![]() | 文字のパドック〈’98〉―中央競馬G1プレビュー&回顧 (1999/04) 柳沢 時彦 商品詳細を見る |
◆ブログの行間@六本木で働いていた元社長のアメブロ
私の場合、パソコンでも携帯でも見るんですけど、行間がぎちぎちに詰まっていて、細かい字のほうが、集中して読めるし、スクロールしなくていいので、パッとみて、すぐに別のブログを見られるので、都合がよいのですが。
堀江貴文氏の何がしかの文化における最大の貢献の一つは、日没閉門氏の浩瀚な競馬予想をサイバーワールドに送り出したことでありましょう。そして、ご存知の方はご存知の通り、アレはとにかく長い。字数に制限のある紙メディアではまず不可能な作品であり、往時のダービースクエアでは「2ギガバイト」とも呼ばれた、エッセイとしての軸を確かに持ちながら騎乗や駆け引きなどの微を穿ち配合論にまで立ち入り、最後まで読むまでに普通の競馬新聞1冊読めるような気合を読み手に要求する長口上(144kのモデムだと予想メールが来たときに、添付ファイルもないのにDLするのに数秒以上を要した)は、確かにネット黎明期におけるある種のモヒカン的文化の精華ではありました。そして、そういうものを送るメディアを提供していた堀江氏が、冒頭のようなエントリをしたためる心象というのも、また味わい深いものがあるよな、とも。
一方で、確かにあの予想をメーラーでギチギチの行間で読んでいたことを懐かしむ一方で、結構没師の予想って、改行も多かったんじゃないかなぁ、なんてことを思い起こしたりもして、例えば1998年の秋天辺りをサンプルにちょっと調べてみたり。予想文は、えーと、ををあったあった、Web Archiveに。まぁ、これを見て興味を持たれた方は、Amazonあたりで「文字のパドック」注文してくださればと。にしても、この文章を書いた時の年齢にもはや達しつつあり、遂にこれだけの文章を書けるに至らなかった自分の凡庸を恨む。
はサテオキ、この約20000字の予想文から、シルシの部分や見出し・区切りを除いてWordでカウントしてみると、段落数は182段落となっています。一方でセンテンス数は310だから、やはり改行率は結構高い。代表的な辺りでは、以下の部分なんかは、かなりきっちりと文章ごとに段落切ってる部分だったりしますよね。
今年の秋の天皇賞は特定の馬の個性と能力が際立って話題になっているわけだが、それを勝利の方向へ導く騎手の役割分担は大きい。
しかしその騎手と馬とのコンビネーションに、僕は信を置く気に最後までなれなかった。
それは武豊とサイレンススズカが今までにないことをしようとしているように思えるからだ。
テン3ハロンを34秒台、前半1000mを57秒で走り切るような2000mの競馬。
それは、強く個性や主張を伴うもので本来は歓迎されるべきものだ。より速い未来のスピード競馬を先取りするようなものかもしれない。
こうした競馬が強烈な逃げだけで成し遂げられるという話になると、自分の経験リストの中にないことであり、大袈裟に言えば、そのうち追い込み馬の出番などが全く失われて、展開を楽しむ余地がやがて競馬から消失してしまうような不安を少し感じてしまう。
前でスピードを持続する馬というのに、自分は高い評価を今まで与えてきたつもりだが、それは他の馬とのからみの中で演出された時に輝くのであり、潜在的スピードの絶対値の違いだけでそれが行われるとなると違和感を覚える。
要は新しい扉が開けられる気持ちの準備ができていないのだが、その一方で武豊がサイレンススズカのペースが過去の常識、既知の事実というボーダーを超えんとする時に、いかなる反応をするのかはとても興味がある。
この辺りは、ある種のプレゼンというかスピーチ的な呼吸を文章から感じるところではあるのですが、実際行間はともかく段落区切りもしないと、結構ネット文体としては「早口にまくしたてる」的な印象が出てくるのかなぁとは思われ、まぁその辺りで「落ち着かせる」ような語りをするならば、こういう段落とか行開けを活用するってのはオーソドックスではあるのでしょう。ラノベなんかもやたらと改行するけど、あれは描写において会話部分が相対的にかなり多いので、半ば「芝居の台本」的な意味合いで改行するのかな、みたいなことは思うけど、それはおいといて。
で、ブログでの改行ってのが特に芸能人のブログとかでよく見られるのって、アレは何か、そういう「間合い」がショウ的な文脈で使いやすい、みたいな部分があるのかなぁ、と愚考してみたり。要するにアレだ「続きはCM」みたいな感じで、引っ張りを多用しながら話を進めていく、みたいな進行。或いはライヴのMCで「おいっす〜!(おいーっす)声が小さい!もう一度?おいっす〜!!(おいーっす!)」みたいな、相手のインターアクションを前提とした間の空け方、みたいな感覚というか。もうちょっと言えば、パフォーマンスを行う対手に対して「聴き漏らし」を減らすような部分での気の持ち方みたいなのを普段心がけるような中で、「トーシロさん相手の間」みたいなのをはかった結果がああいう「行間の開いたブログ文体」みたいになる可能性はあるんじゃないですかね、と。
まぁ、実際に受け手がそういう距離感で読んでるかは非常に微妙なんだけれど、書き手は詰まるところ受け手のそういう状況までを考慮するのは難しいかな、ってのもあったりで。実際ブログの「良い書き手」にはなれても、「良い読み手」になれるのは芸能人のような人には難しいかな、って気はしますし。
| ホーム |


