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殿下執務室2.0 β1

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有芝まはるが綴る、競馬話その他の雑談、そしてYet Another Amateur Photography。

フィギュア世界選手権女子回顧@3位以下FS中心に。 

 何か真央ヨナ採点ばかりではアレなので(挨拶。

公園でのDaydream
公園でのDaydream posted by (C)有芝まはる殿下。
DMC-G1 SMC-Takumar 1:1.4/50mm F1.4 1/4000s ISO-100

 まぁ今回はRadio-Canadaでドバイとザップしながらではあるがかなり色々見られたので、単に目立つところの話だけでも勿体ないかなぁ、と思い付いてみる。いや、それ言ったら五輪だってほとんど全員FSちゃんと見てたんだけれどさ。とまれ、そんな訳で、優勝争いしてる両者以外の方を、淡々と、という企画で。

◆安藤美姫(55.78/122.04)
 安藤のフリーのPCS実績は前年ワールドで63.92、今季のGPFでは61.12、その横比較を信頼するならば、それに匹敵するパフォに58.40は結構酷い下げられ方だと思う。下見て3点失ったと思うに、レピストには悪いが銅メダルは安藤が正当で、台が掛かる文脈でこれならスケ連は結構マジでISUに文句言っていいレベルじゃないかと。五輪では特にSPでロシェのライバルと目されたフシもあってPCS大安売り市場に参入できなかった感あったし、産経写真部には変な画像うpされるし、折角安定したプロだったのにどうも災難なシーズンであった。
 ただ、心証が悪くされたとするならば、やはりあのスピンの失敗か。本人的には些末なミスになるのかも知れないけれど、見た目的に案外ああいうのは目立つのかもとは思った。それでも、安藤がああいういい意味で緊張の抜けた演技が出来るってのは本当に珍しいことで、二度目の五輪を乗り切ったことは随分彼女をラクにしたのだろうと感慨深かったのも事実。本人的にはこの場でメダルを逃したこともさしたる損失ではないのであれば、不幸中の幸いか。

◆シンシア・ファヌフ(59.50/118.04)
 安藤とのクレオパトラノーミス対決は、なかなか見応えがあった。ついでに、Radio-Canadaのケベック放送で「ウエーイ!!!」とか暑苦しく応援されていた情景も随分記憶に刻まれ。
 GOEでどのジャッジからもマイナス評点を貰わないという五輪キム・ヨナばりのクリーンな内容で、あとはもうちょいスピンステップでレベルが付いてくれれば、ではあったか。ワールドでアンダードッグがノーミスでというと中野はイエテボリで59と相当PCSをジャンプアップさせたが、56点台とまぁそこそこな数字に止まってしまったのは、実績的には致し方無しか。地元五輪で基数ももうちょい上げられれば良かったのだろうが、あの時は失敗だったのがここで悔やまれる、的な。ロシェとのカナディアン兄弟(絶対に「姉妹」とは言えんw)は、来季もなかなか手強そう。ただ、ともに年齢20代の兄弟が余り現役にとどまり2枠を独占すると、後継者がなかなかキツい、か?

◆カロリーナ・コストナー(62.20/115.11)
 地元開催にして五輪大自爆の雪辱戦。珍しく両方とも数字を揃えての健闘。しかし、こんだけ頑張ってもジャンプでGOEマイナス喰らう要素が4つってのは、このクラスで勝ち負けするにはキツいのぉ。スピードスターだけに着地難しいのかもだが、シーズン振り返っても試行錯誤は多く。ただ、だからこそ演技としてこれだけ完成したらPCSをもうちょっと付けてもいいのではというか、61点後半くらいはあっても良かったかなぁと思うのだが。
 ところで、コーチ代行的にキスクラ同伴していたデ・ベルナルディス助手は、ヒョロ長な出で立ちに長髪のイケメンメガネ男子で、コスがゴージャスなドレスを身に包む横で執事として侍らせれば実に絵になりそうなギャルゲ・乙女ゲー的なキャラなんだけれど、微妙にオタクっぽい雰囲気もあるんだよなぁと思って色々掘ってたら……
 「萎」シャツ着てやがるし(苦笑。
 やーねぇ、もうフィギュアスケート業界って、何でこうダメイケメンの宝庫なんかしらん。

◆ラウラ・レピスト(64.30/114.32)
 と言う訳でやや文句言う形になって申し訳なかったが、ショートの2Aでフラっと崩れるまでは、これ70近く取る勢いじゃねぇかと思うくらい、なかなかに息を呑むデキで、元々ショート番長気味な選手ではあるんだけれど、成長を感じさせるパフォーマンスが印象に残った。結果ショートでの貯金を安全運転(3回転2つ落としたが、ファヌフ同様にGOEマイナスは全ジャッジ通してゼロ)で確保的な結果にはなったものの、その「安全運転した自分」に納得がいかないようなリアクションが競技後にあったように思われた辺り、まだまだこの選手は伸びるように思うし、伸びて欲しいな、とも。
 多分現役欧州女子で60点のPCSを出せるのは暫くはコストナーとレピストくらいであるのだろうけど、派手な外観に癒し系的な純朴さを秘めるコスと、女将と呼ばれる落ち着きそのままに、プレカンでケータイ弄るキムにガン飛ばす真面目一徹なレピという好対照であるが、その生真面目さ相当する安定感を今後醸せるか、かな。

◆鈴木明子(48.38/111.68)
 SP悪夢のデキで、予選ギリギリのFS1組スタートも、神プロとの名高いウェストサイドは崩さなかったのが、今季の彼女のプライドであろう。毎回このプロは何とも言えない気分になる不思議さはあった。ノーミスとはいかなかったが、五輪と同じFS7位なら妥当な結果。PCSは1組だけに低かったかもだが、実際五輪の59.44が余りのジャンプアップで、やや反動もあったか。SlStも遂に複数ジャッジが+3を叩き出すようになってきて、「師匠のどやさ」……じゃなかった「鈴木のステップ」が世界に認められたというのは、日本フィギュアスケートの層の厚さの一つの象徴ではあるだろう。出来れば、それくらい出来る選手ならPCSは55点くらいコンスタントにくれて欲しいとも思うけれど、余り贅沢言うのもナニか。

◆クセニア・マカロワ(62.08/107.58)
 ロシア国内選と言えば、最近はソチに向けて大量養成されるちびっ子軍団の秘密基地として名高いが(あれ、日本語おかしい?)、そのガキどもを封じた10代に見えない容姿のマカロワは、これまた10代に見えない姉貴分のレオノワすら押しのける勢いで五輪・ワールドと一気に化けてきた。タイプは違うがレピストのブレイク時とかを思い出す存在で、或いはそのうちコスレピに立ちはだかるソチに向けてのロシアの嚆矢となるか。ともあれ、そのちびっ子軍団の枠取りのためにもレオノワとともに重責ではあるだろう。何というか、小塚とか佐藤由香のような2世スケーターらしい毛並みの良さとある種のクールさがあるなぁ、という印象。転倒とコンビ1ヌケがあるが、TES60点は何時でも取れそうな存在感はあり、伸びやかに成長しきった体を見ると、ここから余り崩れなさそう。今後、今年ジュニアGPSで争った村上なんかがシニアデビューした辺りで、どのようなアトサキになるのかとかは興味深かったり。ここでPCS53点程度の貯金したことは結構意義ありそう、かな。

◆レイチェル・フラット(60.88/106.56)
 何気に今回のフラット社長の功績は、ギリギリでキムを第3グループに引き摺り下ろしたことにあると思う。アレがなかったら、更に際どい勝負になったのではないだろうか。そのSPのPCSは、数字自体五輪とほぼ変わらんが、何故かSSが無意味に低く、5.75のサゲジャッジが採用されたのはやや災難だったか。あとは、アメリカのお家芸的なレイバックで点が取れない辺りがどうも、と。天野クオリティでどうもザクザク刺されそうなのは何とか最低限だが、それでもやはり点数的には結構損をしていて、まぁ今回はこの順位でよく乗り切ったなぁと思う。五輪はやや出来すぎ的な印象もあったし。
 ところで、所謂「半導体のアレ」的に言えば、今回の二人に加えてマイスナー、ジャン、ワグナー、シズニー、マクスウェル等々を2~3枠に絞らないといけないアメリカこそがある意味「日本産業的」な構図になってるよなぁ、という指摘は余り斯界には届かない。ついでに言えば、ロシアもあんだけちびっ子いると、それぞれが国際経験を積む機会を食い合ってしまい、アメリカ同様の問題を抱えるのではと他人事ながら心配する部分もあったりなかったり。

◆長洲ホットペッパー未来(70.40/105.08)
 あのグヘヘ笑い本人的にどうなんよ(挨拶。
 ごめんヘルゲション、風呂入ってて見てない(笑)。てな訳で、ここだけ11位だが、SPトップにも敬意を表して。FSは散々だったけれど、演じ終わった後に案外表情や所作が崩れなかった辺りに、気の強さを見た。その代わりにといってはなんだが、キスクラで点数が出た後盛大に肩を落としてがっくりと落ち込んでたけど。長洲カルメンは、最初要素入る前の序曲の部分が、結局そこが掛かってる間に何も要素入れない辺りが出落ち的なのがツボでした。
 しかし今日は、そこから入る最初の要素でコンボが入らず。ああいうのは、特に点数の計算がシビアな時には、ジワジワと精神を責める展開になりがちで、非常に厳しいものがあった。それでも中盤までは持たせたのは意外な自力。つかLSp4はオール3とか、最早スピンでもジャン超え。長洲とジャン何故差が付いたか以下略。このデキでフリーでは安藤を上回る(安藤が低すぎるんだが)SS7.40は、ある種の激励ではあろうか。ともあれ、アメリカ女子、案外PCS50半ばで壁を見ることも多いだけに、やはり全米→五輪で得たものは大きかったなぁ、と改めて。ただ、枠1つ潰しちゃったのがなぁ……。
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フィギュア世界選手権女子回顧~勝負師が勝負できない世界 

 まずは、浅田真央に感謝と祝福を。
 そして、あんな状態である意味「浅田に負けるリスク」を負って出てくれたキム・ヨナに敬意を。

陽光に花開く
陽光に花開く posted by (C)有芝まはる殿下。
DMC-G1 SMC-Takumar 1:1.4/50mm F1.4 1/4000s ISO-100

 にしても、浅田フリーの回転不足は結構海外のブログとか掘ってても「あれ足りてただろ。せいぜい1/8」という感想も見かけたりで、そういう状態でも<刺すのが天野真クオリティというか、ある意味これだけ自国優先採点が罷り通る中でそれに流されない天野氏の高邁さには一定の敬意を表したい気分もないではないが、状況を読まずに一方的に自国選手を不利にしちゃうってのは外交センス的にはどうかと思われる部分もあり、ある意味「本朝のヴァルナビリティ」的な部分の例示という意味では「浅田=ソニー、キム=サムスン説」よりも「天野=鳩山由紀夫説」とかの方がよっぽど説得力があるような気がしたりしなかったり(苦笑。

 まぁ、その程度のミスだけでほぼパーフェクトに滑り切れたのだから、浅田としてはやり切れたという大会ではあったのだろう。表現という意味では、やはり五輪の方に鬼氣迫るものがあってそのすごみに軍配が上がるが、さしあたり「簡単な要素でミスした」悔いを晴らすことは出来たであろう。
 今後としては、要素、就中ステップにやや過剰に力点を置いてる部分について、レベル4目指さずとも若干簡略化する方向にシフトチェンジしつつ、エレメント以外の見せ場をなるべく削ぎ落とさずにシーズンを通せるプロにして欲しいという辺り(結構、浅田の場合シーズン前半にプロ作るときに、多めに要素入れてから削ぎ落とす傾向があり、これがジャッジ心証を悪くしてる気がするので)、それから3+3を何とか復活させることであろう。高橋大輔は3Aで故障した後、恐怖心を克服するために一からやり方を変えたという話があるが、同様な方向性で「3+3が出来る」と思える自分に戻れることが大事かなぁ、とは思う。

 一方で、キムのスコア。
 個人的には、ちょっと「一線越えちゃったな」的な思いが強い。
 という気持ちになるのは、昨年のGPFとかをどうしても類例に出したくなるような結果であったから。あの時はキム123.22に対して安藤美姫は119.74。その上で、安藤はサルコウ回転不足+転倒で4.5点程度を失ってるから、それがクリーンだったらトップに立てるスコアであった。ならば、ほぼGPFと同様またはそれ以上のミスをしたキム相手に、安藤ノーミスであれば逆転は可能なスコアであったはず。これが逆に差が広がる理を通すのは、ちょっと厳しいだろう。確かに安藤は地元上げがGPFであったが、それでもPCS61.12→58.40とGPFから2.7点も下がる理はない一方で、キムのPCSが何をやったら61.42→65.04になるのか、的な辺りはある。これでキムが辛うじてショート6位を確保して最終組だったらまだ「最終組分の格の差」で説明がつくっちゃつくんだろうけど。
 要するに、GPFでは「キムが調子悪いときに、安藤程度の選手がベスト発揮できるなら逆転してもいい」的なパワーバランスをジャッジは仕立ててたのだけれど、その辺りのパワーバランスが、同じシーズンのたった3ヶ月で崩れるのは、ちょっと常軌を逸しているだろう。その前のキムとの違いどこにあるんよ?と問うと。
 更に心証が悪いのは、それがある程度PCSで決定している辺りか。要するに、ジャンプ以外のスピン・ステップ辺りの加点はまだしも、あの内容でPCSを65点、8点台を3本も与えるのは、如何にもバランスが悪い。本来、ISUのジャッジはそこまでバランス悪い訳ではなく、例えば全体として7点台後半まで落とすことで60~62くらいの間を落としどころとしてた感があったが、今回は如何にも説明がしづらい。これはコーラーのような個人的問題ではなく、ジャッジ全体の方針としてそうなってしまってるという辺りが、何とも。

 こういうスコアリングにすると、最早「勝負」自体を成立させなくする、的な空気を感じる。
 この傾向のまま仮にキムが現役を続行した場合、ほぼノーコンテストで勝てる状況で、その上で、「どうせ勝つから楽しく滑る」のであるならば、アイスショーを一人競技会でやるみたいな結果となってしまう。それならば、金銭的な収入とある種のセレブリティとしての敬意、練習のストレスの軽減などを考えればプロスケーターになる方が良い選択となってしまうのではないかと。そう考えると、ある種の体の良い引退勧告されてるみたいな部分を感じなくはないというか、それはそれでキムのようなスケーターへの敬意を欠いてるというか。

 その上で、ある意味、浅田もキムも「勝負師」的な側面の強い選手であり、点数・順位に拘る選手であったと思うが、彼女たちの「勝負」をもう見られないのかな的な感慨は、このワールドで感じた。何というか、彼女たちももはや現下のような基準で、お互いが「勝負する」という感覚を保つのは難しいのではないか。その意味で、両者に対して余り洋々としたものを感じづらい的なモヤモヤ感はどうしても残る結果とはなった。
 実際、浅田のキスクラ採点後の表情は、キスもクライもなく、優勝した選手のものとは思われないような淡白さがあったように思う。一方でキムの演技からは、「浅田に負けるリスク」を負って敢えて出た気概を証明するものを感じるのが困難であった。サルコウ転倒後、明らかに一度演技をやめたが、あのクラスであんな止め方する選手はそうは思い付かない。……と書いた瞬間にハーディングと安藤美姫が出て来たが(ぉ、まぁ前者は靴紐外れたと思い込んでたし、後者は実際肩外れてた。
 ともあれ、この両者の角逐は、両者が真の意味でお互いに全力を出し切ってその「勝負師」的な底力の神髄を見せつけた五輪で曲がりなりに美しく決まったものではあった。
 それに対し、ワールドにおいてこういう形での後味を用意されると、正直「出るべきではない選手が出た」という結果にはなったと思われるし、冒頭に書いたとおりの敬意をキムに抱いてただけに、ある種の惜しさはあったような。

 そうした中で、「怒り」という、フィギュアスケートのような華やかな世界においてある意味 Controversial なテーマを掲げた浅田真央の「鐘」は、そうした大会にあって、それこそ「ナポレオンのモスクワ」的な炎として煌めいたように思う。
 その後の世界に、「平和への祈りとしての怒り」が掲げる思いは、果たして今後通じるや否や。
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「エース」として、高橋大輔の指し示した道。 

 にしても、この神プロをオリンピックイヤーに引っ張れた塞翁が馬の僥倖(挨拶。

上野公園入口の大寒桜
上野公園入口の大寒桜 posted by (C)有芝まはる殿下。
DMC-G1 CANON NewFD 135mm/f2.0 F4.0 1/250s ISO-100

 で、ベタだけど、やはり標題のようなことを思う。
 金銀両メダリストの欠場した五輪後ワールド、そういう「頂点を決める」には微妙な位置づけにはなったが、それでも高橋が、以前書いたように「世界の」エースとなったことを、真に証明する大会となった。大会に入るモチベーションには難があったかも知れないが、バンクーバーでも「戻りきってる」とは思われなかった体力が、本当の意味で戻っていたことが、充実した結果の要因となったように見える。何となくブログを掘っていたら、今回のアメリカのフィギュア中継の解説はリピンスキーとウィアーだったそうだが、曰く
Lipinski loves that he did the quad flip. Weir is so impressed also, says that Takahashi sometimes gets slow at the end, but here he was crisp and clean and perfect, and they agree he was stronger in the second half.
 と、後半での充実を指摘されている。
 確かに、今回は危なかったが何とか3F+3Tも決めて、3Aは五輪以上の完成度、万全のザヤック対策で急遽入れた2Aも無難に決めてステップも迫力十分。普通は体力落ちて滅多に取れることのない最後のSlStまでもがレベル4(GOE倍加算になるから、ここのレベル4はデカい)。パワーが本当の意味で戻っていて、4Fで詰まりながらも持ち堪えたのもその辺りが利いたのだろうな、と。

 それにしても、クアドフリップ。
 確かに、今回のような状況でこそ試せるエレメントだし、一方で練習含めた成功率とかを考えたら「選手道」的にはなかなか入れるべきかどうか難しい判断ではあったかも知れないが、昨今のクアド議論に対してある意味これほどの強烈なメッセージを、さらっと入れてくる辺り、高橋も凄いし本田助手も凄い。何となく本人達の意図がそこまで重いもので無さそう(単に今のコンディションで入れやすそうな種類を選んだだけ、的)な辺りが、却ってある意味凄い(笑)。
 それでも、4Fなんて、そりゃクアド全盛期時代のクアドマスターなら練習で何十回となく降りてるんだろうけど、実戦で入れてきた選手もそんないるまい。まぁ、結局回転足りなかったので「認定」というには微妙な結果になっちゃったんだけれど、旧採点時代だったら普通に「降りたけどツーフット」のレコードとして記録されてたんではないだろうか?という程度の不足ではあった。
 恐らくは、公開練習で高橋がこれ出してきたときに「お前は浅田真央になる気か?」みたいなことを思った人はいたんだろうと思う。そして、そういう「浅田的」なトリックを高橋が繰り出して勝つ辺り、サムスン云々言ってた人とかに伝えたい勝利ではあり。高橋はジャッジ評価との相性という意味では女子のキムにも近い隙のなさを誇るが、その上でそこに安住しなかった形での勝利というのは、やや品の悪い言い方を容赦して頂くと、日本人的に率直に溜飲が下がるものではあった。願わくば、今日の体調が2月の高橋にあれば……というのは、言いっこなしとして、こういう形で「エースとしてのインパクト」を示せたこと(五輪でクアド決めたとして間違いなく4Tだろうから、今日のインパクトは残せない)、そして「たかが五輪後のワールドごとき」で決めてしまわずに、まだもう一つ上の階段の余地を残せて、高橋自身のモチベーションを維持出来そうなこと(いや本当、ここで優勝したら引退しちゃうんじゃないかって心配は、かなり事前にあったのよ。現役続ける気満点なコメントが出てたので、本当に一安心だった)、それは僥倖であったと思う。

 その上で、高橋大輔は、次の世代にも言及しているのが嬉しい。
 AFPの記事で、ちょっと翻訳されて無いっぽいのだけれど、高橋はこんなコメントを残している。
"I really hope that I can spur everybody so that the Japanese men also will do well," he said.
"I'm not going to be complacent about what I have achieved so far. I need to continue to evolve.
"As for the future, I see a lot of little kids. The juniors are doing very well including Yuzuru Hanyu, who won the world junior championships.
"I myself feel that I can't be satisfied with where I am now and I'm always threatened by these younger skaters."
 そう、先にジュニアワールド優勝した羽生結弦も含め、4人のジュニアチャンプ経験者で3枠(それも毎年取れる保証はない)を今後争い、なおかつ無良や内田といった現ジュニア勢を含めた厳しい争いが日本だけでも存在する。そういった中で、「後ろから追いかけられながらも、自らが進化して、引っ張っていく」気概を持っていること。
 それこそが、五輪直後のエントリでも書いたように、自分が高橋の今後に期するものであるから。
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任那と倭人と、倭を名乗った列島の国家と。 

 春眠もそろそろおしまいとして(挨拶。
#競馬クラスタ的にはクラシック有力馬配合でもやるべきかもだが、先にドバイか。

春色を背に
春色を背に posted by (C)有芝まはる殿下。
DMC-G1 CANON NewFD 135mm/f2.0 F5.6 1/200s ISO-400

日韓歴史共同研究委員会 第2期報告書 第1分科会篇(古代史)

 てな訳で、ネットでも微妙に話題になってた件、まぁ古代だけさらっと読みつつ。
 この辺りの話を読みつつ昨日色々ついってたのだけれど、まぁそれを踏まえた上で何となくこの時代の日韓史学において紛糾する材料であるところの「任那」について、ざくっと思うところをさらしておこう的な何か。

 「任那日本府」の件に関しては、なんとなく読んだ結果として、これ「向こうの誤解を解いた」的な部分はあるかな、と思う。
 そもそも、「日本府」という表現は日本書紀において欽明期辺りに集中して現れる表現であり、本朝の半島交渉における6世紀的な表現であり、それをあたかも「神功以来の日本による半島支配」の術語として誤解していたフシが半島史学界にあったような感があり、その辺りは「誤解を解けばよい」的な立ち位置ではあろう。また根本的な部分として、考古学的に例えば倭国と半島国家が大きな戦争を行ったような形跡とかは余り存在せず、また半島国家における文化破壊の形跡とかも余り見られない以上、少なくとも日本列島からある種の勢力が攻勢を行って一定の領地を切り取ったような現代的な意味での「支配」は存在しないというのは、彼我ともに同意する部分ではあったと思われ。

 そうした上で、「では任那とは『純然たる朝鮮民族による地域政体』である」かというと、もにょる部分も。

 というか、この時代のこの地域の政権、この地域というと語弊があるが対馬海峡両岸の政権のアイデンティティにおいて、「半島」と「列島」がどこまで意味があったか、的な疑義がある。自分は、この地域の住民は、前にも言及したかもだが「倭人」だと思う。そして、誤解されてはならないが、「倭人」はイコール「日本列島人」ではない。この時代の本朝は対外的には「倭」を名乗るが、この時期の本朝の王権、すなわち邪馬台国以降大和王権にいたる対中外交においてハブとなった政権は、ある種の通りがよい地域的な名跡として「倭」を名乗ったに過ぎない、と考えている。
 一方で、「漢書」において楽浪海中にあるとされた「原」倭人は、「海中」が示すとおり、もうちょっと海人的な要素が強かったのではないか。海人にとっては水域がドメインであり、そうすると彼らにとってのドメインは、対馬海峡の両岸だったと思う。半島から列島、またはその逆での人的な移住はあれど、この海人たる倭人自身はさほど移住はせず、むしろこうした渡来(そして勿論、近辺の特産物たる鉄の流通)をサポートすることで生計を得ていたようにも見える。

 その中で、半島側を根拠地とする伽耶諸政権が「任那」だったのかな、と。
 民族的に言えば、半島の三韓・扶余人と、本州の倭国諸族は定住殖民として「山の民」となる一方で、一貫してそうはならなかった勢力、と言えようか。倭人伝における「鯨面文身」なども、これらの勢力が史料に記録されたものと思われ。ただ、その勢力は決して小さくはなく、大和の政権もこの海人勢力を少なからず重用したフシはあり実際に半島に対する制海権を維持することによって政治に干渉していたし、また新羅三王家の始祖伝承のうちふたつに深く倭人が関わる辺りに、その影響を見ることもできよう。
 ただ、大和もダテに「倭」を名乗っていたわけではなく、元来この勢力はより倭に親近するアイデンティティを持っていたと思われる。それは、広開土王碑で任那と倭が対新羅戦で協調していたことからも明らかであろう。

 その上で、高句麗の南下策が結果として大和政権の半島利権の伸長に寄与した4世紀末から5世紀前半に、ある種のターニングポイントが出てくるのかも知れない。ここで、全羅道の前方後円墳に象徴されるように、「倭人ならざるヤマト族」ないしは「ヤマト文化を奉じる勢力」がある程度半島により足を伸ばすような状況が現れる。恐らくは百済と倭国両方の官位を得て相互の交渉に従事しつつ、最終的に百済任那両方の支配力が低かったこの地域に「居座った」と見られる勢力である。
 これが任那本体にまで浸潤することはなかったが、言わば「半島浪人」的に半島の領土を切り取って支配することを目論む豪族勢力が現れたのでは、と思う。例としては書紀で「三韓の神聖」を名乗ろうとした紀生磐辺りを挙げられよう。王権が発展するなかで、内部の勢力争いで不遇をかこったり、或いは集権化する支配に不満を感じる勢力の反発は、こと列島のような多様性の高いドメインにおいて深刻化した感がある。
 こうした勢力が在地勢力との軋轢を起こす中で、半島側の海人勢力は徐々に列島側王権への親和を失い始めたのではなかろうか。紀生磐の乱とは前後するが、既に雄略崩御直後には、任那の主要勢力である加羅が中華南朝にたいする独自の朝貢などを開始した辺りは、そうしたある種の危機感のあらわれを見ることが出来る。こうした状況で、倭は全羅道地域の「四県」を百済に委託することでこの地域から引き上げることを最終的に選ぶのだが、それは任那の海人勢力への求心力を更に動揺させる結果となったと見える。

 一方、対馬海峡を挟んだ逆側では、こうした半島の動きとは似て非なる形で、言わば海人勢力を糾合するように、北部九州を「切り取って」勢威を振るう傑物が現れた。筑紫君磐井である。
 この反乱者は、一見インディジェナスな勢力の代表者のように見えるが、そうではなく紀生磐同様なヤマト豪族の係累であろう。それは、王権の派遣した将に対し「昔は、共器にして同食ひき」的な発言をしている辺りからも窺える。岩戸山古墳という、この時期としては大王に準じるクラスのかなり巨大な部類に入る前方後円墳を築く勢威を持った磐井は、新羅との内通を史書に記されるが、恐らくは土着な海人勢力との連携に成功したことで、半島との流通などの権益を増大させて力を得たのであろう。
 そして、この反乱を鎮圧したあと、少なからず王権の手に海人を再編するのは手間だったのではないか、とも推測され。6世紀半ばの欽明の治世においては、書紀のかなりの部分は百済史料ベースでの任那復興工作の記述に紙幅を割いているが、或いはそうした施策の裏では、九州から対馬にかけての「倭人」までもが新羅の手に落ちることを防ぐ意図もあったのではなかろうか(で、それがあったとしても、ソースである百済史料では関心領域外なので余り言及されない)。ただ、最終的には半島側海人たる任那の独立については、武力でも古代半島において屈指であった新羅真興王の前に保持することはかなわず、大和としては新羅と百済をバランスさせるような外交にシフトしながら、かろうじて交易の経路を確保するにとどまった、と。

 そのような経緯で任那史を辿ると、これは「陸の王権」たる半島と列島の政治的な成熟により、「海」を舞台に独自のアイデンティティを持ったマージナルな「倭人」という民族が、「国家」という地理的な区分に従って分断される形で吸収された歴史であった、と言えるのかな。
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テーマ: 歴史

ジャンル: 学問・文化・芸術

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色々動いた、競馬雑感。 

 余り寒の戻りがあっても、花粉期間が長引くのではと不安に(挨拶。

夜のビアステーション
夜のビアステーション posted by (C)有芝まはる殿下。
DMC-G1 CANON LENS(ex. Serenar) 50mm/f1.8-I F1.8 1/30s ISO-800

 ある意味静かな引退であった、気がする>タニノウォッカ。
 こういう形で本番前に遠征先で負けてというと、サクラローレルを思い出すが、彼の引退の時ほど半端な思いはなく、普通に「やり遂げた」的な印象があるのは、こちらが変な意味で慣れてきてしまってるからなのか、それとも実際にタニノウォッカがそれだけ濃密なキャリアを誇っていたからなのか、その辺りはどうも自分でも釈然とはしない。一方で、*グラスワンダー的な意味での「何故引っ張ってしまったか」的な感覚も希薄であったりする。
 詰まるところ、タニノウォッカ自身ではなく、周囲の側が「この牝馬のいない競馬場」を淡々と築き始めていたからかな、なんてことは思う。ブエナビスタやドリームジャーニー、或いはレッドディザイアという辺りが主役として相応の地位を占め始め、クラシックでもローズキングダムとヴィクトワールピサが二枚看板を張る構図。まぁオウケンブルースリやスクリーンヒーローの離脱でやや層は微妙ではあるが、何となく今の競馬にそこそこの「背骨」がまとまってる感もあって。

 と言ったところで、レッドディザイアのマクトゥーム・チャレンジをどう解釈したものだろう、みたいなことを考えつつ、金曜日以降なかなかまとまってなかったりする。案外、緩い流れとは言えあれも「展開が嵌った」的な部分はあったのだろうかという辺りから始まりつつ、かと言って、この馬が常に、比較的高いハードルを選びながら、その高いハードルに対して相応な結果を残すことで、どんどんスケールを増しているという事実もあり。エルフィン→桜花賞ってローテももとよりそうレギュラーなものではなかったし、ジャパンCもかなり厳しい挑戦と思われたが結果3着。そうした意味では、この結果を踏まえてワールドカップってのは、少なくとも「筋の良い」流れを得ているようには思われる。
 その上で、本馬とブエナビスタの関係ってのは、割とタニノダスカにおいて、本来正調であるはずのダイワスカーレットが、オークスに出られず逆にダービーにタニノウォッカが勝ったことで「正調」のポジションが逆転した状態で経過したのとは逆に、純正にブエナビスタが非常に良くも悪くも「王道的」な正調に対して、レッドが「覇道的」な傾きを演じている訳だが、両者が次に出会うまでにどの程度レッドディザイアの「スケール」が変貌するか、という意味では興味深いかも知れない。

 一方で、弥生賞。
 この馬場傾向なら普通に*ミッションモードで行けるんじゃねと思ったら、何か本馬場でエラいことになってるし(しかしkarasiさんのこの写真、すげーよなぁ)、結局出遅れては何も出来ず。そんな中で、ヴィクトワールピサがイン有利を活かしつつムチ一発で能力の違いを見せるような勝ち方ではあり、RV決戦ムードをまずは維持した、という辺り。ただ、今日の結果度外視で皐月で*ミッションモード遊ぶってのはアリじゃないかと、妙な方向に気持ちが行ってしまいそうなレースではあった(苦笑。牡馬は、やっぱり「もう一頭」が絡む展開になるのかなぁ、なんてことも考えたりするのは、中山のトリッキーさを過剰評価する故であろうか。ただ、それだったら素直に*エイシンアポロンを3強の一角に据えればいいのか?ブルーチップな馬で、ケチは付けづらいのだけれど、余り嵌りパターンが見えてこないタイプなのが、ちょっと食指をそそりづらい部分ではあるか。
 ともあれ、オープンな争いとして「第3の馬」みたいなのはありそうで、それに関してはハンソデやヴァンド(←紛らわしい表現)、ルーラーなども含め多士済々ではあるが、皐月賞辺りで一気にその争いは収斂しそうかも、的な。一方で、皐月に間に合わないと、ダービーでそこに追っつくのが大変そうな展望ではあり。
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「Queen of Triple Axel」と「Mr.c-sharp」、或いは浅田真央と「鐘」との邂逅に思う。 

 まぁ、いい加減採点の話はアレなんで、もうちょっと演技よりなお話をしたくなり(挨拶。
決定版的なエントリを書かれてる方も出て来てることではあり。

向島百花園 黄梅に差し込む
向島百花園 黄梅に差し込む posted by (C)有芝まはる殿下。
DMC-G1 CANON LENS(ex. Serenar) 50mm/f1.8-I F1.8 1/4000s ISO-100

 とは言っても、演技ってよりは音楽のお話、というか。
 先のエントリに対するぶこめより。
buryoffence buryoffence 「鐘」帝政ロシアの抑圧を受けた民衆の自由と解放がテーマ。そういうことだったんだね。終わってからやっと気づいた。彼女がこの曲を選んだ意味。この曲こそ理不尽なシステムに挑む彼女そのものを表しているのか。
 というコメントがあり。
 ただ実際は、残念ながらというか、この曲は「前奏曲嬰ハ短調」というれっきとした絶対音楽。
 絶対音楽って何やねんというと、「何らかの対象を描写したものではなく、音楽そのものを表現する」というもので、そういう理由から題名が付かない曲のこと。ファン・ベートホーフェンの「運命」が、「英雄」とかとは異なり、後の人が作曲にまつわるエピソードからそう付けただけのもので、「じゃじゃじゃじゃーん!」は朝ごはんや混ぜごはんでないのと同程度には運命の扉の音でもないのと同様に、「The Bells of Moscow」というタイトルも、この曲に世界的な人気が出た際にアメリカで後付けされたニックネームで、ラフマニノフの意図として「帝政ロシアの圧政への抵抗」とかがあった訳ではない。

 そうは言っても、その着想の背景には当時の鬱屈したロシアの国情はあったかも知れないし(それは作曲した本人にとっても無意識のうちかも知れない)、フィギュアスケートとして舞踏のレベルに変換する際に、タラソワ師がそうした情景を表現意図として加えた可能性は大いにあろうかとは思う。
 現実に、タラソワ師自身が、ソ同盟ステートアマの嫡流(師の父は、一代にしてカナダと双璧をなすソ同盟アイスホッケーを創造したアナトリー・タラソフ)という血統に課せられた運命を背負いながら、共産党支配の時代を乗り切った経験もあるわけで。NHKでも「怒り」とか「平和へのメッセージ」みたいな紹介があったが、あれは無論タラソワ師に事前に聞いてのコメントであろう。

 という反面、個人的には「絶対音楽」としてのこの曲について、ふと思う。
 題名のないこの曲は、もうひとつの愛称として「c-sharp」というものを持っていた。「C#」ではなくて「c#」。前者だとプログラム言語だが、cが小文字であることから、短調を表す「嬰ハ短調」の意味。本作は、「作品3-2」という、ラフマニノフにとっても初期の作品であった。言わば、出世作である。それがある意味ラフマニノフの代名詞的な存在となり、彼がピアノ演奏をすると、聴衆は「c-sharp!」と言ってこの曲のアンコール演奏を要求したらしい。ソースはウィキペ

 ただ、このエピソードを割と最近になって知った有芝は、どうもこの「ミスター・cシャープ」というべきラフマニノフに、「Queen of Triple Axel」たる浅田をどこか重ねてしまうような思いにも囚われたものではあり。
 確かに、ラフマニノフがこの「c-sharp」の名声に複雑な思いを抱いたのとは裏腹に、浅田は自らのアイデンティティというか使命としてトリプルアクセルを磨いている訳だが、若き日の天才性ゆえに周囲にそれが過剰に膾炙されている的な辺りでは、共通項を感じるというか。浅田は、表現力としても今回の演技を見るまでもなくトップレベルの域にあり、個々のエレメントにおいての複雑さや技巧の多様さにおいても、抜群のものがある。SPのあと、両者の比較画像みたいなのをNBCまでもが作っていたが、ほとんど同じタイミングで浅田とキムの演技が進む中で、ステップシーケンスの長さは浅田が長く、それだけ濃密であった。スピン・ステップで凡ミスによるレベルの取りこぼしが多いイメージがあったが(東京ワールドでの対安藤の敗因)、五輪を見る限り、それも乗り越えつつあるように見える。
 しかし、まずは浅田についてどうしても我々は「トリプルアクセル」というフィルタを経由して見てしまうのだ。或いは、ISUの鍛えられたジャッジですら。そういう観点で「目を付けられる」ことの不利については、先のエントリで触れたとおりである。ともあれ、このイメージとの呪縛との戦いみたいなものは、今後どうしても続いていくであろう。稀代のピアノ奏者であったからこそ、ピアノ曲にアイデンティティを規定されたラフマニノフのように。

 その上で、現代においてラフマニノフの最もよく知られる曲は、この前奏曲ではなく「ピアノ協奏曲第2番」である。フィギュアスケートの場でも、頻繁に演目となる曲だ。その過程で時に悪評に精神を患いながらも、彼はこの曲で名を残し、最終的に「ミスター・cシャープ」を超えて見せた感がある。
 浅田の選ぶ道も、王道ではあるが極めて急峻な王道であろう。
 ただその中から、浅田にとっての「ピア協」的な、より総合的なレベルでの大作を見たいし、そういう選手として、浅田が歴史に残ってほしいと願うものである。或いはそれが、「月の光」や「鐘」の演出にあたって、本来のピアノ曲でなくオーケストラでの演奏を敢えて選んだ(「ノクターン」や「幻想」であれだけいいプロ滑ってたんだから、意外といえば意外でしょ?)、タラソワ師の意思なのかも知れないから。
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