して勝利し、恩賞として河内の国を与えられた。因みにこの頃は、まだデーモン小暮閣下は相撲に興味を持ってなかったとのこと。(書紀・垂仁7)

11)沙本姫が捕まらない
垂仁の后、沙本姫(サオビメ)は古事記を代表する悲劇のヒロインの一人。兄に「俺とダンナとどちらが大事だ?」と問われた姫はつい「お兄ちゃん(はぁと」と答えてしまったばかりに謀反に加担させられることとなる。とは言え、天皇も自分の愛する后は何とか助け出したい。そのため、兄と共に篭城する妻を救出するために兵を用意するが、姫の覚悟は固く、わざと腐った布の服を着て、頭にカツラをつけて逃げ切ってしまった。結局、天皇もその意思を認め、乱中に生まれた子の名づけと次の后の紹介を頼んだ後に、姫を討つのである。(古事記・中)

12)小碓vs大碓
ヤマトタケル(小碓)は、父の怒りを買った兄を呼び出そうとしたところ、勢い余って便所でシメ殺してしまう。この子の武勇を知り、それを恐れた景行天皇は、小碓に終わりなき遠征を命じるのだった。(古事記・中)

13)ヤマトタケル
遠征を続けるうちに、父に疎まれていることを疑うヤマトタケルではあったが、任務を完遂するほかはない。叔母である伊勢斎宮の倭姫の知恵や妻の弟橘姫の献身に支えられつつ、勇者として幾多の危機を乗り越え、事績を積み重ねていったのである。(古事記・中)

14)白鳥の詩
遂に戦に仆れたタケルは「ヤマトは国のまほろば」と詠いつつ絶命し、その後白鳥となって飛び立った。白鳥が向かったのは、故郷の地である。(古事記・中)

15)You
そして、白鳥となったタケルの魂は、親族に見守られつつ、天に昇っていくのである。(古事記・中)

16)神功は大変な三韓を盗んでいきました
仲哀天皇は后の神功とともに熊襲遠征に出ていた。そんな中、住吉三神が「熊襲ではなく朝鮮半島に遠征すべき」と神託を出したが、それを聞かなかった仲哀は不可解な死を遂げる。そのあとを継いだ神功は天の声に耳を傾け、腹に岩を巻いて妊娠を隠し出産を繰り延べて半島に遠征し、新羅の都を征服した。仲哀と神功、そしてその胎内にあった応神天皇は後に八幡神として信仰される。神功はその後、応神の摂政となり実質的に女帝として君臨した。(古事記・中)

17)思い出は倭の五王
応神天皇は上のような経緯から「胎中天皇」とも呼ばれ、また神功摂政の経緯や古墳の巨大化などの時代的背景から「河内王朝」としての天皇家の祖ともされる。即位前に、敦賀の気比神宮の神と名を交換して、誉田別と名乗った。応神陵は5世紀の巨大古墳として名高く、その子孫たる仁徳〜雄略の系図は宋書に記される倭の五王ともある程度符合することが知られる。朝鮮半島に覇を唱える一方、内乱も目に付く不安定な時代。(書紀・神功および応神紀)

18)God Knows...
古事記を代表する悲恋。允恭天皇の太子である木梨軽とその実妹の軽大郎女は美貌で知られていたが、兄妹は道ならぬ恋に落ちてしまう。それ何てエロg(ry。このために嫡子の地位を失った木梨軽は弟を討とうとするが露見し、流罪となった。こうして引き裂かれた兄妹であるが、慕情耐えがたく、軽大郎女は流刑地の伊予に兄を追う。そして再会した二人は、お互いの愛を確かめつつ自害するのであった。(古事記・下)

19)もってけ!ワカタケルおおきみ!
天皇自身が殺害されるなど殺伐とした宮廷内の争いを制した雄略。手にかけた皇族の数は歴代皇室史でもトップクラスで、暴虐な資質をもって「大悪天皇」と呼ばれたものの、やがて一言主神との出会いを通じて「有徳の天皇」と呼ばれるに至る二面性は、記紀において特筆される存在感。文献・金石文の両面で実在性が確認される一方、万葉集の冒頭に「菜摘ます児」をナンパする御歌を残す。(書紀・雄略/万葉集)

20)ガチャガチャ武烈・ふぃぎゅ@
雄略がダークサイドから有徳に上り詰めた反面、武烈は有能な君主がダークサイドに堕ちた例。即位後数年でサディスティックな性質に目覚めて悪業を尽くしつつ、後継の男児を設けずに夭折し、皇統をピンチに陥れた。(書紀・武烈)

21)継体のヲホトリオン
という事情で即位した26代目の天皇となる継体は、応神の5世の孫。曽祖父が允恭の皇后忍坂大仲姫の兄弟とされる。即位するまでは現在の福井辺りで冷や飯を食っていたという辺りがかなり歴代天皇の中でも特殊であり、古代史の中でも注目される存在。ともあれ、現代に至る天皇家の祖というべき存在。

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