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殿下執務室2.0 β1

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有芝まはるが綴る、競馬話その他の雑談、そしてYet Another Amateur Photography。

中央競馬史に残る感動のレース:92年天皇賞、メジロマックイーン 

Netkeiba:レース結果



 メジロマックイーン対トウカイテイオー。
 前年秋こそ様々な不運により無冠に終わったものの、衆目一致の最強古馬として君臨するチャンピオンに、骨折で3冠を逃したものの、古馬緒戦を岡部に乗り替わって不敗記録を継続する世代最強馬が挑む。それも、両者が前走のトライアルを圧勝して。マックイーンが阪神大賞典でカミノクレッセを軽く5馬身突き放すと、トウカイテイオーは「地の果てまでも行く」と岡部に言わしめた。我が国の競馬界でオグリキャップが去って以降最高の呼び物であり、様々なライバルを代わる代わる相手にしたオグリ以上に一点豪華主義的な文脈では「大一番」と言えるような対決ではあっただろう。しかも、舞台は淀の3200。まさに、一対一の勝負が期待される文脈ではあった。
 あの日に見たある専門紙では、本誌予想は5-14の一点と記憶している。
 一点だぞ、一点。
 ちょっと、常識的には考えられないし、3連単まで存在する現在においては決して実現しないという意味では「絶後」であろう。そういう異常な雰囲気が、レース前に漂う経験ってのは、競馬を長くやっていてもなかなか感じ取れるものではないし、例えばこの4年後にブライアン対トップガンがあったけれども、スケール感や「初対戦」というある種の新鮮さという点で、92年は明らかに上回っていたように思われる。自分の中では、ディープに関する祭りのような期待の異常さ辺りくらいしか、ちょっと匹敵するような不思議な経験としては思い浮かばない。しかし、ディープのアレとて、それに「乗らなかった」人も多かったわけで、みんながあの雰囲気に「乗って」いたように見えた92年の淀の一日は、昭和の雰囲気がまだ残る競馬場特有のものであっただろうか。あのゲートに至るまでの一連が、既にもう追体験不可能な感動なのだろうな、と強く思う。なにしろ、ゲートに入る前にマックイーンの落鉄、なんてのもあったし。
 レースは、メジロマックイーンをトウカイテイオーがマークするような形で進んだ。というよりは、マックイーンの側がトウカイテイオーを眺めながら仕掛けどころを考えていたように思われる。あの当時はあまりそうは思わなかったのだけれど、正面スタンドを過ぎて1コーナーで外外を回りながら進むマックイーンには、ある種の余裕を感じられた。主導権は、恐らく武豊の側が握っていたのだろう。坂の下りでメジロパーマーが吸い込まれる時には、もはや2頭の対決かと思われたが、既にテイオーにとってはついていくことが全てであった。そして、テイオーは4角では既に外からカミノクレッセに喰われるのである。5の単勝を握った観衆が歓喜をの叫びを上げ、14の単勝を握った観衆が信じられない光景に我を失い、5-14の馬連を握った観衆が唖然として見守る中、メジロマックイーン、独演の直線であった。
 詰まるところ、マックイーンの舞台でテイオーが敗れた、というシンプルなレースである。
 しかし、その舞台に上がり、堂々とマックイーンを追いかけて、力尽きるまで勝つ算段を諦めなかった岡部がマックイーンを輝かせることで、このレースは単に「2強の片方が飛んだ」以上の何かを残したのではないかと思う。そして、この勝利によって、90年代の前半に渡って、メジロマックイーンは最強馬のフォーマットを築き、それは90年代後半の*サンデーサイレンスの産駒にも越えがたい壁として競馬ファンの心に存在し続けたのである。一方で、このレースで再度骨折したトウカイテイオーは、その逆境を通じて、多くのファンにとって終生忘れがたい物語を築く一つの入口に入ったのである。
 年を経て、輝き続ける死闘であった、と言えるであろう。
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テーマ: 競馬

ジャンル: スポーツ

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