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殿下執務室2.0 β1

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有芝まはるが綴る、競馬話その他の雑談、そしてYet Another Amateur Photography。

聖徳太子の虚実と、書紀への誤解。 

週のはじめに考える 書き換わる聖徳太子像@東京新聞

 聖徳太子ってのはある程度以上は伝説的なフィギュアではある。少なくとも、近現代においてこの人物の政治家としての評価は、恐らく史実と比べて過剰な方向に振れていたのではないかな、と思わされる部分は存在する。というか、恐らく書紀自体がそこまで聖徳太子を政治家として評価していない、とすら思われる。推古の摂政として推古紀の冒頭に記しているが、そもそも摂政自体がある種この当時は曖昧な役割な部分もあって。
 その上で、書紀を虚心に読んだ上で多くの学者が疑問に思うような「聖徳太子の虚構性」が何らかの形で存在するという認識がある、みたいな意味では「非実在説」は定説化しているとは言えるのだが、聖徳太子と後に呼ばれる皇子がそれほど推古朝の上級社会で無意味な存在だったかというと、多分そうではなさげで、虚構性を強調するのはどうかな、とも。あと、非実在説的な文脈では書紀のほか、法隆寺関連の金石文の史料批判や天皇号の成立の評価などが議論の前提として絡むのだけれど、個人的には新書レベルの歴史本を漁ってるだけのレベルで見てても、この辺りにまつわる諸説についてはまだ決着がついてるとは言い難いと判断していて、その意味でも「定説化」というのは言い切れないなぁとも思われますし、まして蘇我馬子が王位にあったという説なんかは、未検証の仮説に過ぎないでしょう(この時期に推古以外の男王がいた[ないしは太子が天皇に匹敵する権威を持っていた]根拠として、中華側の遣隋使記事の王名タリシヒコ=ヒコ=男という考え方があるが、この思考自体が勘違いで、タリシヒコ=推古でも何ら問題ない、みたいな議論も存在するので)。

 あと、上で「書紀自体がそこまで聖徳太子を政治家として評価していない」と書いたが、要するに「書紀」に対して側面的に付けられた史料によってある程度聖徳太子の虚像は膨張している部分があり、それは恐らく書紀編者の意図とは関係ない。あくまで、虚像を作るエネルギーは巷間の側に存在して、王権の側はそれを適度に利用しつつ、顕彰したまでであろう。少なくとも、聖徳太子の存在によって万世一系の物語を補強しよう、みたいな意図までもが書紀編者のうちにあったかというと、書紀を読む限りは「ねぇよw」と思う。何故にこのような誤解が生じるのかを思うに、恐らくリベラルな史観に立つ人の中では、書紀の編者をもって近代の皇国史観のような考え方の日本教の教祖と信じ込んでる面があるのではないだろうか。恐らくそれは致命的な誤解であり、書紀は確かに現在に連なる天孫の氏族を「勝者」として顕彰するが、別に明治政府で行われたような天皇を中心とする宗教性を明示するものではないだろう、という気もする。要するに、何らかの経典ではなく、あくまで史書に過ぎない、ということ。それは、書紀編纂後の天皇が特に自身の神格化を強化する動きをしていないことからも明白であろう。
#歴史を記述すること自体の政治性は認めるが。
 この時代の政府はあくまで律令政府であるし、既に支配層においては仏教や道教の浸透も進み、王権の支配ロジックとして天皇中心の集権的な神道ヒエラルキーを前面に出す必然性は存在しなかった。地方はある意味原始共同社会的なカミがまだ息づいていたし、それは徴税などの文脈で重要であったが(この時代だと、カミへのお供えとしてしか徴税を理解できない人も多かったであろう)、そこで重要なのはローカルなカミであり、中央集権的な上位神は余り関与しない。
 恐らく、万世一系のような始祖神話ってのはむしろ同様の王権神話を持つ半島諸国との対抗の文脈もしくは(神話学的な)影響下において作り上げられたものであると考える方が自然であり、本朝と半島の濃密な交流史を考えれば、7世紀よりはかなり遡るものであろう。書紀はそれを単純に過去の王権から引き継いだに過ぎない。その意味では「誤解された史書」という印象が強いなぁと。

 では次は、富本銭vs和同開珎、教科書に載るべき最古の貨幣はどっちだ!で一席ぶってもいいのだけれど(笑)、聖徳太子の余談とかをもうちょっと次のエントリ辺りで書こうかなと。

◆ちと追記。
 仁藤敦史氏@歴博による、太子伝説の経緯と研究史の概観についてバランスよくまとめた短評を、参考として貼っておこう。帝国書院のサイトということもありますが、これがほぼTo-Dateな「教科書的解釈」ということで。PDF注意な。
 ・[PDF] 聖徳太子は実在したのか
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テーマ: 歴史

ジャンル: 学問・文化・芸術

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