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殿下執務室2.0 β1

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有芝まはるが綴る、競馬話その他の雑談、そしてYet Another Amateur Photography。

凱旋門賞回顧@変わった歴史を確認するための「巡り合わせ」を待ちつつ。 

 なかなか、辿り着けんね(挨拶)。

迷い道
迷い道; Ricoh GR GR Lens 18.3mm f/2.8 F2.8 1/30s ISO-800

 色々あるけど、まずはある種のピーキングに尽きるんじゃないかな。
 単純に10月初週にベストに持ってくるピーキングというレベルではない、キャリア単位のピーキング。
 恐らく、オルフェーヴルもキズナも、そこが必ずしも合っていたタイプの馬では無かったのかな、という感慨はあり。強いて言えば、その可能性が高いのはキズナの側であるかな、というのはあった。もっと言えば、オルフェーヴルが「去年のオルフェーヴル」としてここに臨める可能性はルールアウトしていいものだと思っていたし、実際去年のオルフェよりも今のオルフェが強いとはちょっと考えづらい。これは、多分有馬圧勝しても多分「もっと強いオルフェを見たことがある」と思われるんじゃないかな、とか(実際2年前の有馬で大概それは見た気がするし)。
 一方でキズナは、ひょっとしたら「凱旋門を勝つために生まれて来たような馬」なのかな、という思いは幾何かはあったけれど、それを額面通り信じるのも単にある種のディープ脳なんだろうな、という気もしてたし、ニエル賞からの上積みは陣営が期待してるほど大きいのかは未知数というのもあって。ただまぁ、そういう星のもとに無いのなら、逆にこれからもう少し長い目で見ていける、ある種の夢幻のような存在では無い競走馬として応援していけるのかな、なんてことも考えたりはしたのだけれど。

 で、そのピーキングが嵌っても、例えば向こうをホームにしている中に5年に1度くらいの馬が出てきたら、それはやっぱそうそう勝てるものでは無い、と。
 実際、傑出した凱旋門勝ち馬とかが出て来るような年で、Sea the Stars辺りならまだ向こうも大した距離ではないけど遠征競馬ってことでギリギリこっちのスペシャルな馬が120%以上を出したら互角くらいに持ちこめても(それでも勝てるのは半分よりは大分少ないだろう)、*パントレセレブルならちょいキツいわ、くらいの感覚はある。
 TrêveのレートはZarkavaや*デインドリームを上回りそうではあるが、やはりこのレース単体の勝ちっぷりとしてもなかなかに水際立ったものではあった。正直*デインドリームへの贔屓目としては「キングジョージ勝ってみぃ」くらいは言いたくはなるが、実際アンタッチャブルなパフォではあったな、とも。

 実際のところ、彼我のレベル差があるとすれば、そういう馬を何年に一度くらい出せるかの頻度、みたいな部分はそこそこ大きいのかもしれない。そして多分同時に出てきたら、*モンジューと*エルコンドルパサー的な終わり方になる可能性は、どうしても高くなってしまう。そこを真正面から超えるには、それこそ「100%の仕上げ」で臨むだけでは足りず、120%以上が出る調教や展開を引き寄せるしかないだろうなと。一方で、毎年このクラスが出て来る訳では無い以上、相手の強いところとマッチングしない場面なら、100%以下でも勝てるレースは当然あるだろうけど、少なくともTrêveはそういう相手ではない、単にそれだけのことであったとは思う。
 ロンシャンの三大トライアルは、ヴェルメイユ・ニエル・フォアの順にG1、G2、G3で、単体のレースレベルや時計も大体その順になる。一方それだけに「勝ちに来る馬」が多いのもヴェルメイユであり、単純な牝馬の不利というよりはそこの負荷でニエルの方がトライアルとして優秀だとは思うけど、今年のTrêveは、その勝利がそこまで負荷では無かったというのはやはり、それだけスペシャルな存在ではあったのだろう。

 ただ、それでも、やはり日本の馬が向かうレースとして、凱旋門ってのは非常に難しいレースではあるけれど、一方で「おいしい」レースではあるのかも知れない。詰まる所、やっぱ先方のシーズンが終わる辺りのレースではないと、例えばイボアのインターナショナルかヨークシャー・オークス辺りでイギリスの強豪とか倒しても「あの時は本来で無かった」みたいな感じで次に凱旋門なりチャンピオンS勝たれたときに思われちゃうのはあるし、そのレベルで扱われないレースとなるとキングジョージだけれど、あれはあれでハーツクライを量産しそうでもある訳で。そして、秋天こそ出られなくなるものの、夏にある程度ポーズを入れつつJCと有馬を「普通に」戦えることを思えば、やはりそういう意味では「使いやすい」面はあるのだ。
 しかし、こっちがシーズンインぶっつけに近い状態から遠征に持っていく一方で向こうはレースを使いながら熟成を進めるフェーズ。その中での「巡り合わせ」が容易ではない中で、やや共犯的に「勝ち切れない凱旋門」は積みあがらざるを得ない面はあるのかな、とも。

 ただ、そうやって惜敗を積み重ねた中で、多分もう、少なくとも1回だけ勝って見せる分には「足りない」所はそう多くは無いのかな、と。だからやっぱり昨日も書いたけど、もう歴史は変わっていて、凱旋門賞を日本馬が勝つ日ってのは「変わった歴史の再確認」に過ぎないのだと思う。そして、「足りない部分がない」からこそ、難しさがより大きく見える、みたいな皮肉な状況にあるんだろうなぁ、とは。
 でも多分それ、もう恐らくそう年季の入ってない競馬ファンの人は逆にそれを所与のものとしてるように思う。そして、凱旋門挑戦史において「オルフェーヴル以前」と「オルフェーヴル以後」のファンみたいな感じで競馬の世代が一つ分かれて、海外に対する感覚がそこでかなりその後含めて違ってきたりする構図はあるかも。

 オルフェーヴルという不思議な馬の物語は、そういう一つの画期として、総括されるのかなぁ。
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テーマ: 競馬

ジャンル: スポーツ

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