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Wikiscannerの宮内庁Editを淡々と見物するよ。

 Wikiscanner の話題は一通り出た後に一週遅れで朝日新聞が取り上げた辺りでまたはてブなどでも上がってるけれど、個人的に歴史ヲタとしては宮内庁の職員がどんなEditをしてたのかが興味あるよなぁ、みたいな部分はあったので、遅ればせながらではあるが件のリンクを見てその仕事ぶりを確認してみよう、という企画。因みに、このEdit自体は2006年の4月くらいまでのもので、結構実は前の話っぽい。では、個別の編集を淡々と見ていく方向で。

箸墓古墳
 「300mに迫る規模、全国各地に墳丘の設計図を共有していると考えられる古墳が点在している点、出土遺物に埴輪の祖形である吉備系の土器が認められる点など、それまでの墳墓とは明らかに一線を画している。」なんて辺りはやや思い入れが反映している部分はあるような気がするが、基本的には研究の業績を客観的に紹介している感がある。「学術的な調査は困難」を消しているが、現実に調査や研究は盛んに行われている古墳なので、まぁ、とは思われるし。

都城
 九州王朝説なくだりの削除。まぁ九州王朝がトンデモという前提に立てば正当。

長安
 九州王朝説なくだりの削除。まぁ九州王朝がトンデモという前提に立てば正当。

藤原京
 九州王朝説なくだりの削除。まぁ九州王朝がトンデモという前提に立てば正当。

前方後円墳
 2回目のEditでは、概要説明をやや具体化しているという趣。まぁやや主観っぽくもあるといえばあるけれど、基本的にそういうもんだよね的な内容のEditではあると思われ。築造方位に関してRevertしてるのは、まぁ余りWikipediaにはそぐわない「自分の研究報告」的な側面の強い内容かと思われるし、文体も雑駁なだけに、決して不当とは言えないかなと。1回目のEditは単なる一般的な「古墳」の項目への移動なので、Revertというほどではない。

古墳
 上にも書いたような記述の移動や誤記の修正以外では、これも概要説明をちょっとだけ加えただけ。まぁ普通の編集だよね。

四神相応
 これも大宰府がらみのアレではあるが、基本的には4回目のEditを見る感じだと大宰府の四神相応を否定まではせず(そして、それは恐らく百済辺りの影響であることにことわりを入れた上で)、議論の整理をしている、みたいな感じ。つーか、九州王朝云々の議論よりは、雑駁な記述を整理してるだけかなとも。

土葬
 このEditはよい豆知識。

埴輪
 これに関しては、最初のEditが興味深くはあるか。やや畿内中心史観の影響が見えるEditではあるが、一応ある程度埴輪の成立史を補足した上でのコメントになっているので、さほど無茶な政治性とも思われない。実際「吉備地方の首長がヤマト王権の成立に深く参画したこと」との記述は削除していないし。ただ、この辺りは諸説議論がありそうな気がするので、対論的なものが併記されるような補足を他の人が加えてると良いかな、みたいな感覚も。

大宰府
 最もEdit回数が多い。多分この人の関心分野としての優先順位が高かったのであろう。まぁ後半は微妙に編集合戦っぽくなってる辺りに顔を突っ込んだ感はあったか。ただ、例えばこの辺りのEditにおける条坊制のくだりなんかを見てると、自分の書き込みに対して如何にもWikipediaらしい雑駁なEditを受けながらも、うまいことアカデミックな側面から補足して膨らませている部分もあって、相応の学識は感じられる。まぁ、役所の都合でどうこうって印象でもなく、むしろヲタ臭の方が強いようにも。

大仙陵古墳
 この辺りはまぁ宮内庁らしい関心範囲ではあろうか。名前も何度かリネームされてるようで、なかなかキャッチーなトピックではあったのも事実っぽい。最初のEdit辺りで概ねこの職員の立ち位置は窺えるなぁと思うのですが、ここで言及されているボストン博物館の伝大山陵出土の出土品に関する議論とかは当方ポインタを持ってないので、後で調べるか誰か教えてくれ。あと実際「埴輪や宮内庁職員が採集した須恵器などの特徴から[[5世紀]]中葉に築造されたものと考えられている。」って辺りで採集してるとされてるのがどれくらいパブリックな文脈での調査でどういう論文に発表されてるか……は多分ちゃんと調べれば分かる、のかな。
 で、ここの「大仙陵古墳」になってから2つ目のEditで問題の「宮内庁が調査のための発掘を容認していない現状において、学術上からここが仁徳天皇陵であると確定することは不可能」に対するRevertがあるんですけれど、これをよく見ると、ちゃんと編集の脚注のほうに「日本の古墳には墓誌がなく,例え発掘しても被葬者を確定させることは不可能」って断りは入れてるのですよね。まぁ実際墓誌がないってのは現状の通説というか、百済の武寧王なんかも例外的に墓誌があったケースなハズなんで、きっちり調査したら「墓誌がない」ことを断定も出来ない、とは思うんですが、こういうEditで叩かれてるとしたらちとかわいそう感も。
 因みに、最後のEditでは考古学的に履中陵の方が古いという、皇国史観的な意見に対するオルタナティヴな見解も入れており、この論者がガチガチな皇国史観の持ち主でないことは窺えるであろう。

 ……と、ここまで書いたら長くなったので、残りの項目は後で気が向いたら書く。(追記)つもりだったが、何か凄いのが来たので暫く中断。

◆以下、業務連絡。
 ご指摘深謝。>名無し氏。
 いやぁ、ゴルゴ31の比じゃないっすねぇ。取り敢えずトラバスパムが物凄い勢いで到達したので、この記事の※とトラバ閉じました。その勢いで氏のカキコも削除させて頂いたのでご連絡まで。

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Author:有芝まはる殿下。
自称ズデーテンラント公兼トールガウ、前メクレンブルク、バート・ドーベランおよびキシュベル方面伯。当然何らの領有権も領しないただの僭主のため、歪んだ根性で血統研究に勤しむ。

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