有芝まはるが綴る、競馬話その他の雑談、或いは反逆のドゥ・ロワイユ=デュプレ。
エレノアお嬢様の3冠馬


ビームコミックス エマ 8巻(通常版) ビームコミックス エマ 8巻(通常版)
森 薫 (2007/03/26)
エンターブレイン

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 このネタ、発売後すぐに書こうとしてたら忘れてしまったのですが(ブクマには残してある)、保養地でのエレノアお嬢様が乗ってる馬に一部の競馬ファンはのけぞる、という場面。

Diamond Jubilee

 それなんて3冠馬?

 という訳で、ダイアモンド・ジュビリーとはまた奮ったネーミングな訳ですが、普通思い出されるのは1897年生まれの St.Simon 産駒。ただ、実際にこの名前の馬を所有していたのはキャンベル卿のごとき下級貴族ではなく、後にエドワード7世として大英帝国に君臨する、当時のウェールズ公殿下アルバート・エドワード。同殿下は恐らく英王室牧場の全盛期を築いた馬産家で、とりわけこの Diamond Jubilee の母 Perdita を通じて Florizel, Persimmon といった名馬も輩出しております。まぁいずれも当時の、そして恐らくはサラブレッド史上最も偉大な種牡馬である St.Simon の仔であったわけで、ダンス兄弟的なベタさは無きにしもあらずではありますが。で、比較的物語要素が多く残されるこのヴィクトリア朝末期の英国の名馬において、意外と語られることが少ない地味な存在ではあります。基本的には3冠取った馬の割には16戦6勝というのはさほど優れた数字ではなく、基本的には世代の相手関係や本番での勝負強さによって歴史に名を残したような存在であったと言うべきか。実際 Diamond Jubilee はその優れた実績にもかかわらず、後に種牡馬としてはアルヘンティーナに売られていきます。ただ、往時のかの国の経済力・馬産の質量は半端でないシロモノであり、そこでリーディングを4回も取って大成功してるのだから種牡馬としても水準は上回ると言えるでしょう。因みに本朝には産駒の*ダイヤモンドウエツデイングが種牡馬として導入され、奥羽種畜牧場で相応の実績を残しました(参照)。また、とりわけ気性が荒く、いつもの厩務員以外誰にも御せないという気性の荒さが伝えられる馬でした。
 或いは、兄の Persimmon のダービーの印象が強烈過ぎたことで損をした面はあると思われます。馬産家としての大いなる情熱を知られながら、なかなかダービーを取れなかったウェールズ公にとって、1896年のダービーはその最大のチャンスでした。しかし、同世代には同じ St.Simon 産駒の St.Frusquin という無敵の名馬がおり、3冠最初の関門2000ギニーを制したこの馬が1番人気となります。両者は2歳時に既にトップクラスでしたが、お互いがベストの状態での対戦は未だありませんでした。ダービーではこのレースに絞って調教で鍛えられた Persimmon と3冠の王道を歩まんとする St.Frusquin が最後の直線で歴史的な叩き合いを演じ、終にゴール前では Persimmon が宿敵を捻じ伏せて勝利します。大資産家ロスチャイルドの名馬を破ってのウェールズ公初のダービー勝利に集まった観衆は大いに歓び、「God save our gracious Queen」ではなく「God save the Prince of Wales」とロイヤル・アンセムを合唱する声がエプソムにこだました、とのこと。Persimmon の戦績は9戦7勝。2度の敗戦はともに終生のライバル St.Frusquin 相手のものでした。常にこういった偉大な兄と比較される立場ではあったかも知れません。

 さて、話を Diamond Jubilee に戻すと、この馬の名前の由来はウェールズ公の母、ヴィクトリア女王の即位60年記念に由来します。彼が生まれた1897年が女王の即位60周年。その母の偉業に敬意をなして自身の最高の繁殖の仔につけた、という辺りにはなかなかの思い入れを感じる所ではありますね。まぁ、女王自身は息子が競馬にイレあげてることには批判的だったようですが。因みに似たような思い入れの名前といえば最近ではモハメド殿下の Dubai Millennium ってのがありましたか。こちらは、2000年に競走年齢、という発想でつけられてるのが微妙な違いではあります。
 ところで、このダイアモンド・ジュビリーという言葉ですけれど、恐らくヴィクトリア女王が即位60年に及ぶにあたって初めて作られた言葉なのかな、という気がしなくもありません。というのは、それまでの英国にあって在位期間が最も長いのは1760〜1820年まで君臨したジョージ3世ですが、彼の場合は10月に即位して1月に死去しているので、「在位60年」ではなく、当然ダイアモンド・ジュビリーを祝されてはいない、のですよね。要するに「ダイアモンド」は何か「ゴールド」を超えるものとしての意味合いを付け加えた上で想像されたようにも。だとすると、こちらで指摘されているように「エマ」の時代が1850年代のロンドン万博からそれほど極端に後ではないと考えたならば、何故にその時代に「ダイアモンド・ジュビリー」という名前を思いつくことが出来たのだろう、という部分に関しては若干時代考証的な疑問でもあったり。この辺り、アンケート葉書出して名前の出自を森センセイに問い合わせてみた方がええんかしらん?

◆ところで。
 冷静に考えたら、乗馬に4歳馬ってのは結構キツくねぇか、とも。
 ある程度お嬢様のような人が穏やかに乗れる程度に馴らされるには、もうちょっと年食った馬の方が相応しいようにも思われますが、その辺りキャンベル家のお嬢様は馬乗りに長けているってことか。やっぱりキャンベル子爵も馬産家だったんじゃねぇの的な妄想をしてみたくもなりますな(笑)。

◆以下余談。
 競馬を終生愛し続けたエドワード7世は、死の床で息子の持ち馬がレースに勝ったと聞いて、「それはよかった」と言い残してこの世を去ったそうな(参照)。有芝もこのような君主の御宇のもとで生を送りたかったものである。因みに当代の女王陛下も国会の演説で「National Health」を「National Hunt(障害競馬)」と言い間違えるほどの大層な競馬好きで、馬産家としてもダービー馬 Aureole などの名馬を輩出しましたが、晩年に入って馬産を縮小したのが惜しまれる所か。まぁそうなってたら Burghclere の牝系もずっとロイヤル・スタッドに留まり、この世にディープインパクトが生を享けることも恐らくは無かった訳ですが。

Comment

 秘密にする

雑誌掲載時点でツッコんだワタクシめが来ましたよ(挨拶

時代的なものは全く考えていなかったのですが、まあ恐らくは本家三冠馬とは時代を外すであろうキャンベル家所有の馬の名前がどこから出てきたのか、というのはちょっと森先生に聞いてみたいところではあるかも。
(アンケートハガキ、どこだっけな・・・・・・)
NOBIE | URL | 2007/04/18/Wed 22:36[EDIT]
あれを指摘いただいたおかげで、結構楽しみにこの作品を待つことが出来ました。
しかし、一通り着地させるだけ着地させて、あとは好きに外伝を書いていくってのは作者としては最高に美味しい立場だよなぁと思います。それこそ、ハヤテとか週刊連載の世界ではちょっと考えられないし、メイドというニッチで頂点を極めた辺りの幸運みたいなのはあったかも。
#もっとも、連載始めるときは本当に原稿料入るかも微妙な大変な状況で
#進められていたようですが >エマ
有芝まはる(ry | URL | 2007/04/19/Thu 23:51[EDIT]
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