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殿下執務室2.0 β1

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有芝まはるが綴る、競馬話その他の雑談、そしてYet Another Amateur Photography。

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イランと中華、両帝国の30年差のシンメトリー 

 色んなのの雑種っぽいうちのネコであるが、ペルシャもちょい入ってるらしい(挨拶。

夏でもモサモサ
夏でもモサモサ posted by (C)有芝まはる殿下。

 先に中華とウイグルの話題を出したが、一方で昨今キナ臭かったのはイラン。
 過去に世界七帝国という話題を出したが、インドのムガールを中心に、西にペルシャ・東に中華があり、更に西にはルートコ、東には本朝があった、という図式で、何となくペルシャと中華の対称性、みたいなのはあろうか。いや、規模的にはオスマン朝の方が大帝国であったが。
 ……はサテオキ、何となく、現在のイラン・イスラム共和国ってのは、ある意味中華人民共和国のシンメトリー的な感覚はある。恐らく、独裁の度合いも似た程度であろう。因みにサウド朝とかの独裁はイラク以上に酷いと思うしある種原理主義的なイメージはあるが、そういう意味では中華の「独裁」もまぁそれほど「極端」ではない、みたいな印象も有芝は持ってたり。
#まぁでも、現在の中華のような国家を隣国に持つのは決して幸福ではないが。

 で、この二つの「帝国」の歴史を思うに、中共が民國政府を台湾に放逐したのが1949年で、アヤトラ・ホメイニがパフレヴィーの白色独裁国家を打倒したのが1979年。両者の国家成立は丁度30年のスパンで世代差が存在する。そうした中で、その後の歴史を簡単に年表にすると、ちょい味わい深い。

・中華1950年:朝鮮動乱勃発⇔イラン1980年:イラン・イラク戦争勃発
・中華1959年:毛沢東国家主席辞任⇔イラン1990年:ホメイニ死去
・中華1961年:米国・ベトナムに派兵⇔イラン1991年:イラク湾岸戦争
・中華1967年:劉少奇失脚⇔イラン1997年:ハタミ大統領就任

 ともに、建国早々、国運を揺るがしかねない重要な戦争が勃発し、その対応に追われることで両帝国はスタートをした。そうした緊張感が先に緩和されたのは中華の方であったが、一方でこちらは大躍進などの失政があり、毛沢東は国家主席から一時おろされる。一方で、そのほぼ30年後のスパンで、イライラ戦に8年明け暮れたホメイニは死去した。そうした中、近隣にアメリカの戦争が続く不安定さを抱えながら。
 しかしここで、老いた毛沢東がヘタに生き続けた中華において、1960年代に文革という内紛に明け暮れる時代が始まる一方、90年代のイラクは、ホメイニ後継のハメネイ・ラフサンジャニの両頭政治によって、比較的安定した指導体制がもたらされている。そうした中で、30年ズレた歴史は、前者が混乱・後者が安定と、やや後者に分があるような歴史に見える。実際、ある程度革命世代が老化する中で、無為な闘争で文革のような無茶な消耗戦を行わなかったのは、往時のイラン指導部の知恵というべきであり、評価されるべき所ではあろう。
 ところが、ここから数年後に、対米関係でまた対照的な事件が両国に訪れる。

・中華1971年:ピンポン外交⇔イラン2001年:米同時多発テロ
・中華1972年:対米国交回復⇔イラン2002年:「悪の枢軸」演説
・中華1976年:毛沢東死去・文革終結⇔イラン2005年:アフマディネジャド大統領就任

 ここに来て、中華は対米関係の融和に一気に傾いたのに対して、イランはやや不幸な形で対米関係が一気に悪化する方向に傾いてしまった。そして、結果としてイランはラフサンジャニ・ハタミといった宰相が進めてきた開放路線を変更せざるを得なくなり、アフマディネジャド就任と核開発という対決姿勢を取りつつ、やや経済的にも混迷の方向に向かい始めるのである。
 そうした中で、今年2009年の30年前の中華では何が起こったかというと、この年、小平が最高指導者の座に就いた。ここから、中華は改革開放路線で経済を一気にブーストさせる一方で、官僚的指導体制を完成の域に持って行く見事な内政を見せ始めるのである。一方で、イランにおいては、内政において決して巧みとは言えないアフマディネジャドが今年再選を果たしてしまった。しかも選挙でケチをつけ、正統性にまでややキズを持ちながら。
 一時期イランの方が恵まれた趨勢にあるように見えた両者の比較革命史は、ここに来て逆方向に舵を向け始めているようにも見える。しかし、中東の不安定感の中で、イランがある程度「しっかりする」ことによって得られる益は多いであろう(勿論、イランの如き独裁的な帝国が続く不利益もあるにはあろうが)。
 さて、イランは、この流れを揺り戻す機会を、どのようなタイミングで掴み始められるのであろうか。
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テーマ: 文明・文化&思想

ジャンル: 学問・文化・芸術

海外雑感  /  tb: 0  /  cm: 2  /  △top

今日も今日とてガンダム撮影。 

 せっかく正式公開になったので、アシまで含めた全身見てみようと。ライトアップとかもあるしな。
 それにしても、露天とかがやたら出てて、そういう所で飲み食いしながらガンダム眺める夏の夜ってのは、ある意味21世紀の大規模な盆踊り大会みたいなものであろうか。てな訳で、何枚か撮ってきたものを晒し。
 しかし、レインボーブリッジ入り口辺りから見ていて思ったのだけれど、ガンダムってやっぱり小さいは小さいよな。多分、東京にモビルスーツが大挙して空から攻めてくるのと、B29の大群が低空飛行してるのでは、間違いなく後者の方が怖い気がするぞ。



紺碧の空に立つガンダム空が暗くなると夜景モードではオートでシャッタースピードが落ちていくので、通常撮影モードでスピードを1秒に縛って、空の雰囲気を出してみる。しかし、こうやって背景消すと、微妙にガンプラっぽいな……。個人的には割と気に入った出来映えではあるが。

F4.5 1/1 ISO80 147mm EV0:通常撮影
夜景とガンダム撮りな皆さん街の景色と併せて撮りたいのだけれど、同じことを考えている人多し。かと言って余り前の方でアシ立てるのもアレだしなぁ。ちょい、空の色を暗めにレタッチしつつ、モビルスーツの色を白っぽくしてみました。何かスポットが微妙に緑っぽい感じだったので。

F4.3 1/1 ISO80 90mm IS-OFF EV0:夜景
ガンダム ライトアップ後頭部の赤みのあるライティングが何となくカッコよかったりする。首が動き出すと、目はもっとギラギラ光ります。緑色っぽい目のやつを撮りたかったが、微妙にタイミング合わず。首動いてるからアングル取りづらいし。

F4.7 1/1.6 ISO80 IS-OFF 242mm EV0:夜景
薄暮に立つお台場ガンダム全身写真。撮影コーナー脇の看板の上にゴリポでカメラ立てかけて撮影。アングル的には、撮影コーナーの1500円も(多分)伊達じゃない、という見事なポジションではあるが、ちょい書割みたいな絵になったなぁ。
因みに、多分撮影コーナーからじゃないと、レインボーブリッジ入らない気がした。

F4.0 1/3.2 ISO80 IS-OFF 63mm EV0:夜景
ガンダム「ぶほぉっ!」ややネタ的な。何となく首を上げ切った瞬間をスナップしたら、排気の出方とか手ブレっぷりも含めて、何だか後ろから胸部を撃ち抜かれたみたいな姿に見えてしまった件。しかし、可動域を示したいという気持ちは分かるが、これは無駄に上げすぎだと思うぞ(笑)。

F4.2 1/15 ISO400 IS-OFF 78mm EV0:夜景

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テーマ: 機動戦士ガンダム

ジャンル: アニメ・コミック

よしなしごと  /  tb: 0  /  cm: 0  /  △top

多分、いつかウイグルは中華から独立出来る、気がする。 

 本日は庚申の縁日(挨拶。
#いや、別にこの写真自体はちょっと前に撮ったんで、今日は普通に仕事してましたが。

帝釈天の猫
帝釈天の猫 posted by (C)有芝まはる殿下。

 で、本題。いや、いつかって言って数百年後とかだったら、そりゃ何でもありだけど(笑)。

 ……はサテオキ、ウイグルを地図的に例えば去年独立運動が起きたチベット辺りと比較してみてると、明らかにウイグルにとって中華から離脱して独立することは、チベットよりも簡単だよなぁ、って気分にはなる。なにしろ、チベットはほぼ四方を峻厳な山々に囲まれ、出やすい出口はほぼ中華よりに限られてくる。峻厳な地形は人口の制約をもたらすし、また仮に経済的にやれる程度の資源があったとしても、持ち運びにも制約は出てくるだろうし、どうしても中華への依存度が強くなりそうではあり。
 それを思うと、文字通り「シルクロード」として東西に開かれ、モンゴルやカザフスタン、イン・パキなどにも通じやすいウイグルなんかで、独立運動がゲリラ的に猛威を奮った場合、後背地の存在する敵相手となると中華も簡単ではないだろうな、と。
 その上で、ウイグルにはダライ・ラマのような独立運動のアイコンを持っていないが、これは逆に言えば、「ダライ・ラマ的な指導者に拘束されない」というメリットでもあるかな、と。無論、ああいう存在が以内となかなか国際的に独立運動が認知されないだろう、ってのはあるが、別に分離独立を指導するのは、先住民たるウイグル人である必然性も無いのである。

 もうちょっと言えば、ウイグルが中華から分離する時、恐らくそれを指導して独裁的な権力で国際社会に自国を認めさせる英雄は、多分漢人、それも共産党の幹部出身の人物となるのではないか。

 今回の一件も、ウイグル人の暴動以上に漢人のカウンター暴動が大きかったとの報もあった。一方で、ウイグルに現在多数入植する漢人も、その来歴からかなり多様化している、との話も耳にする。そうした場合、今回はウイグル対漢人であったが、漢人対漢人の軋轢みたいなのも今後発生していくのではないか。
 そうした中で、ウイグルの地方政府のリーダーとして赴任した幹部が、たまたま中央での出世争いに倦んでいて、しかも決して無能ではなく、相応の野心を心に秘め続けているような場合、一つの判断として「独立」を志し、そのトリガーとするにあたって、漢人の一部勢力をスケープゴートにする形で漢・ウイグルの残り勢力を糾合したら、ちょっと中央側として厄介なことになるように思われる。無論、そうしたことが起きないように、中華政府側も地方政府においては様々な制約や相互監視のシステムを導入していることは容易に想像が付くが、それを擦り抜けられるほど、その幹部が有能であったら……。

 とすると、結構こうした地域に中華政府としては余り「有能すぎる」人物を送り込めないのではないか。例えば胡錦涛なんかは能力を嘱望されてチベットという難所を預かり、そこで辣腕を振るって出世の糸口としたが、先にも書いたとおり、チベットはある程度地勢的に「封じられた」地域であり、しかも胡錦涛がチベットにいた時代に、中華自体がさほど「注目される」国家でもなかった(少なくとも、現在ほどには)。そういう点で、逆に「国家主席を争えるほど有能」な存在を送るにはやや火中の栗的にもなり得るだろう。
 で、やや微妙な幹部をこの地域に派遣することで、社会矛盾が加速しやすくなる、的なリスクもあるかも知れない。その辺りのバランスを一歩間違うと、結構今回のような騒動が頻発して、それを鎮圧するコストが高まること、或いはそのコストを引き受けられる程度に有能なリーダーが、その「配当」として高い自治を要求してくること、といった辺りがリスクとなるのではないか。
 その時に、中華が現在程度に巧くいっていればいいが、もし中央に斜陽が見出されるような空気が中央側にあるならば、意外とウイグルの「独立」を志向する漢人の登場、ってのはあっても驚かないかな、みたいな気持ちはある。

 ……てなことを、何となく全く関係ない調べ事しててふと班超のことを思い出したりしてたら、考えついた。
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テーマ: 中国問題

ジャンル: 政治・経済

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満員電車と、職住の距離感の問題。 

 通勤ラッシュも凄いが、GWの江ノ電とかの混雑も何気に凄い(挨拶。

江ノ電 GWの七里ヶ浜近辺
江ノ電 GWの七里ヶ浜近辺 posted by (C)有芝まはる殿下。

満員電車は人権蹂躙だ@xevraの日記

 基本的には、私鉄その他の交通機関は現在のラッシュにある程度責任を持つ立場にあるとは思うが、それは「輸送力を増強しきれていない」からではない、とは思う。むしろ、輸送力の増強って点では、沿線住民の既得権益に頭を悩ませながら、ここまで頑張って複々線や車輌の改善に取り組んできており、一定の評価は必要であろう。例えば、東西線とかを30両編成とかにすると、駅間が地下鉄区間などで狭くなることにより、加減速に限界が発生したり乗降時の安全の確保が困難になったりと相当なコストは掛かったりするので、どうしたもんかな、とも。ラッシュ時運賃の適用とかも、逆に閾値ギリギリの通勤混雑の激化とか、色々課題はありそうですし。

 はサテオキ、そもそも、海外で何故にラッシュが東京ほどに深刻にならないかというと、概ねアメリカのようにひたすら自動車通勤という地球環境に優しくない向きを除外すると「職住接近が比較的実現していて、都心通勤がマジョリティではない」ってのがある、気はするんだけれど、この「職住接近」を提案しきれなかった辺りに、東京の鉄道会社や都市政策の問題はあったのではないか、てなことは思う。
 例えば、現在の最混雑路線としていみじくも名が挙がるのは田園都市線であるが、この路線名は東急による宅地開発政策に由来する。言わば「東京の喧噪」を離れたライフスタイルを美とする生活の提案である。本朝の、多くは土地のブローカーに由来する鉄道会社は、こうした宅地開発を一体化する形で経営を発展させ、一方で東京の勤労者も彼らの提示する「スタイル」に乗っかり、ある程度の心地よい生活を謳歌した、という事情はある。

 一方で、外国のガーデンシティやニュータウンに内在する「職住接近」というテーマは、ある程度以上置き去りにされた。これは、サプライ側や政治側のある種の不作為ないしは能力・リソースの限界によって、こうした方向性を前面に出せなかったってのもある一方で、デマンド側でも「職住を離すことで、家では仕事から距離を置き、生活を豊かにする」という選択肢を選んでしまった、みたいな面はあるだろう。メディアも地価の高い都市部での生活を「ウサギ小屋」と揶揄することで、この方向性を後押しした。この辺りの心情は現在に至るまで健在で、実際通勤時間が短くなり、しかも座れる可能性すらあっても、田園都市線沿線から引っ越して綾瀬や成増に住むのを躊躇う向きはあるだろう。
 とまれ、結構高度成長期には速やかに「職住分離」が実現してしまった感がある。これは、かなり世界的に見ても独自かも知れない。都市部のドーナツ化は欧米でも同様であるが、こういう形で「住」主体でのドーナツ化、となると。

 で、そうした職住分離の中で都市に企業が「居座って」しまったことにより、ある程度今度は、働く側として「職職接近」のメリットを享受してしまってる面もあるかも知れない。例えば、現在の東京における「仕事量」をそのままで職住接近だけやって企業の郊外化を実現すれば、今度は客回りや出掛けの用事がやたら億劫になるのではないか。このIT化のご時世に客回り……とは自分でも思うけれど、実際にそうして「仕事を回す」ことのスタイルを大幅に変えるのは、ある意味ラッシュに堪えるのと同程度かそれ以上のストレスを通勤者に齎す可能性はあるかも、とは思う。この辺り、変えてみても面白いとは思うけれども、社会の変化について漸進性に美を見出す自分のような立場においては、ぱぱっとやってみよーぜ的にはちょいなりづらいのも事実ではありか。
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テーマ: これからの日本

ジャンル: 政治・経済

国内雑感  /  tb: 0  /  cm: 2  /  △top

「ナニワさん」じゃなくて「ののワさん」が発見されたら凄かったが。 

 青電追っかけ時の副産物(挨拶。

軌道内公衆立ち入り
軌道内公衆立ち入り posted by (C)有芝まはる殿下。

 で、本題ですが、すんません、アイマス話は無いです。

韓国の木簡に「ナニワ」さん 7世紀、日本人の名前か@asahi.com

 今回の発見で特筆すべきなのは、7世紀の百済滅亡前には難波氏(というか、難波吉士氏)が「連」姓を得ていたことで、こうした技術者系の氏族に対しての賜姓の時期とか、海外使節に頻繁に名を連ねていた難波吉士氏の地位の向上、みたいなのが確認され、また書紀において記される氏族の「役割」的な部分に関しての信頼性が確認された、という面もあろうか。

 難波吉士氏の「吉士」とは、新羅の官職とされ、一般的には新羅系の渡来人を指すと言われることが多いが、実際には有名な王仁は百済系漢人を自称するものの古事記において「吉師」と冠されていたりするし、難波氏は平安期の姓氏録においては高句麗の広開土王の子孫とされるので、案外半島内において融通無碍に使われていた可能性も否定できず。「難波」と敢えて付くのは、この渡来集団が比較的難波近辺に固まっており、海運や外交に従事したことのあらわれであろうか。
 で、王仁の渡来は応神期と伝えられる一方で、この難波吉士氏の初出は、書紀では多分安康元年(454)辺りで、この年に安康に殺害される大草香(仁徳の皇子)の重臣として難波吉士日香蚊という人物が現れ、日香蚊は主君に殉じて自害し、その後雄略朝において子孫が大草香の無実が晴れたことで名誉回復され「大草香部吉士」を賜姓された、とある。実態としては、5世紀の氏族に「姓」が無かったであろう、という推測は以前書いた通りで、この後半部の伝承自体はある程度後世のエピソードを繰り上げられたものであろう。大草香部出身の難波連大形は天武朝にあって「帝紀及上古諸事記定」という、言わば史料編纂のスタッフに名を連ねており、自家の伝承を史書にて顕彰するのに有利な立場にあった。史実に照らしても、本朝が高句麗と険悪な関係にあった雄略期に、高句麗系を自称するこの氏族が厚遇を受けたと考えるのは決して現実的ではない。

 一方で、渡来系の「吉士」に関しては、記紀はもう一つの矛盾した系譜を示していて、それは五十狭茅(伊佐比)宿禰という神功期の武将が、吉師または難波吉師部の祖とする伝承である。神功が三韓征伐から帰朝した折、後継者争いで敗北したと忍熊(応神の異母兄)とともに戦死したと伝えられるこの人物は、出雲系神別氏族として系譜上は位置づけられており、これをどう扱うべきか。
 渡来色の濃いこの氏族を出雲系と位置づけるのが作為であることは言うまでも無いが、興味深いのはこの系譜作為が神功伝説とリンクされている辺り。
 神功が半島を制圧したという伝説自体には多分にフィクションが含まれるが、その息子応神の世代は、史料的に確からしい雄略没年から25年/世代として405年以前くらいと系譜から推測され、丁度高句麗における広開土王の在世に重なる。無論、広開土王と言えばその生涯において倭との戦闘が大書されるような存在であり、そうした状況を考慮するならば、この「吉士由来伝承」は、高句麗との敵対的な関係の本朝側における痕跡として記紀に残された、と見えなくは無いだろう。
 その上で、史実の難波吉士氏、というよりは「難波吉士族」的な高句麗の渡来集団としてもいいかも知れない、が、本朝に渡来した年代はやはり、同じく「吉師」を名乗る王仁と同様に、応神~仁徳期辺り、すなわち4世紀末~5世紀前半を見てもいいとは思われる。ただ、広開土王が健在で、倭に対して敵意を燃やしていた時期に渡来したと考えるのは、余り現実的ではないかもしれない。或いは実力で拉致したならば、史書はそれを「戦果」として記するであろうが、書紀は対高句麗でそのような事績を記してはいないので。そうすると、長寿王に代替わりし、しばらく三国史記でも平和な時代として描写される420~430年代辺りをこの集団の渡来時期として、また姓氏録における高句麗出自に関しても、信頼していいのではないかとは思われる。書紀にも、仁徳紀に高麗使の来朝が二度記録されており、そうした友好的な外交の文脈で彼らは定着したのではないか。

 ところで、そうして見た場合、前述した大草香誅殺の「外交的な」意味合いも浮かんでくる。
 三国史記では444年に、倭による新羅侵攻が記録されており、文脈的にこれは新羅の「負け戦」的に見えるものである。この後、新羅は高句麗と敵対し、百済に近づく。一方で、中華の宋朝は451年に、兼ねてから倭が主張していた、新羅を含む「六国諸軍事」のお墨付きを公認しており、恐らくはこの辺りの外交的な変化は、444年の倭の「戦勝」が影響を与えているのではないかとも推察される。それに対し、454~455年に高句麗は相次いで新羅・百済を攻め、三国の戦乱が再発した。
 大草香誅殺はまさに、その454年に記録される事件である。
 安康紀の紀年についての正確性は議論があるかも知れないが、雄略以降はほぼ信頼できる傾向にあるので、ここもギリギリ信頼すべきかと思われる。そうすると、難波吉士氏を従えていた大草香の立場として、「親高句麗」というのが浮かび上がる。或いは、この皇子自身が渡来系の母から生まれた可能性もあるかなとは思うが(史書に残される皇子としては、母の出自が怪しいので)、それはそれで置いといて。ともあれ、難波吉士氏という渡来氏族は、そうした本朝と三国の4~5世紀における関係史においても、ある種の示準的な役割を果たすようには思われる。
 そういう文脈でも、今回の発見によって難波氏の実在性がクローズアップされたのは興味深い現象、ではあったかな。

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テーマ: 歴史

ジャンル: 学問・文化・芸術

日本史  /  tb: 0  /  cm: 4  /  △top

マウアーの4割挑戦と、イチローの「達成された」4割。 

イチローに強力ライバル=4割に挑む天才打者@時事通信
Joe Mauer's quest for .400@Twincities.com

 てな訳で、大リーグでは現在イチローが首位打者をひた走る一方で、規定打席未満の「隱れ首位打者」であるジョー・マウアーが4割近い打率を現状維持しており、「すわ、新たな4割打者か」的な注目を集めている。一方で、6月のイチローの打棒も相当なもので、或いは「4割を目指しながら首位打者を争う」という超抜なシーンも期待できるかも……なんて希望も起きるものではあるが、果たして、と。
 そんな中で、特にマウアーの4割がある程度期待される裴景には、彼が序盤の1ヶ月を棒に振ったこと、が皮肉にも作用している面はある。キャッチャーとして大リーグ文化的な休養日を度々挟むマウアーの場合、今後の試合数を考えても、比較的規定打席数前後くらいが予想される、と言うこと。チーム折り返しの81試合の段階で56試合240打席を使われている彼の場合、後半70試合程度で上見て平均4.5打席足らずとして、550打席程度でシーズンを終えそうではあり、大リーグ162試合ベースの規定打席である503を大きく越える数字ではない。それだけに、シーズン前半の確変期(この間は.420くらい打ってた)の数字から大きく落とさずにシーズンを終えられるチャンスも大きくなる、という訳で、上の英文記事においてもかつて4割チャレンジに臨んだジョージ・ブレットなどが「4割達成には、如何に故障で適度に休みつつ規定打席ギリギリでシーズンを過ごすこと」を重視してる、なんて話も。

 ただ、思うのは、そうは言ったものの規定打席ギリギリでも4割を維持し続けると「4割チャレンジ」という看板をメディアに背負わされるプレッシャーは想像を絶するものがあり、要するに高い打率を初めから叩き出した状態でそれをギリギリ維持する、という4割チャレンジは結構困難なんではないかな、って所。そういう意味では、イチローみたいにスロースターターな打者が、3割7分辺りからシーズン終盤の一気の追い込みで最後ギリギリ4割、って方が簡単なんだろうなぁ、みたいには思われる。
 その点で「4割打者」の潜在適性の強いイチローではあるんだけれど、こちらはこちらで無駄にタフすぎ、しかもリードオフなので打席数は500どころか700を毎年軽く超える勢いであり、この打席数の多さが4割の障害になる辺り、野球は難しい。今年などもDLとは言えたったの8試合であり、現状では十分700打席ペースを維持してしまう始末であり、今年こんだけ打つならむしろ5月半ばくらいに復帰してれば4割チャレンジ利いたかも、とか逆に思ってしまう(苦笑。まぁそしたらそしたで、オールスター出られなかったかも知れないのでアレだが。

 で、そうした規定打席について思う時、ちょっと気になるのは、「仮にイチロー(みたいな打者)がシーズン序盤から飛ばした」ってケースを妄想すると、「503打席到達して4割を維持してる段階で、まだシーズンが1ヶ月以上残っている」という可能性が存在する、ということである。もしそうなった場合に、果たして4割を切るリスクを圧して試合に出続けるのか、監督が使う勇気を出せるか、或いはメディアは出ることをよしとするか、出ないことをよしとするか、様々なことについて考え込んでしまう。
 因みに、これに一番近いケースは、既に2000年のコロラド・ロッキーズで実現していて、当時も現在もチームの看板であるトッド・ヘルトンが4割チャレンジをしていた時、一瞬だけ「503打席以上で4割」を達成している。それは、8月18日のマーリンズ戦6回裏、この日3安打目となる2塁打を放ったヘルトンの打率は、一旦4割を超えた。果たしてチームでもどれだけ気付いてたんだろうとか思うが(今はともかく当時ってメジャーのスコアボードとかもそんな事細かに選手の打撃成績表示してなかったんではと)、ともかく3点ビハインドを追いかける次の打席にも登場したヘルトンは1塁ゴロに倒れ、結局この試合の.399を最高に、二度と4割ゾーンにかすることは無かったのである。もしこの日、監督がふと「おいここから先ヘルトン使わなかったら、こいつ4割打者になるぞ」とか気を回したら、果たしてどういう評価を受けてたんだろうか、とか思ったり。まぁ当時のクアーズでそんな達成の仕方しても、結構口さがない向きからは散々言われたのかな?

 てな訳で、「規定打席で4割」という意味では最もウィリアムズ以降4割に近かったのはヘルトンな訳だが(グウィンのストライキ時.394も十分に惜しかったが、スト決行の段階で475打席と、規定未達ではあった)、なら「試合終わったレベルで、504打席4割超え」ってウィリアムズ以降果たしてどれだけあるんだろうか、と思いながらBaseball-referenceとか見つつ.370以上くらいで首位打者取った選手のゲームログいじってたんだけど、結果としては、カルーの1977年とか、グウィンの3割7分くらいの年とかも含め、なかなか見あたらない。
 恐らく、唯一であると思われるのが、2004年のイチロー。
 2004年の5月5日~9月9日までの112試合の間が、523打席で487打数196安打の.403。
 ヘルトンの記録もあるが、試合終えた段階で切れていたって意味では参考記録程度であると思われ、その意味では「シーズン規定打席分打って4割」の唯一の事例は、このイチローの2004年中途成績となるだろうか。勿論、シーズン当初の数字とかを加味すれば余り意味がないっちゃないんだけれど、この数字だけを取れば、ある意味イチローはシスラーを超えた年に、本人も恐らく全く気付かぬまま「4割バッターの境地」に一瞬紛れ込んだ、とは言えるかも知れない。
 そう思うと、そこまで出来るならば今度は「504打席以上打って4割に『なってしまった』イチロー」が、そのシーズンの残りをどう過ごすことを選択するか、ってのも見てみたい気はするなぁ。また一方で、マウアーが今年という「巡ってきたチャンス」を活かせるかどうかも注目、ではあるかな、と思いつつ。
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テーマ: MLB

ジャンル: スポーツ

野球  /  tb: 0  /  cm: 0  /  △top

ドイツダービー当日である。 

 ブラウエス・バントということで、青いやつをば(嘘。

青電3300形 高砂駅
青電3300形 高砂駅 posted by (C)有芝まはる殿下。 [LARGE SIZE]

7月5日ハンブルク・ホルン最終日9R 17:45発走 芝2400m
第140回ドイチェス・ダービー(G1)
総賞金 500000EUR サラ3歳牡牝 定量(58kg、牝2kg減)
馬枠 馬名      産地性齢GAG. 騎手   戦勝 近走成績  厩舎     父
15Wiener Walzer   GER 牡3 95 ヨハンション32 -5休11 J.ヒルシュバー Dynaformer
27Saphir      GER 牡3 95 シュタルケ 42 4休121 シールゲン   Black Sam Bellamy
317Oriental Lion   GER 牡3 935ポルク   31 --132 オストマン   シアトルダンサー
44Panyu       GER 牡3 935ミナリク  31 --123 シールゲン   MONSUN
511Egon       GER 牡3 935ヒューズ  50 休3424 ヒクスト    グルームダンサー
69Hansom      GER 牡3 93 デットーリ 41 2休413 メーダーたん  Ransom O'War
715Bolivia      GER 牝3 925スボリッチ 21 ---12 ヒクスト    MONSUN
812Eliot       GER 牡3 925ヘリアー  30 --425 ムンドリー   タイガーヒル
916Quo Dubai     GER 牡3 92 ダーカン  61 休3164 ホファー    Dubai Destination
101Glad Panther   GER 牡3 915ピチュレク 52 3休315 オストマン   シアトルダンサー
113Suestado     GER 牡3 91 デフリース 22 ---11 J.ヒルシュバー MONSUN
1214Frantic Storm   GER 牡3 86 ホランド  21 ---13 ヒクスト    Nayef
1310Toughness Danon  GER 牡3 855ペドロサ  30 --222 ヴェーラー   タイガーヒル
1413Sordino      GER 牡3 82 ヴィクトワー31 --413 ヒクスト    SAMUM
156Marlow      GER 牡3 82 ヘルフェンバ40 -8453 ホファー    Lomitas
162Ordenstreuer   IRE 牡3 815ピーツ   31 --312 ヅバシュ    Nayef
178Double Handful  GER 牡3 80 モンギル  70 休4252 フィッゲ    ペンタイア
 ……って、予想っても基本的に芝さんところに書かれてる以上のものなんて余り書きようがないのですがorz。

 ざっくりな見立てとして、ウニオン馬 Wiener Walzer が1号艇を引いているとは言え、Saphir と数字的にはイコール。その上で、ウニオンで結構なメンバーが集まった割には濃い内容にならなかった結果としてこの両者が同じGAGになった的な見立てもあり、そこから Saphir を優位に見た方がいいかなぁ、って辺りは芝さんの予想とそう変わらない。ところで、今回の両者、前者は1960年のギニー馬、後者は20世紀初頭のドイツで大活躍した名種牡馬と同名と、ドイツ血統史に大なり小なり名を残している馬の名前と被っている辺りに、微妙な痒さがあるのは私だけでしょうか。しかも、Wiener Walzer に至っては、母の名もともに Walzerkonigin と Walzerkoenigin って、おんなじやん(笑)。

 因みに、今年ブエナビスタで本朝にも栄華を轟かせたSラインは、この Saphir とあとは Suestado。この Suestado も11号艇という「カド」的な馬番で、2戦不敗のハイポテンシャルな馬としてここに出て来た。しかし、いくらマックスが2勝馬という組み合わせとは言え、キャリア2戦しかも今年デビューってのはダービー的には果たして、的な部分は感じる。意外と、ドイツダービーって、当年デビューの馬には優しくない印象があるんですよねぇ。
 その辺りは、同じキャリア2戦で牝馬ながら登場し、*ボルジアと似た馬名ということで穴人気してる(嘘)Bolivia 辺りも似た感じか。いや、Bolivia って血統表見るだけで、「あぁ如何にも走りそうな Monsun」って感じで、今後は楽しみではあるんですが。ともあれ、この両者に「勝ちきるまで」の期待をかけるなら、まぁ Saphir 本線かな、と。

 で、対抗格としては、この血統をあまりドイツで推したいって気もしないんだけれど、Wiener Walzer の経験を買って、ということで。あとは連下的な辺りで Suestado, Oriental Lion 辺りなんだけれど、穴としてはデットーリを確保しやがった Hansom。父はダービー2着を勲章にインチキ年度代表馬を確保した Ransom O'War で、これも Roberto やん、ではあるけれど、母に入る Literat のクロスと Nijinsky の存在感はパワー的に好みで、ある種ダービーらしさを感じる。「フランキーの5馬身」@合田センセイがハンブルク・ホルンでどんなもんか、見せて貰おうか。
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