スクランは、単行本とかでまとめて読んでると、やっぱり面白い。恐らく今本誌でやってる展開とかは、単行本で読んだらまた味わい深くなるのだろう(挨拶。
#でも、絵柄がある時点でかなり変わっちゃったのが一番惜しいんだよなぁ。>スクラン
ちょっと、tanabeebanatさんと同じバックナンバーのくだりに反応してみる。
「ナギやマリアのいる間の白皇学園ってのは、ある種の異常空間」
みたいな部分があるのかなぁ、みたいなことを考えてしまった。イメージとしてはウテナにおいてアンシーの存在する間の鳳学園がある種の異空間だった、みたいなものに近いのかなぁ、と。要するにナギたちがいるからあの学園は今ああいうカオティックな状況にあるんだけれど、彼女たちがなくなったあの学園には何もハチャメチャなことはなくなり、普通に暇な金持ちがのうのうと学園生活を送るだけの場所になる……みたいな。或いは、ここまでいくと妄想に過ぎるのだけれど、帝じいちゃんがある意味そういう装置としての白皇学園のあり方に関わったりするのかな、みたいなことも考えたくなってしまう(展開予測とかとは全く別の文脈で)。
ともあれ、確かに何となく、ナギが去りマリアも関わらなくなって勿論ハヤテもいなくなったあの学園は、普通の金持ちが普通に有閑生活を送る場になっている、みたいなことは考えたりもするかなぁ、と。そういう学校って……あぁ、桜蘭高校!恐らく、ハヤテたちがいなくなった10年後くらいには、今度は殿みたいな人が現れて、ハルヒみたいな珍客が訪れているのかも知れない。そういう時間感覚を心に描くと、また作品として味わい深くもあるかなぁと、榎戸洋司信者的には思うのであった。
さて、その頃、ハヤテとナギたちはまだ何処かで、笑いながら一緒にお茶を飲んでいたりするのかなぁ。自分的には、そういう未来が描けるような終わり方が、この作品のトゥルーエンドかも。
#でも、絵柄がある時点でかなり変わっちゃったのが一番惜しいんだよなぁ。>スクラン
ちょっと、tanabeebanatさんと同じバックナンバーのくだりに反応してみる。
いつかハヤテもナギもヒナギクも去ったこの学校で或いは、火田クンのなかで、
なんだかんだで彼女は生徒会長になっているのだろう、と。
そこにはもうハヤテたちの知らない学生生活があり、今とは違う白皇があるのでしょう。
「ナギやマリアのいる間の白皇学園ってのは、ある種の異常空間」
みたいな部分があるのかなぁ、みたいなことを考えてしまった。イメージとしてはウテナにおいてアンシーの存在する間の鳳学園がある種の異空間だった、みたいなものに近いのかなぁ、と。要するにナギたちがいるからあの学園は今ああいうカオティックな状況にあるんだけれど、彼女たちがなくなったあの学園には何もハチャメチャなことはなくなり、普通に暇な金持ちがのうのうと学園生活を送るだけの場所になる……みたいな。或いは、ここまでいくと妄想に過ぎるのだけれど、帝じいちゃんがある意味そういう装置としての白皇学園のあり方に関わったりするのかな、みたいなことも考えたくなってしまう(展開予測とかとは全く別の文脈で)。
ともあれ、確かに何となく、ナギが去りマリアも関わらなくなって勿論ハヤテもいなくなったあの学園は、普通の金持ちが普通に有閑生活を送る場になっている、みたいなことは考えたりもするかなぁ、と。そういう学校って……あぁ、桜蘭高校!恐らく、ハヤテたちがいなくなった10年後くらいには、今度は殿みたいな人が現れて、ハルヒみたいな珍客が訪れているのかも知れない。そういう時間感覚を心に描くと、また作品として味わい深くもあるかなぁと、榎戸洋司信者的には思うのであった。
さて、その頃、ハヤテとナギたちはまだ何処かで、笑いながら一緒にお茶を飲んでいたりするのかなぁ。自分的には、そういう未来が描けるような終わり方が、この作品のトゥルーエンドかも。
レース回顧はまた明日、ってことで。
てな訳で、東小岩の田中さん宅の犬。1日で削除されると分かってても頑張るコメ職人に感謝。にしても、作り手はこのパロは予測していたのかいなかったのか。

ところで、東小岩っていうとまぁ結構東京のはじっこまでよく行ったもんだなぁってのはtanabeセンセイも指摘されるとおりな訳ですが、実際どんな経路で行けるのかなぁみたいな感じでちょっくらGoogle先生に問い合わせてみたところ、概ねこんな感じ。表示されてる経路は電車のものなので参考程度に、な訳ですが、人力車で普通に車道を使った場合は、浅草通りから蔵前橋に入って小岩まで行って柴又街道まで南下するパターンが定番っぽいけれど、意外と北周りで水戸街道に入ってから本田広小路で曲がって有芝家の目の前を通りつつ奥戸街道に入って小岩に向かうパターンも距離的にはかわらなさそうには見えまするね。出来れば後者であって欲しいなぁなどと妄想。

因みに、今週のアイマス友情出演はあずささんでしたな。ナベシンのかげにこっそりと。それにしても、原宿の買い物シーンの柳原可奈子のCVが誰だったかエンドロールで表示されてなかったんですけれども(あれよりもチョイ役だったケーキ教室の先生のCV出てたのに)、結局3人娘の誰かの声辺りを使いまわしてたんですかね。因みに、原宿の街外れのシーンは吉祥寺に見えて仕方なかったんだが、どうよ。
◆がゆんダム。
モビルスーツのごときハードターゲットを装備するアホテロリストに微萎え(苦笑。
てな訳で、東小岩の田中さん宅の犬。1日で削除されると分かってても頑張るコメ職人に感謝。にしても、作り手はこのパロは予測していたのかいなかったのか。

ところで、東小岩っていうとまぁ結構東京のはじっこまでよく行ったもんだなぁってのはtanabeセンセイも指摘されるとおりな訳ですが、実際どんな経路で行けるのかなぁみたいな感じでちょっくらGoogle先生に問い合わせてみたところ、概ねこんな感じ。表示されてる経路は電車のものなので参考程度に、な訳ですが、人力車で普通に車道を使った場合は、浅草通りから蔵前橋に入って小岩まで行って柴又街道まで南下するパターンが定番っぽいけれど、意外と北周りで水戸街道に入ってから本田広小路で曲がって有芝家の目の前を通りつつ奥戸街道に入って小岩に向かうパターンも距離的にはかわらなさそうには見えまするね。出来れば後者であって欲しいなぁなどと妄想。

因みに、今週のアイマス友情出演はあずささんでしたな。ナベシンのかげにこっそりと。それにしても、原宿の買い物シーンの柳原可奈子のCVが誰だったかエンドロールで表示されてなかったんですけれども(あれよりもチョイ役だったケーキ教室の先生のCV出てたのに)、結局3人娘の誰かの声辺りを使いまわしてたんですかね。因みに、原宿の街外れのシーンは吉祥寺に見えて仕方なかったんだが、どうよ。
◆がゆんダム。
モビルスーツのごときハードターゲットを装備するアホテロリストに微萎え(苦笑。
◆ハヤテのごとく!考察の考察その1・ハヤテのごとく!はなぜ考察しやすいのか?@とあるブログの舞台裏
◆ハヤテのごとく!感想サイト界隈と魔法先生ネギま!感想サイト界隈は似ている。@明日はきっと
◆『考察』についての私見 @tanabeebanatの日記
といった辺りのメタ考察に簡単にトラバ。
基本的には、ある種「赤松的メソッドの進化系」なのかも知れないけれども、この作者自身は「読者との対話を通じて作品を作る」という意味では、まぁ「書きたいものより、売れるもの」志向な漫画家なんじゃないかなぁと思う部分はあります。例えばトロさま辺りが「この作者はそんなかっちりストーリーの筋を固めてませんって(笑)」みたいな言い方をするのも、火田クンのそういう側面を読んでいるからだろうなぁと思うのですが、まぁそんな感じ。要するに、ある程度方向性の固まったキャラに関しては「キャラが勝手に動く」みたいな状況がクリエイターにおいては存在するのですが、そのフラグを立てるのは基本的に読者である、という認識に立ってるんだろうなと。ただ、そのフラグを読者が立てるという場面で、単に読者に任せるのではなくて、ある種のAPIみたいなのを提供して、そこを通じて操作さして貰うみたいな手法を取ってるんだろうなぁというのが、ハヤテにおける「考察」のあり方の独自性を規定している感じがします。言わば、オタクは基本的に「データベース」的な情報を欲しがる面はあるのですが、この人がバックステージや公式本、或いは中表紙やキャラ紹介で提供しているのはデータよりむしろ「メソッド」っぽく見えて、その辺りはまぁtanabeebanatさんが指摘するような「ネギま!」との差異、になるのかも。
その上で、そういうAPIをベースにしてある程度「遊ぶ」ことが、クリエイターとして愉しくて仕方ない、ってのが現在の火田クンであるのでしょう。基本的には読み手側の過度のキャラの掘り下げはクリエイターの側としても歓迎しないことは結構多くて、例えば今野緒雪センセイとかはあからさまに嫌がったりしてますし、また同人嫌いな漫画家みたいな話も枚挙に暇ありませんが、基本的にはこの作者の場合には、そういう素人の掘り下げと付き合っていくことをかなりポジティヴに捉えているとは思います。その上で、彼自身もある種そういう考察に参加するような形でキャラクターを脳内補完しつつ、キャラクターのあり方を小出しに公開することで「読者との議論」に参加しているような感覚を持っているのかなとも。
一方で、API=インタフェースを提供するってことは、そのインタフェースの中身を隠蔽するという作用もあるかと思われます。その意味では、キャラクターをそのインタフェースを超えた部分で読者に操作するのを許してないみたいな面はあるかなと。それが、読者に対しての火田クンのある種の「防衛」なのかなぁ、なんてことも考えたり。そしてその防衛の先には、やはり現在のキャラが動いた結果の終わり方の中で、自分にとって理想のものってのが彼のうちにあって、出来ればそこに着地したい、それを読者に納得してもらいたい、という辺りをストーリーテリングの文脈で重視しているのかなぁ、なんてことを考えておりますが、果たして。
◆ハヤテのごとく!感想サイト界隈と魔法先生ネギま!感想サイト界隈は似ている。@明日はきっと
◆『考察』についての私見 @tanabeebanatの日記
といった辺りのメタ考察に簡単にトラバ。
基本的には、ある種「赤松的メソッドの進化系」なのかも知れないけれども、この作者自身は「読者との対話を通じて作品を作る」という意味では、まぁ「書きたいものより、売れるもの」志向な漫画家なんじゃないかなぁと思う部分はあります。例えばトロさま辺りが「この作者はそんなかっちりストーリーの筋を固めてませんって(笑)」みたいな言い方をするのも、火田クンのそういう側面を読んでいるからだろうなぁと思うのですが、まぁそんな感じ。要するに、ある程度方向性の固まったキャラに関しては「キャラが勝手に動く」みたいな状況がクリエイターにおいては存在するのですが、そのフラグを立てるのは基本的に読者である、という認識に立ってるんだろうなと。ただ、そのフラグを読者が立てるという場面で、単に読者に任せるのではなくて、ある種のAPIみたいなのを提供して、そこを通じて操作さして貰うみたいな手法を取ってるんだろうなぁというのが、ハヤテにおける「考察」のあり方の独自性を規定している感じがします。言わば、オタクは基本的に「データベース」的な情報を欲しがる面はあるのですが、この人がバックステージや公式本、或いは中表紙やキャラ紹介で提供しているのはデータよりむしろ「メソッド」っぽく見えて、その辺りはまぁtanabeebanatさんが指摘するような「ネギま!」との差異、になるのかも。
その上で、そういうAPIをベースにしてある程度「遊ぶ」ことが、クリエイターとして愉しくて仕方ない、ってのが現在の火田クンであるのでしょう。基本的には読み手側の過度のキャラの掘り下げはクリエイターの側としても歓迎しないことは結構多くて、例えば今野緒雪センセイとかはあからさまに嫌がったりしてますし、また同人嫌いな漫画家みたいな話も枚挙に暇ありませんが、基本的にはこの作者の場合には、そういう素人の掘り下げと付き合っていくことをかなりポジティヴに捉えているとは思います。その上で、彼自身もある種そういう考察に参加するような形でキャラクターを脳内補完しつつ、キャラクターのあり方を小出しに公開することで「読者との議論」に参加しているような感覚を持っているのかなとも。
一方で、API=インタフェースを提供するってことは、そのインタフェースの中身を隠蔽するという作用もあるかと思われます。その意味では、キャラクターをそのインタフェースを超えた部分で読者に操作するのを許してないみたいな面はあるかなと。それが、読者に対しての火田クンのある種の「防衛」なのかなぁ、なんてことも考えたり。そしてその防衛の先には、やはり現在のキャラが動いた結果の終わり方の中で、自分にとって理想のものってのが彼のうちにあって、出来ればそこに着地したい、それを読者に納得してもらいたい、という辺りをストーリーテリングの文脈で重視しているのかなぁ、なんてことを考えておりますが、果たして。
完全に出遅れ気味のトラバ。
◆ヒナギク考察 〜少女の変化と恋心〜@ぷらずまだっしゅ!
ヒナギクの心理について微妙に危ない橋を渡ってるなぁと思うのは一番最初の登場シーンなのですが。

ここで、ヒナギクに借金の話が聞こえていたんじゃないの?みたいに思ってしまう部分はあったりする訳で、その上でもしヒナがこの上のコマの台詞をちゃんと聞いていたとすれば、ハヤテのことをどう思ったんだろうってのはそこそこ興味深いIfではありますな。ていうか、そうするともっと一直線にハヤテに惚れちゃったりするんだろうか、みたいな。或いは、この辺りは結構後付けで「迷う女の子」みたいなキャラクターにシフトさせていった部分も疑念としては25%くらいは持っていたりもしまする。
ていうか、結構最初のうちの印象としてはやはり読み返してても「かなり普通に惚れてるんだけど、それを見せない心の強さを持っている」的なギミックかと思っていたのですよね。まぁ逆に言えば冒頭のシーンがやや火田クンの叙述トリックであったのかも知れません。その辺りでシフトが変わるシーンがお化け退治編、ということになるのかなとも思われ、その意味ではあの抱きつきシーンで完全に「素でやってる」っぽさを見せた辺りに、カーム氏の意見とは逆の意味でヒナギク読み的に確かにインパクト強いシーンだなぁというのは思うところであります。
一方で、恋心に気づいてなかったとすると案外ヒナのハヤテへの思いってのは段々募ってくるものというよりは、スズメを助けた瞬間辺りからずっと比較的フラットに「何となくほかの男の子と違う、気になる子」だったのかなぁと思われます。むしろ、吊り橋でいじめられた辺りが一番フラグ的には重要なポイントだったのかも。そこで嫌いになればいいのに嫌いになりきれなかったあたりで、自分の気持ちが何なのだろうと問い始めるきっかけになったようにも思われます。そういう状況の中で西沢さんのバレンタインが、その気持ちを加速させる最大の要因ではあった訳でありますが。
その上で、ずっとフラットに持っていた気持ちが何であるかを知る瞬間として、ハヤテの借金を知る瞬間が結構サラっと書いているけれども大事な場面なのかなぁとも思われたり。その中での伏線として面白かったのは、白鳳の人たちはみんなハヤテが「何か分からんけど、見た目が貧相だから貧乏な人らしい」ことを姉の雪路含めて大概は見抜いているのですけれども、ヒナギクだけがそれに一度も気づいてなかった、って辺りですね。ただ、こういう感じで「一目見た瞬間に分かる事」を足掛け7巻くらいにわたってずっと探し続けてたとすると、ある意味この娘は西沢さんやナギよりはずっと純情なのかなぁ、みたいなことは考えてしまったりもします。そしてその純情さというかカラっとした感じがまた魅力なのでしょう。
まぁ、純情というか天然って意味では、恐らく永遠の17歳の人が一番最右翼なんではないか、とも思われますが(笑)。
◆ヒナギク考察 〜少女の変化と恋心〜@ぷらずまだっしゅ!
ヒナギクの心理について微妙に危ない橋を渡ってるなぁと思うのは一番最初の登場シーンなのですが。

ここで、ヒナギクに借金の話が聞こえていたんじゃないの?みたいに思ってしまう部分はあったりする訳で、その上でもしヒナがこの上のコマの台詞をちゃんと聞いていたとすれば、ハヤテのことをどう思ったんだろうってのはそこそこ興味深いIfではありますな。ていうか、そうするともっと一直線にハヤテに惚れちゃったりするんだろうか、みたいな。或いは、この辺りは結構後付けで「迷う女の子」みたいなキャラクターにシフトさせていった部分も疑念としては25%くらいは持っていたりもしまする。
ていうか、結構最初のうちの印象としてはやはり読み返してても「かなり普通に惚れてるんだけど、それを見せない心の強さを持っている」的なギミックかと思っていたのですよね。まぁ逆に言えば冒頭のシーンがやや火田クンの叙述トリックであったのかも知れません。その辺りでシフトが変わるシーンがお化け退治編、ということになるのかなとも思われ、その意味ではあの抱きつきシーンで完全に「素でやってる」っぽさを見せた辺りに、カーム氏の意見とは逆の意味でヒナギク読み的に確かにインパクト強いシーンだなぁというのは思うところであります。
一方で、恋心に気づいてなかったとすると案外ヒナのハヤテへの思いってのは段々募ってくるものというよりは、スズメを助けた瞬間辺りからずっと比較的フラットに「何となくほかの男の子と違う、気になる子」だったのかなぁと思われます。むしろ、吊り橋でいじめられた辺りが一番フラグ的には重要なポイントだったのかも。そこで嫌いになればいいのに嫌いになりきれなかったあたりで、自分の気持ちが何なのだろうと問い始めるきっかけになったようにも思われます。そういう状況の中で西沢さんのバレンタインが、その気持ちを加速させる最大の要因ではあった訳でありますが。
その上で、ずっとフラットに持っていた気持ちが何であるかを知る瞬間として、ハヤテの借金を知る瞬間が結構サラっと書いているけれども大事な場面なのかなぁとも思われたり。その中での伏線として面白かったのは、白鳳の人たちはみんなハヤテが「何か分からんけど、見た目が貧相だから貧乏な人らしい」ことを姉の雪路含めて大概は見抜いているのですけれども、ヒナギクだけがそれに一度も気づいてなかった、って辺りですね。ただ、こういう感じで「一目見た瞬間に分かる事」を足掛け7巻くらいにわたってずっと探し続けてたとすると、ある意味この娘は西沢さんやナギよりはずっと純情なのかなぁ、みたいなことは考えてしまったりもします。そしてその純情さというかカラっとした感じがまた魅力なのでしょう。
まぁ、純情というか天然って意味では、恐らく永遠の17歳の人が一番最右翼なんではないか、とも思われますが(笑)。
「ヒロインへの遠き道」とか書いたら、次の週にヒロインになった件(挨拶。
それにしても、何処かで見た何か……と思ったら、ある意味スクランの類題というか、あれで「男の人と女の人がつきあうって…どういうコトなんでしょうか…」という八雲の質問に対して
その上で思ったのは、先週のアレでtanabeebanatさまともちょっとやり取りした件に絡む辺りで、「やっぱり、西沢さんはハヤテをはじめから『別の世界の人』だと思っていたのかな」というところ。要するに中表紙にあったような弁当をあげたりするシーンとかもそうですけれど、借金執事になる以前のハヤテに対して、恐らく届きがたい距離みたいなのが見え隠れするみたいな感覚は、彼女の中にはあったのかなぁとは思われます。それは勿論、ハヤテが親の身銭を稼ぐのに一杯一杯というある意味尋常ならざる「世界」に所属していたからではあるのでしょうけれど、或いは彼女がハヤテへの憧れを増幅させて行ったのは、そういう届きがたい感覚みたいなものが一つ手伝っていたのかなぁと思われます。そして、西沢さんがある意味満足してしまったのは、詰まるところ彼女がはじめて「同じ世界」に立ってハヤテとともにあることが出来た実感ではあったのでしょう。これをある意味表裏一体的に進行しているヒナギクのハヤテへの思いと比較すると、ヒナの場合には何となくハヤテが『同じ世界の人』であることに気づいてしまっていたことが、彼女の恋心を支えていた(その上で、世界の「見え方」がハヤテとヒナギクで異なっていることが、決定的なインパクトとなった)ってのと対比をなしていて、なかなかに味わい深い仕立てではあるかなと。
一方で、ナギとヒナギクが「気を利かせた」ことは、結果としては西沢さんがハヤテ「だけ」と同じ世界に立ったという訳ではなく、ナギとヒナギクもまた同じ世界の中に本当の意味で彼女を「受け入れた」ことでもあるのかな、と思われます。その意味では、まぁ究極的に彼らが同じ世界の中にいる訳ではないとしても、西沢さんが「ただの珍客」ではなく、本当の意味でこの物語世界の中に入ったとも言えるのではないでしょうか。言うなれば、今週の話は祐巳さんが山百合会に入ったくらいの物語的なエポックなんじゃないかとも。作中ヒロインとしてのナギ・マリア・ヒナギクと西沢さんはある種のマトリックス的な属性に配置される人物たちではありますが(どうでもいいけど、こういうマトリックスの作り方はある意味「いちご100%」辺りに通じる、のだろうか?)、その中で「珍客」としてやや浮いたピースであるところの西沢さんをきっちりと嵌め直した感もあります。そして、それが完成することで、物語としての「ハヤテのごとく!」は本当の意味で「始まった」のではないかな、とも思われ、今週のストーリーを「明示的な」暫定最終回としたのは、その辺りの意図が込められているのかなとも思われます。しかし、実際のところこれらのキャラクターの中で今回まだ余り動いてないキャラがいて、それがマリアさんなのですよね。その点を考慮すれば、この温泉旅行編のここからの「主役」としてマリアさんをどのようにクローズアップするかが、次々週辺りまでのスパンでの楽しみとはなるのでしょう。一方で、ヒナギクもある意味引きどころはここまでなのでしょうけれど、果たしてどの程度この中編の中で「押し」が出てくるのか、なんて辺りも。
それにしても、何処かで見た何か……と思ったら、ある意味スクランの類題というか、あれで「男の人と女の人がつきあうって…どういうコトなんでしょうか…」という八雲の質問に対して
「例えばよ…朝の海岸線をバイクでかっ飛ばしてるとさ。一瞬海から昇る朝陽がすげえ綺麗に見える!めちゃ美味いモンを喰ったときとか、おもしれー映画なんかを観たとき!そういう瞬間を一緒に感じたい!お互いに、そう思える人がいる…」と答えた播磨の心境に近い部分を西沢さんとしては感じていたのかも知れないなとも思われます。勿論それはパクリとか何だとかいうレベルではなく、恐らくは一般的な少年少女ラブコメ漫画における恋愛のひとつの類型的なゴールがそういうもんなのではないかと(その上で、スクランなどはいずみの氏が指摘されるとおり、そのハードルが無駄に高い世界にキャラクターたちを位置づけることであの科白に大きな意味を持たせているのだけれど)。
その上で思ったのは、先週のアレでtanabeebanatさまともちょっとやり取りした件に絡む辺りで、「やっぱり、西沢さんはハヤテをはじめから『別の世界の人』だと思っていたのかな」というところ。要するに中表紙にあったような弁当をあげたりするシーンとかもそうですけれど、借金執事になる以前のハヤテに対して、恐らく届きがたい距離みたいなのが見え隠れするみたいな感覚は、彼女の中にはあったのかなぁとは思われます。それは勿論、ハヤテが親の身銭を稼ぐのに一杯一杯というある意味尋常ならざる「世界」に所属していたからではあるのでしょうけれど、或いは彼女がハヤテへの憧れを増幅させて行ったのは、そういう届きがたい感覚みたいなものが一つ手伝っていたのかなぁと思われます。そして、西沢さんがある意味満足してしまったのは、詰まるところ彼女がはじめて「同じ世界」に立ってハヤテとともにあることが出来た実感ではあったのでしょう。これをある意味表裏一体的に進行しているヒナギクのハヤテへの思いと比較すると、ヒナの場合には何となくハヤテが『同じ世界の人』であることに気づいてしまっていたことが、彼女の恋心を支えていた(その上で、世界の「見え方」がハヤテとヒナギクで異なっていることが、決定的なインパクトとなった)ってのと対比をなしていて、なかなかに味わい深い仕立てではあるかなと。
一方で、ナギとヒナギクが「気を利かせた」ことは、結果としては西沢さんがハヤテ「だけ」と同じ世界に立ったという訳ではなく、ナギとヒナギクもまた同じ世界の中に本当の意味で彼女を「受け入れた」ことでもあるのかな、と思われます。その意味では、まぁ究極的に彼らが同じ世界の中にいる訳ではないとしても、西沢さんが「ただの珍客」ではなく、本当の意味でこの物語世界の中に入ったとも言えるのではないでしょうか。言うなれば、今週の話は祐巳さんが山百合会に入ったくらいの物語的なエポックなんじゃないかとも。作中ヒロインとしてのナギ・マリア・ヒナギクと西沢さんはある種のマトリックス的な属性に配置される人物たちではありますが(どうでもいいけど、こういうマトリックスの作り方はある意味「いちご100%」辺りに通じる、のだろうか?)、その中で「珍客」としてやや浮いたピースであるところの西沢さんをきっちりと嵌め直した感もあります。そして、それが完成することで、物語としての「ハヤテのごとく!」は本当の意味で「始まった」のではないかな、とも思われ、今週のストーリーを「明示的な」暫定最終回としたのは、その辺りの意図が込められているのかなとも思われます。しかし、実際のところこれらのキャラクターの中で今回まだ余り動いてないキャラがいて、それがマリアさんなのですよね。その点を考慮すれば、この温泉旅行編のここからの「主役」としてマリアさんをどのようにクローズアップするかが、次々週辺りまでのスパンでの楽しみとはなるのでしょう。一方で、ヒナギクもある意味引きどころはここまでなのでしょうけれど、果たしてどの程度この中編の中で「押し」が出てくるのか、なんて辺りも。
◆西沢歩 「普通少女」の存在意義@tanabeebanatさま
基本的には、「普通の女の子」ってのは、少女漫画のヒロインの一類型、と思う訳ですね。
その中でも「自分がある種の天才であることに気づいていなかった」だけのタイプと、「別に実は天才ってこともなく、本当に普通の子」というタイプと2種類ある訳ですが、その意味では西沢さんは後者でしょうか。で、その手の普通の女の子においては概ね「未来に対するビジョンの欠如」があるかと思われます。要するに、脇キャラを固める人気者やしっかり者、天才少女や生徒会長の類には大方「自分が○○になる」的なビジョンを持ってる向きが多いのに対して、この手のヒロインは割と安穏とした人生を過ごしつつ、アイデンティティと将来の目指す方向性に関して保留した状態にある。一方で、10代という世代なりの野心めいたものは秘めている、と。まぁ、こないだ始まったプリキュア5のヒロインなどはこれの典型ではありましたが、あんな感じ。NANAにおけるハチもそこからは大きく外れてはいないのだろう。で、そういう女の子が偶発的に「雲の上の世界」に珍客として巻き込まれるってのがある種の少女漫画の第1回の定番ではあります。
で、何故こういう定番があるかというと、恐らくは「嫌われる要素がない」のと「自分の妄想キャラに染めやすい」のの二重の理由があるのでしょう。要するに、出る杭は打たれる的な意味でのキャラとしてのアクがないことで、ある程度親しんでもらえることが期待される一方で、確固としたポリシーを持つキャラクターと比べて「私ならこうする」的な自分の色に染めることが可能な存在でもあります。特に後者は、「アンジェリーク」や「遥かなる時空の中で」のごとき乙女ゲーにおける要素として重要となってくる部分でしょう。そういう意味では、恐らくは西沢さんのようなキャラを入れることは、この作品において女性読者の存在も意識してるのかな、という部分はあります。要するに、ヒナギクやマリアのような萌えテンプレに嵌り過ぎた、一見すると記号的なキャラに対する毒消し的要素として配置するような意図、ではあったでしょうか。同じような毒消しでは雪路というバーサーカーキャラがいますが、より積極的に「キャラバランス」を女性にとって優しい方向に改善している存在として意外と西沢さんって重要なのかも。
ただ、現実としては西沢さんはこの作品の主人公ではない以上、やっぱり単に普通なだけでは「珍客」以上の意味はなさないのでしょうし、さほど共感を得られる位置にもいないのでしょう。ただ、この手のキャラクターは少女漫画文法においては常に「雲の上の世界を『変える』」力を持っているとされます。要するに、「ナギの世界」を変えるのは、ある意味もともとある程度以上「修羅な世界」の住人であるところのハヤテやヒナギク(或いはマリア)のような人物ではなく、「普通の世界」の住人であるところの西沢さんなのかなぁという部分も。既にその片鱗として思うのは、西沢さんのハヤテに対する態度としての「諦めの悪さ」。大方お嬢様育ちのナギはある程度逆境に弱いというかそういう意味での諦めの早さが都度に描かれていますが、一方でハヤテやヒナギクもある種の地獄を経験しての諦観に近いものを持ってしまっています。その点では、この西沢さんの「特徴」は意味があるんじゃないかな。
そして、そういう意味での見せ場を作られるようになってはじめて西沢さんのキャラとしての人気は上がるような気がしていますが、それまではある意味雌伏せざるを得ないのかなぁとも思われます。ただ、結局ナギの世界、というかナギが「変わる」辺りに作用してくるまでの時間まで存在感を維持するために、ある程度ヒナギクを牽制するキャラクターとして位置づけられてるんだろうなぁ、とも。ただ、そこまでキャラ人気を失速させずに維持するのも決して簡単ではないだけに(実際当初畑センセイが指摘してた人気ほどに、前回のアンケート結果が良くなかったってのもある)、それこそtanabeさまが案じられてるような「普通の逸脱」みたいな部分も含めて、結構難しいキャラ造りが求められちゃうのかなぁとも。
基本的には、「普通の女の子」ってのは、少女漫画のヒロインの一類型、と思う訳ですね。
その中でも「自分がある種の天才であることに気づいていなかった」だけのタイプと、「別に実は天才ってこともなく、本当に普通の子」というタイプと2種類ある訳ですが、その意味では西沢さんは後者でしょうか。で、その手の普通の女の子においては概ね「未来に対するビジョンの欠如」があるかと思われます。要するに、脇キャラを固める人気者やしっかり者、天才少女や生徒会長の類には大方「自分が○○になる」的なビジョンを持ってる向きが多いのに対して、この手のヒロインは割と安穏とした人生を過ごしつつ、アイデンティティと将来の目指す方向性に関して保留した状態にある。一方で、10代という世代なりの野心めいたものは秘めている、と。まぁ、こないだ始まったプリキュア5のヒロインなどはこれの典型ではありましたが、あんな感じ。NANAにおけるハチもそこからは大きく外れてはいないのだろう。で、そういう女の子が偶発的に「雲の上の世界」に珍客として巻き込まれるってのがある種の少女漫画の第1回の定番ではあります。
で、何故こういう定番があるかというと、恐らくは「嫌われる要素がない」のと「自分の妄想キャラに染めやすい」のの二重の理由があるのでしょう。要するに、出る杭は打たれる的な意味でのキャラとしてのアクがないことで、ある程度親しんでもらえることが期待される一方で、確固としたポリシーを持つキャラクターと比べて「私ならこうする」的な自分の色に染めることが可能な存在でもあります。特に後者は、「アンジェリーク」や「遥かなる時空の中で」のごとき乙女ゲーにおける要素として重要となってくる部分でしょう。そういう意味では、恐らくは西沢さんのようなキャラを入れることは、この作品において女性読者の存在も意識してるのかな、という部分はあります。要するに、ヒナギクやマリアのような萌えテンプレに嵌り過ぎた、一見すると記号的なキャラに対する毒消し的要素として配置するような意図、ではあったでしょうか。同じような毒消しでは雪路というバーサーカーキャラがいますが、より積極的に「キャラバランス」を女性にとって優しい方向に改善している存在として意外と西沢さんって重要なのかも。
ただ、現実としては西沢さんはこの作品の主人公ではない以上、やっぱり単に普通なだけでは「珍客」以上の意味はなさないのでしょうし、さほど共感を得られる位置にもいないのでしょう。ただ、この手のキャラクターは少女漫画文法においては常に「雲の上の世界を『変える』」力を持っているとされます。要するに、「ナギの世界」を変えるのは、ある意味もともとある程度以上「修羅な世界」の住人であるところのハヤテやヒナギク(或いはマリア)のような人物ではなく、「普通の世界」の住人であるところの西沢さんなのかなぁという部分も。既にその片鱗として思うのは、西沢さんのハヤテに対する態度としての「諦めの悪さ」。大方お嬢様育ちのナギはある程度逆境に弱いというかそういう意味での諦めの早さが都度に描かれていますが、一方でハヤテやヒナギクもある種の地獄を経験しての諦観に近いものを持ってしまっています。その点では、この西沢さんの「特徴」は意味があるんじゃないかな。
そして、そういう意味での見せ場を作られるようになってはじめて西沢さんのキャラとしての人気は上がるような気がしていますが、それまではある意味雌伏せざるを得ないのかなぁとも思われます。ただ、結局ナギの世界、というかナギが「変わる」辺りに作用してくるまでの時間まで存在感を維持するために、ある程度ヒナギクを牽制するキャラクターとして位置づけられてるんだろうなぁ、とも。ただ、そこまでキャラ人気を失速させずに維持するのも決して簡単ではないだけに(実際当初畑センセイが指摘してた人気ほどに、前回のアンケート結果が良くなかったってのもある)、それこそtanabeさまが案じられてるような「普通の逸脱」みたいな部分も含めて、結構難しいキャラ造りが求められちゃうのかなぁとも。
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