fc2ブログ
09« 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.»11

殿下執務室2.0 β1

  : 

有芝まはるが綴る、競馬話その他の雑談、そしてYet Another Amateur Photography。

高校のカリキュラム、ねぇ。 

 高校生だった頃、学校の体育の授業が少ないのが教育委員会にマークされて、月に1回くらい課外の球技大会が企画されたことがあったことなどを懐かしく思い出していた有芝です(挨拶)。因みに本業の体育では、「サッカーのテスト」とかいって、ペナルティスポットから無人のゴールに10本シュートを撃って、グラウンダーで入ったら1点、ノーバウンドで枠に飛ばせば2点という素敵なカリキュラムがありました(笑)。却って半端に運動神経あるヤツがノーバウンドで上狙いすぎて吹かして点を削るんだよなぁ。

 で、件の話ですが、まぁそういう意味では、進学校的には多分当然、みたいな部分はあったには違いなく、ただ正直補習するくらいだったらもうさっさと大検目指すカリキュラムに変更したらええやん、と思うんだけど、時期が時期だけにそれも間に合わないってことだろうという話で、要するに「わざわざこの時期に露見させた」という辺りの空気嫁っぷりだけが突出しているなぁと言う印象。
 ただ、ちょっと思うのは、要するに自分の頃から徐々にそういう方向へのシフトが始まってたと記憶しているのですが、大学受験における、特に私大の科目数の減少ってのが結構ある気がして、要するに「大学が求めている教養」のレベルが少なくとも受験という文脈においては低くなっているのに、指導方針において「高校に課している教養」がある程度広範な形態に維持されすぎてるという現況になっているというミスマッチに見えるのだけれど、要するにこれって高校の問題じゃなくて、大学の問題なんでしょうな。結局、この問題って、高校の履修範囲をより広範にカバーする形でセンター試験を全大学が施行し科目ごとに下位を足切りする、というのが極めて単純なベストソリューションに思われるだけに。

 一方で、自分の半径5メートルの世間様(笑)に目を通すと、結構専卒の人ってのが優秀なんだよな、というか、結構専門学校卒業するのってキツいイメージがあって、そういう意味ではある程度「絞り込んだ教育」ってのも大事というか、逆に現状の普通科のカリキュラムが広範すぎるきらいも無きにしもあらず、ではあるなという思いもあったりはする。その意味では、やっぱり現状は中等教育が少なからずメリハリが悪いというか、そういう部分のツケが巡り巡ってるようには思われる。詰まるところ、前にもちょっと書いた話と関連して、「人生の目標を見つける」ことがこの時期には大切で、それが見つかれば、教養というのはそのための手段の範囲で勝手に選択すればいい、というのはあるのだろう。どうも教育の文脈でその辺りが明示的になっていない中で、カリキュラムが薄く広く教養を「押し付ける」状況があって、その薄く広い教養の中でモラトリアム的な形での授業が行われるであろうと考えると、現況の指導要領に大学を合わせる、というのはやっぱり余り良いソリューションではない、という話になるか。ただ、恐らく今回の問題になった学校の生徒も、そんな「専門性」とかを意識せずに、単に予備校的なノリで受験のためだけに必要なカリキュラムを受けてればいいや、以上ではなかった人が大半だったんだろうけど。
 結局、高校が提供するミニマムってのがそれ程多くなくてもいいのではないか、というのは自分の中にはある。で、それを補完するための教育的な仕組みへのアクセスが世の中にはもっとあるべきなのだろう。ミニマムが低くなることである程度格差が拡大するリスクはあるけれど、実際のところ、このくらいの世代ではもっと「個人的な目的意識」が重要で、それを学校のようなマスのレベルでは多分カバーしきれないんじゃないか、というのがあって。ただその前段階で「個人的な目的意識」を植え付けることが出来てないとやっぱり結構悲惨だし、それが難しいから現状のようなシステムがある程度妥当性をもって構築されたのかなぁと言うように思うと、まぁ若干ソリューションの見通しが立ちづらいというか、考えが止まっちゃうなぁという感じで、如何にも悩ましい。まぁこの辺りのセンスが自分に無かったから、俺は大学に留まれずに社会に叩き込まれちゃった訳で、仕方ねーか、と自分語りで終わる、何とも無意味なエントリなのであった。
スポンサーサイト



ちゃぶろ  /  tb: 0  /  cm: 0  /  △top