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殿下執務室2.0 β1

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有芝まはるが綴る、競馬話その他の雑談、そしてYet Another Amateur Photography。

ドイツ競馬……エピローグ=実現された可能性・「似ていない兄弟」 

 相当長いこと放置してしまいましたが、今更のごとく、まとめというか後書き的な話などを。
 その前に、各話へのリンクをsenchouさま@四号館(防備録)がまとめて下さっていたので、ここにも貼り付けてさせて頂くことにします。長らく有難うござりました >senchouさま
 今回の連載で取り上げていたのは、1905年から1936年までのドイツ競馬、ということになる。この範囲というのは純粋にネタ本の取り上げている範囲内、というのが正直な所であり、実際のところはまぁ「現代の視点からのドイツ競馬発展史」という意味で最初から調べるならば、前はもうちょっと遡って Hannibal の台頭辺りをスタートポイントとすべきであろうし、後ろは後ろでもうちょっと大戦中まで食い込んで、Schwarzgold と Ticino までは取り上げる必要があるだろう。しかし、このネタ本、「Von Patience zu Nereide」の作者としては(当時の)現代ドイツ競馬史を編むにあたってエポックをダービーのレコードを出した牝馬、という文脈で取り上げたためにハンガリーの名牝 Patience の勝利した1905年としたのだし、またこの本の続編を描く機会は、ユダヤ系のエルレンホフ牧場に仕えていたユダヤ人であったという作者のリヒャルト・シュテルンフェルト博士に訪れることは無かった。戦時中に彼のごとき立場の人がどのような運命を辿ったかについては推して知るべしというところで……。
 一方で、概ね戦間期の配合をカヴァーしたことによって、ある程度現在に至る「ドイツ血統」のコアの部分に関しては、おおよそ触れることが出来たのかな、とも思う。これより以前のドイツ血統に関してもある程度調べれば色々出ては来るものの、現代に対するリンクの強さという意味ではどうしても弱くなりがちな部分はある。勿論、そういう「滅びたもの」を調べることこそ愉しいというのもあるのだけれど、それはまたそれで、ということで。その「コア」という意味では大きな存在は Festa、Ard Patrick、Nuage、Dark Ronald という辺りになるだろう。この辺りの血統を近親交配によって急速に固定しつつ、時には効果的な外来血統の導入によるアウトブリードでコアとなる競走馬を作る(Nereide や Ticino などにはそういう側面もある)という系統繁殖の恩寵をドイツは未だに享け続けていて、今をときめく名種牡馬、ランドや Monsun などもそのような文脈で解されるべき名馬である。例えばランドの血統に3×3でインブリードされる Literat と Liberty の全兄妹は、父が Alchimist の仔 Birkhahn(戦後ドイツ最初の名馬)で、母父は Festa の仔 Fervor を3本入れた Masetto(バーデン大賞)、そして自身の配合は Alchimist≒Arjaman≒Aditi の2×4*5となり、濃厚なドイツ血統を再度合流させたことが窺われるだろう。
 ところで、ドイツの競馬は第1次大戦の間、西欧との交流が断たれるような状態になった。その後は、戦時賠償の巨額やそれによる経済の不安定感によって、1920年代に入ってもやや馬の輸出入は低調だったと言えるだろう。その時期を得て、現在にまで父系を残す Dark Ronald が活躍したというのは、ある意味では自発的ではなくやむを得ざる事情で系統繁殖が進んだという面があるというのもまた否めない所ではあるだろう。これと似たような事例をもつ競馬国がある。

 他ならぬ、我らが日本である。

 日本で唯一の内国産種牡馬のリーディングサイアーは1953~58年のクモハタであるが、これは戦中に活馬輸入が停止されて、そもそもライヴァルとなる輸入種牡馬が他の時代よりも少なかったという背景もある。それでも例えば*セフトや*プリメロのような種牡馬が同時代に居たことを思えばクモハタの事績も不朽ではあるが。そして、この時代、確かに内国産血統は系統繁殖によって頂点を極めた、というのは笠雄二郎氏がその名著「日本サラブレッド配合史」において喝破している通りである。例えば*プリメロの産駒種牡馬からは、実に7頭が旧八大競走の勝ち馬を輩出した(別表)。今でいえばG1種牡馬を7頭生んだ、ということになるが、この事績に並ぶ可能性があるのは恐らく今年に入って4頭目と5頭目のG1種牡馬を出した*サンデーサイレンスのみである(カネヒキリをインチキ扱いするなら4頭だが。因みに残り4頭は全て国際G1馬を出してるので、恐らく文句なしでいいかと)。そして、この*プリメロの事績も、笠氏が指摘する*星旗(英名 Fairy Maiden:クモハタの母)とのニックス(参照:ハクチカラホマレボシヤマノオー)などという、言わば「系統繁殖的」な手法となるだろう。
 しかし、残念ながら、日本においてその萌芽した系統繁殖は活馬輸入再開後に維持されることは無かった。いや、*ゲイタイム辺りの時代まではそれでもある程度拮抗していたのだけれど、*ヒンドスタンが持ち込まれてからはほぼワンサイドで輸入馬の波に飲まれて、そして日本は血統を次から次へと更新しつつ近代馬産の時代を追いかけ続け、そして「血統の墓場」と嘲られつつも、一方で産業としての競馬を世界屈指のレベルまで発展させて行ったのである。一方で、ドイツ馬産にもその危機が無かった訳ではない。1924年の「バーデン・ショック」はその典型であろう。この話に関しては芝周志さまのNereide 話でもマクラとして取り上げてくださっているのでそちらも参照されたいが、ドイツの系統繁殖もすんなりと進んでいた訳ではない、ということを教えられる所である。
 では、ドイツと日本は何が違っていたのだろうか。まずは、時代が違っていたのだろう。1920年代というのは競馬の血統史という局面では百家争鳴の時代であった。St.Simon 時代の終焉が1910年代に確定したということもあり、それまでの全てのサラブレッドを変貌させた St.Simon に関してどのようにそれぞれの国で昇華させていくかという局面にあり、言わば血統全体がそれぞれの地域である意味内向きに発展するような時代だった、ということがあるのだろう。その上で、ダービー卿やシニョール・テシオ、マルセル・ブサックという、現代の血統を作った天才的な馬産家がまだその血統を円熟させ、大いに世界に拡散させる前の段階のフェーズにあった。この3者が「完成品」として最良の繁殖馬を作るのは、Hyperion の1930年、Nearco の1935年、Djebel の1937年という時期であり、それが牧場に入って影響を振るった時期からまだ15~20年近くはあったのである。また大きな要因としてこの時代にはアメリカ血統との混交がまだ必須要件とはなっていなかったし、そもそもアメリカ血統もまだ Teddy という「最後のピース」を消化するフェーズであった。それと比べると、日本の活馬輸入解禁後にあたる1950年代後半から60年代というのは、上述したような血統の再構築が欧州レベルでほぼ一巡して円熟期に入ったという状況であり、その一方で Lady Josephine を筆頭とするアメリカ血統によるスピード化の洗練・競馬そのもののスピードレヴェルの向上というのが急速に進んでいた、また血統の回転自体が馬産の拡張と交通の強化により早くなっていたような時代であり、恐らく日本の馬産家が抗う「波」の大きさは、1920年代のドイツにおけるそれよりも強かったのではないかと想像される。単純に舶来志向だけが日本を「種牡馬の墓場」にした、という意見は恐らくナイーヴに過ぎる部分はあるし、当時の馬産家をそのかどで一概に責めるのも気の毒な話ではあるのだろう。
 一方で、ドイツが余りに絶妙なタイミングで見事な「配合的回答」を引き出したな、と思うのは、1925年に Aditi という名馬が出たというところであろう。バーデンショックの僅か1年後に、この馬がバーデン大賞を制し、そしてその馬をクローンしつつ更に発展的な要素を加える形で Alchimist、Arjaman という種牡馬を創造し、後の配合史に事績を残せたというのは、正直なところ、「話として出来すぎ」な部分もあるような気がしてならない。そして更にその僅か2年後、つまり「バーデンショック」の年に生まれた世代から、ドイツ史上最強馬の Oleander が出てしまうのである。言わば、この「理想的な回答」がギリギリのタイミングで引き出されていたことによって、ドイツは自らの手法の正しさを認識し、それを正しく維持させることに成功したとも言えるのである。Oleander のような配合がもう少し先まで成功していなければ(現実にこの馬は2歳時に一度死の淵まで行く故障を経験している)、Aditi がバーデン大賞で Weißdorn とともに国外の馬に敗れていれば、果たしてドイツのサラブレッドの血統表にはどのような文字が現在あったのだろうか。もちろん、原資としてドイツの競馬は日本の競馬よりも始めから優れた素材を輸入していたという部分もあったわけで(Ard Patrick なんて、ライヴァルが多いから目立たない部分もあるけど、競走馬としても相当に凄いと思うぞ)、回答は出るべくして出たという側面はあるのかも知れないけれど、それにしても聊か運命的な部分も感じる所ではある。
 無論、舶来志向は実際にあったとも思うし、日本が産業的に競馬を発展させるやり方を考えれば系統繁殖の維持は恐らく困難だったかとも思われますが、血統文化という点では全く対照的に見える日本とドイツでも、実はある局面を見れば似通っている面はあったし、それはこの両国が近代世界においてリーダーではなくフォロワーであったこととも被りつつ、競馬という面においても、戦争の歴史に揉まれながら世界のレヴェルに追いついていこうと走り続けていたことを思えばむべなるべきシンクロニシティなのかなと。その上で、日本が果たせなかった文化を実現したドイツへの憧憬に似た部分は自分などはあるのですが、それがある種の「微差」によるものであり、また容貌は全く違っても出自は意外と似通っているというある種の「兄弟的」な面がこの競馬国にある、というようなことに思いを馳せつつ、もう一度訳の分からないレース名だの馬名などと取っ組み合いつつこの連載を気が向いたときにでもまた味わっていただければとも思います。
 では、Auf Wiederseh'n!
#って、別にブログは普通に書いてますが(笑)

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ドイツ名馬1936……賢者と魔術師の邂逅 

 この世代は2歳時からエルレンホフ牧場の牝馬ネレイデ Nereide が引っ張っており、ラティボアやツークンフツなど5戦5勝。それに対して牡馬勢ではまずヘンケルで Graf Isolani 産駒のヴァルツァーケーニッヒ Walzerkönig が勝利し、それを追う形でウニオンでは人気薄で勝利したヴァルトフリート牧場の Oleander 産駒ペリアンダー Periander が名乗りを上げる一方で、レットゲン牧場のヴァーンフリート Wahnfried が3着に入る。一方の Nereide はと言うと、牝馬限定路線でギニー、オークスを連勝し、後者では2着のヴァルトフリート馬アレクサンドラ Alexandra に圧勝した。ハンブルク開催に入り、Wahnfried は前年の王者 Sturmvogel にハンザで挑んでアタマ+1馬身という僅差で3着、一方で Nereide は叩き台的にレースを1つ勝って本番を迎える。ダービーでは、Periander が勢い良くペースを作って直線に入るものの、そこで力尽きるとあとは Nereide の独擅場となり、4馬身引き離してのゴールに、レコードのおまけを付けた。2着に入ったのは、健闘むなしく敗れた Periander を2馬身かわした牝馬 Alexandra であった。その後、ベルリン大賞では再び Wahnfried が Sturmvogel と相見えてまたも惜敗するも、Nereide はこのレースに出走することなく、100000マルクを争うミュンヘンのブラウネス・バントに照準を合わせてきた。勿論、Sturmvogel や Wahnfried もここには顔を出すが、彼女のライバルはその地元馬ではなかった。そこにはエドゥヴィル・ハードウィック・仏共和国大統領(サンクルー大賞)と重賞を3連勝中であった、マルセル・ブサックのコリーダ Corrida がいたためである。当然のごとく1.8倍という圧倒的な1番人気を得たこの仏最強牝馬と Nereide はほぼ一騎打ちの形となり、馬齢重量差の恩恵を受けつつ、結果は Nereide が最後に叩き勝って1馬身差で Corrida を撃破した。これだけのレースをしてしまえば、もはや Nereide の不敗記録を守る方が得策ということで、夏にして同馬は引退する。一方、このレースで Corrida に遅れること1馬身半の3着に入った Wahnfried がシーズン後半を支え、バーデン大賞・セントレジャーを制しており、この馬も Nereide がいなければ晩熟の俊才として存分な仕事だったと言えるだろう。
 Nereide の勝利は7kgという斤量差にも恵まれたものであったが、この年の Corrida はシーズンの叩き緒戦を取りこぼした(基本的に同馬は休み明けがダメな馬である)以外はほぼ無敵。エドゥヴィルではパリ大賞3着の Alcari、ハードウィックではダービー5着の His Grace に圧倒的な斤量差で勝利し、共和国大統領賞で仏ダービー2着の Vatellor、Nereide に敗れた後のオステンド大賞ではダービー2着馬 Taj Akbar(同年には遠征中の米3冠馬 Omaha にも勝っている)を3馬身半千切り、そして凱旋門賞ではロイヤル・オークの勝ち馬 Fantastic を降している。こういった同世代の仏英クラシック上位馬を悉く屠り続けた相手に、Nereide は勝利したのである。言わば、ドイツとしてはサラブレッド馬産史上初めて、仏英クラシック級、すなわち世界最強クラスの3歳馬を作ることに、この年成功したのである。実際のところ、Mahmoud はどうかと思うが、Mieuxce 辺りだったら相手になったかもしれない、とも思わせる。
 Nereide は、血統だけ見ると「ドイツの土着の血統」とは言えない存在ではある。この馬の母である Nella da Gubbio はフェデリコ・テシオが生産したイタリア馬であり、曾祖母 Catnip に始まるこの牝系から、テシオは現在において最も影響の大きい種牡馬、Nearco を生産して馬産史に金字塔を打ち立てた。安馬 Catnip から Nearco に至るマジックは、母父 Havresac の St.Simon=Angelica2×3*5、父 Pharos の St.Simon3×4 という St.Simon 血脈の導入であったが、その従姉妹となる Nella da Gubbio も全く同様に、St.Simon=Angelica3×3 という Tracery, Grand Parade を続けて交配した成果である。この過程で Orby と Catnip が米血を持っていることも注目されよう。この牝馬に対する配合は、反面、なかなかに系統繁殖的手法を踏んでいる。それは、母父の Grand Parade に Festa の全兄 Desmond が入っていることに着目しての全きょうだいクロスを創出している点に、まずは見受けられるであろう。この Grand Parade には、更にその祖母にも Galopin×Hermit の組み合わせが入っているだけに、効用は更に高まっている。その上で、当時としてはもはや定番となった Galopin に対する Ayrshire の組み合わせ、そして Orme に対する Bend Or×Macaroni の継続としての Kendal の存在なども折り重ねた辺りは、ドイツの知恵が滲み出た配合とも言えるだろう。テシオの天才性と、ドイツ馬産のノウハウが見事に調和した稀代の名牝がこの配合の結果生まれ、そしてそれは馬産史に冠たる誇り高き Highflyer の父系の最後の光輝となった。この年の後半を彩った Wahnfried もまた、母はハンガリーからの輸入馬であり、6代を遡るとかの不世出の名牝 Kincsem に至る。4代母 Szende が Newminster3×4という構成で、それを再度開花したのが母 Winnica の配合。母父 Kottingbrunn が Hermit3×4、Newminster=Honeysuckle5×4*5で、この系統をてこ入れする一方で、Winnica 自身が St.Simon4×4となり、Nereideと同様に St.SimonとHermit の組み合わせが生きる配合となった。そこに St.Simon と Tracery が入る Wahnfried の血統構成は、ある意味 Nereide と通じるところがある。
 余談であるが、Nereide の母方に入る Grand Parade、そしてWahnfried の父方に入る Flamboyant、この2つの血脈を媒介に、St.Simon, Bend Or, Hermit という血脈を昇華させた馬が日本にも5年遅れて登場している。その名は、セントライト、わが国における最初の3冠馬である。周辺国における配合の進化は、時に意外な類似性を見せるところはあるのだろう。

◆ふぅ。
 という訳で、36年まで終了。あとは軽くまとめコラムを来週くらいに書けば、このシリーズも終わりでございます。
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ドイツ名馬1935……黄金へと羽ばたく黒鳥 

 1935年の3歳世代は、牡馬に関してはほぼシュレンダーハンのシュトゥルムフォーゲル Sturmvogel の1強というような状況になった。1つ上の全姉 Schwarzliesel は前年の牝馬ギニー格キサソニー・レネン(後に同格のレースはこの牝馬の娘の名を冠することになる)を制していたが、後に黄金のSラインと呼ばれる栄光の牝系の嚆矢としてはこの世代の牡馬を指示すべきであろう。同馬は、ヘンケル・ウニオン・ダービーの春3冠を制し、同世代の馬は相手にならなかった。この世代のシュレンダーハンは、牝馬でもキサソニーとディアナを同じく Oleander 産駒のドルンローゼ Dornrose で制しており、まさに春クラシックで無敵の強さを謳歌した。しかし、後にフュルシュテンベルクで牝馬のコンテッシナ Contessina が勝利する辺りを考慮しても、恐らくはこの世代は牡馬が層が薄かった面はあっただろうと思われる。セントレジャーでも勝ったリカルド Ricardo の直後には上述の2頭の牝馬が入線している。
 しかし、幸いにしてというべきか、ベルリン大賞に出走した Sturmvogel には大いなるライバルと相対する機会に遭遇した。パリ大賞に勝利した4歳の強豪アドミラルドレーク Admiral Drake である。フランスのこの世代には Brantôme という桁違いの猛者が君臨しており(プーランでは3馬身差で Admiral Drake に楽勝)、同馬は感冒でダービー・パリ大賞を回避していたものの、勿論パリ大賞はバリバリのクラシックであり、Admiral Drake はこれまでにドイツの地を踏んだどの馬よりも強かったと言える。このレースはブラウネス・バントに向かった Athanasius(34) 以外の主だった4歳のトップクラスも参戦して、分厚いメンバーのレースとなった。しかし、これらの強敵を相手にしても、Sturmvogel は崩れず、2馬身差で Admiral Drake を打ち捨てた。ベルリンの後にベルギーのオステンド大賞で Admiral Drake は後の名牝 Corrida やイギリスの*セフトを葬っているのだから調子自体はさほど落ちた状態では無かっただろう。果たして、バーデン大賞で、この年ハンザ→ブラウネス・バントと快進撃を続けていた古馬の王者 Athanasius と対戦したときも、Sturmvogel の方が馬齢に1kg余計に背負うこととなった。しかし、流石に春にフル稼働しての疲れもあったか、ここでは Athanasius ばかりか Travertin(34) にも後続を排して3着に敗れてしまう。ただ、斤量を考えれば必ずしも Athanasius に劣るとは言えないだろう。34-35の2世代ではこの2頭がやや抜けて優れていたと言えるかも知れない。
 Sturmvogel の母である輸入牝馬 Schwarze Kutte はエドワード・エルリックが活躍した(笑)1923年にドイツ牝馬賞3着などそこそこの実績を残し、繁殖としては全姉の Schwarzliesel からはドイツ最強牝馬の一角をなす Schwarzgold が輩出されたことによりSラインの祖(参照@鞘師)として記録される。この名牝系が育つ最大の血統的なバックグラウンドは Schwarze Kutte の父の母である Absurdity である。この凡庸な競走成績の牝馬は20世紀の最初の20年に栄光を刻むJ.B.ジョエル氏の基礎牝馬としてその栄光を支え、セントレジャー馬 Black Jester とオークス馬 Jest を生み、Jest からは肺に爆弾を抱えながらダービーを制して仆れた英雄 Humorist が出る。A.S.ヒューイット氏はその名著「名馬の生産」で、ジョエルの牝系が速やかに衰退したために同氏の成功を名種牡馬 Sundridge と Polymelus によると見なしたが、これは必ずしも正鵠を射てはいない(無論上述の両種牡馬の血統史における意義は不滅だが)。Absurdity は確かに1号族としては比較的凡庸な牝系に属していたが、父の母には Violet Melrose、母父の母には Lady Masham という、名牝系に由来する血を種牡馬経由で獲得していた。一方で、Schwarze Kutte の母方の血統を概観して、それに匹敵する名血はさほど多くない。強いて言えば、Bend Or の母 Rouge Rose が名牝であり、直牝系が16号族の Agnes 系ではあるものの、祖母の代などでドイツに行かなかった系統はいずれも振るわなかったことを考えても、Black Jester の牝系に由来する「血」がこの牝系の栄光を担ったと考えるのが妥当だろう。そして、Oleander との配合は、Black Jester の母父 Melton に繋がる名牝系 Woodbine の系統をクロスさせる。このようにして、Absurdity のポテンシャルを高めた結果、この系統は暗黒から黄金へと輝きを増し、それは Schwarzgold で一気に爆発したのである。同様に Absurdity のポテンシャルを梃子に牝系の能力を伸ばした例として、Mill Reef や Blushing Groom, Khaled などを輩出した Black Ray(参照@JB牝系図) の牝系が挙げられるだろう。
 牝馬 Dornrose と Contessina はいずれも Oleander(27) の産駒で、この世代は Oleander が席巻した感がある。前者は Dark Ronald 2×3のクロスだが、更に強烈なのは牝系が Danubia なので、同牝系の Oleander との間に Orsova4×4というインブリードも持つ辺り。繁殖として実績を残せなかったのは残念。一方で Contessa Maddalena(28) の娘である Contessina は Sturmvogel の配合と同様、Woodbine の牝系クロスの呼び水となる形で St.Serf4×4というインブリードが入るのが特徴。Polymelus と Galtee More という Bend Or の備えも万全。この牝馬自身は繁殖として活躍しなかったが、全妹の Contessa Oleanda が衣鉢を継いでドイツで活躍する牝系となった。
 ところで、Absurdity の孫である Humorist が文字通り命を削ってダービーで叩き合った相手は Admiral Drake の父 Craig an Eran。言わば、Absurdity の血がこのエプソムの歴史でも指折りの激闘を再現したことにより Sturmvogel はホッペガルテンで勝利した、と言うとやや電波が過ぎるか。

◆QMA2:ロミタス@新問が冴えず。
1)雑学1(4)[7]→雑学4(5)[4]→学問5(5)[5]    (8/13)
2)雑学1(6)[4]→アニ4(3)[12]            (7/12)
3)アニ1(6)[1]→学問3(5)[3]→ノン5(6)[3]→2(9)(3/4)
4)アニ1(3)[13]                    (8/11)
 時折即答する人のいない問題とかは新問かなぁと思いつつ、どうも余りそういうのも引かんかったような。ただ、本当に新問の大体の見当がつくのは武器で散々やってるスポ2くらいのものですな。1ゲーム目はキラー1問喰らって残り易問の典型的取りこぼし。2回戦のアニゲを叩いた直後に3ゲーム目でリベンジできたのは嬉しかったが、その後きっちり返り討ちに遭う辺りが何だか。とは言え、最近決勝で2着をでっち上げる能力は上がった気がして、今回も4ポイントを1回拾えばマイナスは無かったという感じでまずまず気楽。
 金剛昇格後の成績は29-38-20-24#79-36-17(34-27-37)。
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ドイツ名馬1934……Landgraf の3代目 

 1934年の3歳世代では、2歳時からツークンフツを勝つなど早熟さを見せていたペロピダス Pelopidas がヘンケルを勝って以降距離伸びて脱落する一方で、同じく2歳時からの活躍馬でヘンケル2着のアタナシウス Athanasius がユビロイムスでも好走し、一方ウニオンではトラヴァーティン Travertin が快勝してダービーに名乗りを上げた。一方、ステイヤーのブリンツェン Blinzen はハンザ賞で Arjaman(33) などを倒して台頭するが、ダービーでは Athanasius の前に敗れてしまう。Travertin は凡走し、3着には牝馬のアガリーレ Agalire が入った。ここで世代の頂点に一度は立った Athanasius ではあるが、その後はどうも安定しない戦績で、ベルリン大賞では半馬身差で Blinzen の雪辱を許し、ヴァルトヘンス・レネンでは Travertin に負けており、この年には大きなタイトルを得ることはなかった。一方で、この年にはナチスのお膝元であるミュンヘンで高賞金レースとしてブラウネス・バントが創設されるが、そこではダービー3着の Agalire がイタリア遠征馬 Tofanella に敗れている。Tofanella は後にシニョール・テシオのために Tenerani や孫の代の Toulouse Lautrec(参照) を輩出する名牝となったが、この馬自身は(デルマソースなので不確かではあるが)テシオの生産ではないようで、この辺りは往時のイタリアの少数精鋭な馬産の意外な層の厚さを示すものかも知れない。そして、この国際舞台の経験を生かしてか、Agalire はバーデン大賞で前年に続いて遠征してきたブサック馬 Negundo を再び返り討ちにする。もっとも、レースレベル自体はさほど高くなく、スタートで出遅れて勝負にならなかった馬もいたようで、やや評価は落ちる。この世代は3歳の段階では Athanasius, Travertin, Blinzen が互角と見るべきか、セントレジャーで Travertin に勝った分で Blinzen をやや上と見るべきかくらいの印象であるが、翌年には、Athanasius が本格化して、大きく差を付けることとなった。
 Athanasius は「ダービー・ライン」とも呼びたくなる Landgraf(17) の父系の3代目のドイツダービー馬である。いずれも若い世代でダービー馬を輩出していると言う点で Ferro, Landgraf は共通しているが、果たしてこの馬も次の代の Ticino を8歳にして輩出した。戦後にアメリカ軍により接収された同馬は種牡馬として供用されたものの凡庸な産駒しか当地では残しておらず、接収したなら真面目に使えよとも言いたくなるが(勿論赤軍よりは幾許かマシであろうが)、父 Landgraf のこの頃の代表産駒が同世代で距離限界のある Pelopidas だったことを考えると、父系全体がある程度本格派を出すという面ではさほど息の長くないタイプなのかも知れない。それは「細く長く」父系を残すと言う意味ではアドバンテージであったのだろう(類例として Teddy に至る Ormonde の父系などが挙げられるか)。配合としては、父の Ferro において導入された Galopin×Hampton を Laland(16) の Ayrshire と絡めることでクロス化しており、一方で父にあった豊富な Highflyer の流れを受けて、母の配合に Hannibal の3×3と、祖母父 Ariel(14) に Buccanner のラインクロスが入っている辺りが、古臭いながらも秀逸。Agalire はディアナ3着・ダービー2着の Atalante(29) の娘。多分エアレンホフの馬だと思うのですが、Festa3×3、Kendal3×4、Hannibal3×4というちょっと凄い配合で、こういうのが繁殖に入ると結構面白いのがドイツの特徴。子孫にはDDRダービーを制した Antritt がいるが、多くは西側で根を伸ばして、アラルポカルを制した名牝 Las Vegas などが有名である。Las Vegas の祖母 Loire の血統など見ると、3代にAthanasius, Arjaman(33), Alchimist(33), Aventin(32), Agalire とこの時代の活躍馬が並ぶのは壮観。早熟な Pelopidas は Landgraf の産駒で、St.Simon や Isinglass のクロスをきっちり贅沢に使えるのは、この父らしい配合と言えるだろう。シュレンダーハンのステイヤー Blinzen は Persimmon=Florizel という、この時代の英国っぽい全兄弟クロスを持った、血が古い割にはなかなかしゃれた血統。この馬もどうやらソ連に接収されたようで、繁殖としては波乱の時代であったのだろう。Travertin は、母父に Landgraf を持っている。Graf Ferry の米血を生かすにはやや低温すぎたきらいはあるが、母方には Ard Patrick と Bend Or が入っていて、まずは Graf Ferry にとっては悪くない牝系というところであろう。
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ドイツ名馬1933……ナチスドイツの錬金術師 

 ディープインパクトの活躍に寄せて「英雄を必要とする時代はもっと不幸だ。」という科白はやや過剰気味に流通されているところであるが、1933年のドイツのターフにおいても、スポーツの世界にアーリアの英雄を求めるナチスドイツにとってまさにお誂え向きというべく、中央政府所轄のグラディッツ高位牧場から英雄が現れた。その馬の名を、アルヒミスト Alchimist と言う。
 この年も、ここ2年程度の傾向と同じく、3歳馬が早くから古馬の一線級を破るシーンが目立つ年であった。ユビロイムスではヴァルトフリートのヤニトア Janitor が同年のヘンケル馬でシュレンダーハンのカシウス Cassius とともにワンツーで Widerhall や Mio d'Arezzo(32) を撃破し、一方ハンブルク大賞ではグラディッツのアーリアマン Arjaman が Lord Nelson や Aventin(32) などに勝利した。一方、こういった流れにやや乗り遅れていた感があったのが Alchimist で、元々2歳からツークンフツを制していたもののヘンケルでは3着。しかし、この馬もじきに調子を上げてウニオンでは上記の3頭をまとめて2馬身差で降し、ダービーでも終始余裕の先行で最後は1馬身半差でウニオン3着のウンケンルフ Unkenruf 以下に楽勝し、ゲッベルス宣伝相の祝福を受けた。この後も Alchimist の進化は止まらず、ベルリン大賞では長期休養明けながら健闘した前年のダービー馬 Palastpage(32) 以下を2馬身半斥けて Unkenruf や Widerhall を相手にせず、バーデン大賞ではトップハンデを背負ってマルセル・ブサックのネグンド Negundo とヴェルメイユ賞馬ラシルセ La Circé という2頭の遠征馬を迎える。このほかに、4歳馬では Aventin、3歳では帯同馬の Arjaman にフュルシュテンベルクで Arjaman に2kg貰って勝った Unkenruf、そして Janitor が参戦する。このレースでも僚友 Arjaman のサポートを受けた Alchimist は直線楽に抜け出して後続に影を踏ませずに3馬身差で勝利し、Negundo はやっと最後の追い込みで Janitor をかわすのが精一杯、La Circé は見せ場を作れなかった。これで Alchimist は底を見せずにターフを去り、セントレジャーでは、ダービー・ベルリン・バーデンと3度 Alchimist のためにレースをしつつ、要所では古馬を押さえて勝利していた Arjaman がやや距離限界のある Janitor を降し、返す刀でブダペストの洪セントレジャーも勝利する。牝馬路線ではドイツ牝馬賞の勝ち馬ブリオッシュ Brioche とディアナ馬アウスフルフト Ausflucht が古牡馬を相手に健闘した。

 この世代においては、Alchimist がバーデンで勝利した相手は前年の Hénin よりは一枚下だったが、斤量差で都合3kg重く背負った Alchimist が3馬身つけたということで、内容的には上回る一方、その他の上位勢は Widerhall 辺りよりはやや下の評価となるだろうか。中距離の Janitor と長距離の Arjaman がほぼ互角で、中距離の Cassius と長距離の Unkenruf がほぼ互角と言う感じ。Janitor はヴァルトフリートがイギリスから輸入した牝馬の仔であるが、この母はなかなか優れた配合で、St.Simon の娘 Charm の4×3というインブリード。この時代にはある程度系統繁殖的スタイルの配合を狙い撃っていたというべきであろうか。加えて、Bend Or×Macaroni を Bona Vista を絡めつつ3本入れ、The Tetrarch と米血の絡みがスピードを保証した。自身が Fervor を既に父としているため、配合としてはやや競走馬として完結しているが、ドイツのこの時代の配合としては理想的なスピードを実現している。もう1頭の短距離馬 Cassius は父が25年のヘンケル馬 Favor で、親子制覇。極端な Festa クロスの父に対して、やや毒消し気味に異系の Barcaldine のインブリードを累進した母を配合するのは、近交×近交の遠交でセンスがある(と言っても St.Simon のクロスはあるが)。Unkenruf は26年ディアナ馬 Note の仔で、Dark Ronald と St.Simon を累進するのはセオリー通り。その上で、母には Galtee More と Flying Fox という2頭の英3冠馬の存在が上質。
 そして、Alchimist と Arjaman である。この2頭はともに Herold 産駒でありつつ、Arjaman の母は Alchimist の半姉 Aditja(28) であり、その母(つまり Alchimist の母)はやはり名牝の Aversion(17) である。この両雄に先んじること8年、Alchimist の半兄 Aditi(25) がドイツ系統繁殖の基盤部分の完成という意義を持つことについて触れたが、それを更に円熟させた成果がこの年の2頭の存在であった。Alchimist は、父 Herold から更に1本の Ard Patrick を入れて、これの3×3というインブリードで、St.Simon への累進を完成。一方の Arjaman は、Ard Patrick の流れに更にその半兄 Galtee More を入れつつ、ドイツの偉大な名牝 Festa を経由して St.Simon を取り込む。この両者の最大の違いは、ここ数年で幾度も触れた、Bend Or×Macaroni の分厚さである。この流れを Flying Fox 経由の Ormonde 1本に抑えている Alchimist は、むしろ父 Herold の Galopin×Hampton の良さを継続させた、言うなればやや保守的な配合であり、Arjaman のそれはクロスの華やかさを持つ挑戦的な配合であった。この際に、前者の「枯れた」保守性がセッティングのしやすさを現出した、というのがこの両雄の競走能力の差として説明できるだろう。逆に、クロスの華やかさは Arjaman をして後世におけるクロス馬としての意義の強さを演出した。後世のドイツの名馬には Alchimist, Aditi, Arjaman のトライアングルは不可欠に近いものとなるが、うちクロス馬として最も存在感を示すのは Arjaman であろう。その例は、1979年のドイツ史上唯一の3冠馬にして Monsun の父である ケーニヒスシュトゥール Königsstuhl に垣間見られる。逆に言えば、Alchimist はその配合に Bend Or を取り込む必要があり、牡馬と牝馬の代表産駒であるビルクハーン Birkhahn とシュヴァルツゴルト Schwarzgold においては、前者の母に Cyllene 2本と Kendal、後者の母父に Bend Or の強い内包を持つ Oleander が入るのである。そして、それらの馬はクロス馬という形ではなく、父系と牝系というリネージとしてドイツの、いや世界のサラブレッドに歴史を刻んだ。
 ところで、有名な話であるが、Alchimist は終戦後、進駐した赤軍によって屠殺されたという。これは赤軍の兵が必ずしもこの馬の価値を理解していなかった訳ではなく、ただナチスドイツの歴史とともに生きた英雄の存在を、2000万人の屍を超えて大祖国戦争を行軍した赤軍が赦すことが出来なかった、と見るべきなのかも知れない。グラディッツに一生を捧げたこの馬は、かくも偉大なる「生きた兵器」であった。

◆今回のお話に関しての参考記事。
 Alchimist の評伝に関して、もう少し突っ込んだ内容を、gonさま@Galopp in der Bundesrepublikからエントリ頂きました。大感謝でござる。あと3年とは言え、Athanasius, Sturmvogel, Nereide となかなか濃いメンツが控えてるので、こちらこそ宜しくお願いします。
 なお、Alchimist, Aditi, Arjaman の3頭のグラディッツ名馬に関しての配合論に関するコラムは、鞘次郎師も掲示板でものしていたことがあります。鞘掲ログの7月6日辺りの件をお読みくだされ。

◆QMA2:ロミタス@白金3級
 今日は全国大会中心のため2ゲーム。結局、Aリーグは31人のままで終了。これだと結構抜かれちゃうかな……。しかし正直、大会でランカーのサブカに貢献度ランクで抜かれると、自分の実質的なランクがどの辺りにあるのかがどんどん分からなくなって困る気がする。自分程度の実力で気にする必要もないのかも知れんけど。
1)雑学1(6)[1]→スポ3(6)[5]→芸能5(5)[6]    (6/14)
2)スポ1(5)[4]→雑学3(5)[7]→学問5(6)[1]→3(10)(4/8)
1ゲーム目は昨日と似たようなパターンで、3回戦の最後でくだらん○×を落としてアウト。やはりどうしてもナチオ気味になるアニゲ・芸能では1問落とすと致命的だにゃ……。とは言え、結構多人数で強豪相手に1回戦でタイプ勝ち出来たのでそれなりに。2ゲーム目は楽なジャンルと人数で、流石に気をつけながら3回戦に臨んで、6問しっかり取って連想の見切り差もあり区間ゲット。決勝は3Qまでは勝ち負け争ってたものの、4Qがアニタイでさくっと2着を捲られる。
 賢者からのトータルは、44-56-62-53#155-107-59で、貢献度は+647。
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ドイツ名馬1932……Prunus産駒と、個性派のライバル達 

 前年はグラディッツの Dark Ronald 産駒 Herold(20) が種牡馬としてダービー馬とディアナ馬を輩出する年であったが、1932年のクラシックをリードしたのはシュレンダーハンの Dark Ronald 産駒である Prunus(18) の仔であった。就中、シュレンダーハンの生産馬であったヴィダーハール Widerhall はヘンケル・ユビロイムスを連覇し、不敗でダービーに望み、単勝1倍台の圧倒的な人気を背負ってレースに挑む。更にシュレンダーハンには、ウニオンを制したアヴァンタン Aventin がいて、まさに万全の構え。しかし、そんな中で Widerhall は人気を裏切って馬群から抜け出せず、僚馬 Aventin にも先着されての4着。そんなレースで Laland 産駒の個性派ミオダレッツォ Mio d'Arrezo を押さえて優勝したのが、レットゲンの Prunus 産駒パラストパーゲ Palastpage であった。現在もドイツに存在感を保つ後の名門牧場ではあるが、この馬が初めてのクラシックホースとなった。ダービーまでに6戦5勝、唯一負けたウニオンが Widerhall よりも格下の Aventin だっただけに評判を落としていた部分はあったが、その後ドレスデンで捲土重来し、ハンザとこのレースを連勝した。ハンザでは前年のオーストリア賞を制した快速馬ロードネルソン Lord Nelson に勝利している。しかし、この馬はダービー後はレースを使えずに、長い休養に入った。その後調子を戻した Widerhall はケルンを経てフュルシュテンベルクで軽量の Ostermädel と Lord Nelson の3着に入って、バーデン大賞に臨む。この年のバーデン大賞では、パリ大賞で4着に入りジャック・ル・マロワを制した距離不問のエナン Hénin という一流馬を含む3頭のフランス勢が遠征して、なかなか分厚いメンバーではあった。先行した Lord Nelson を楽にかわした Hénin であるが、Widerhall がこれに挑みかける展開で、叩き合いの末にアタマ差で金星を挙げたのは、地元馬の方であった。恐らく Hénin は第1次大戦後のバーデン遠征馬の中では最強に近い実績を持つと思われるが、一方で Oleander や Alba ほどの楽勝をしている訳ではない、というのが Widerhall の評価となるだろう。ここで主役がある程度抜けたセントレジャーは、晩成ステイヤー的な Mio d'Arezzo が楽勝する。
 Widerhall と Palastpage はともに母父が William the Third の系統であり、全体としては似通った配合をしている。一方で、シュレンダーハンの Widerhall の父が内国産の Majestic(13) であり、血統表にも Dark Ronald の母 Darkie のクロスが入って Prunus の Cremorne=Mabille という特徴あるクロスを援用するような形を取るのに対し、レットゲンのダービー馬の方は母が輸入牝馬で、イギリスで影響力の強い Hermit のクロスを持っているという辺りで、この時期のレットゲンがまだ後発で繁殖を育てている段階という様子が窺えるだろう。
 この Prunus 産駒の両雄は種牡馬としてはさほど成功せず、むしろ第2グループの馬たちが繁殖では活躍した。Aventin は牝系こそこの時期のドイツで屈指の実績を持つ Orsova の系統だが、父がフランスの大種牡馬 Teddy であり、Bay Ronald の3×3というインブリード。これは当時のドイツにおける Hampton の重要性を思えば順当だが、一方で強烈なのは Ormonde≒Doremi≒Bona Vista という Bend Or×Macaroni ニックスのトリプルクロス。St.Simon の父系としての衰退が進んだ間隙を縫って威勢を高め始めた Bend Or の定番の血脈である。この血脈といえば3冠馬 Galtee More の父 Kendal がいて、その血を引く Fervor と Aventin はよくニックし、セントレジャー馬 Aikern (祖母父が Fervor)などを出す一方、ポーランドで生まれた娘の Solina は、Fervor の孫 Skarb との間に当地のダービー馬とオークス馬を輩出した。種牡馬としては晩成気味だっただけに、終戦後にアメリカ軍に接収されたのが惜しい。
 一方、引退後早くにアメリカに輸出された Mio d'Arezzo は、当地で種牡馬として結構な実績を収めている。代表産駒の Mioland はプリークネスで2着し、4歳では最優秀ハンデホース(ほぼ「最優秀古馬」と読み替えてもいいだろう)に輝いた。かの地での Highflyer 父系最後の煌きである。この Laland 産駒は母がイタリアからの輸入馬であり、母父はかの有名なダービー牝馬 Signorinetta の半兄 Signorino で、祖父の父は Teddy の父 Flying Fox。この母の配合は Ormonde と St.Simon=Angelica という2本の名血をインブリードし、Laland の配合では Kendal と絡んで Bend Or×Macaroni を継続する。Mioland の配合は Hampton や Bona Vista を母から豊富に導入しており、なかなかに美しい。Dark Ronald の栄光が熟する一方で、 Fervor や Orchidee 以降漸次浸潤してきた Bend Or が徐々に表舞台に立つフェーズがこの年には垣間見られたということだろう。

◆QMA2:ロミタス@白金7~6級
 新問きた。何だかんだ言ってコンマイは頑張ってるのではと思う。公式サイトは1のときの方が良かったので、もうちょっと頑張って欲しいが。カロメ問題では、取り敢えず「分枝鎖アミノ酸の略称」を確認。Bunshi Chain、ね(違、つーかBranchだ)。
1)雑学1(6)[5]→ノン3(4)[8]→雑学5(5)[4]→2(10)(6/7)
2)芸能2(3)[13]                    (7/11)
3)スポ1(6)[3]→芸能3(5)[5]→アニ5(2)[8]    (6/9)
4)雑学1(4)[9]→学問3(6)[3]→アニ5(4)[7]    (8/13)
5)雑学1(5)[7]→ノン3(4)[7]→スポ5(3)[8]    (9/11)
 1ゲーム目は2回戦でキューブの読み間違えとかやってヤバゲも、何とか決勝に。結構取ったり取られたりの面白いゲームで、最後並んで4Qに入ってダイブ気味に詰めてくも、易問で差し切れず。セリオスのワンツーって何気に久しぶりかも。2ゲーム目は、4問取った段階で3つ取れてて何とかなるかと思ったけど、そっからが。3ゲームはきんメッキ氏と配分。1ゲーム目で挨拶していただき恐縮。結局3回戦のアニゲで2人して落ちたけどな。4ゲーム目は夕方で、人数多い割にそこそこのゲームが出来たけど、やっぱりアニゲは力尽き状態。5ゲーム目は強メンツ相手に頑張って3回戦に行ったけど、何と○×を3問も落とすという情けない展開。
 賢者からのトータルは、33-47-51-47#128-98-53で、貢献度は+508。区間取れないとダメね。
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ドイツ名馬1931……成熟期に入った Dark Ronald 

 久しぶりだから、ややリハビリ気味。と言っても、この年含めてあと6年なのですが。

 1931年の牡馬で筆頭というべき活躍を見せていたのは前年の Alba(30) に続いて Wallenstein 産駒のヴォルケンフルーク Wolkenflug であった。やや晩熟気味ながらこの年12戦10勝という活躍を見せた同馬はバーデンのフュルシュテンベルクを制すると、セントレジャーを制して世代のトップに躍り出ており、翌年にはベルリン大賞も勝利した。しかし、敗れた2戦はいずれも牝馬相手のもので、まずはバーデン大賞でディアナ馬ジッヘル Sichel に、そして共和国大統領賞で Sisyphus 産駒のファシア Fathia に敗北しており、全体としてこの年は Sichel の年であったといってよいだろう。春から夏にかけての Sichel は特に強く、ヘンケル・キサソニーの両ギニーを連覇し、ディアナ・ハンザと連覇して当然ダービーに出ても人気だったであろうが、同じグラディッツのディオニス Dionys が充実しており、ダービーは使い分けられた。結果として Dionys がこの年のダービーを快勝しており、当時のこの高位牧場の充実振りが窺える。そして、Sichel のベストレースはその次のベルリン大賞で、このレースでは古馬の大将格となっていた Gregor(30) に、フランスからの遠征馬 Leonidas (リンカーンシャー)と Guernanville (ミラノ大賞)という遠征馬を相手に5馬身差で勝利する。これと比較するとバーデン大賞では遠征馬 Bara が落馬しており、やや恵まれた。全体としては、古馬勢で Graf Isolani(29) や Ladro(30) が不振に陥っておりやや層の薄い状態で推移していたというのはあるだろう。
 この年の上位馬のうち、Fathia を除いては全て Dark Ronald 系であり、徐々にその支配権が確立し始めている、と言えるだろう。それぞれの配合をみると、Sichel と Wolkenflug に牝馬クロスがあるのが目に付く。この牝馬クロスの展開が Dark Ronald 系に敷衍しだした辺りでこの系統の成熟が始まったと見るべきでもあるだろう。Sichel の場合、母は輸入馬であるが、母父の Symington は Ayrshire 産駒で Galopin の3×3を持ち、その母は St.Florian の全兄であった。ここで、Herold の母 Hornisse には Ayrshire と St.Florian が入るので、この両頭は擬似クロスの関係にある。血統の全体で Galopin と Hampton が表現されている、定番的な成功例。一方で、この血統パターンだけで単調になりがちな部分を補完する要素として、Bend Or×Macaroni というもう一つの典型的ニックスの存在を挙げられるだろう。Sichel の場合には祖母父の Laveno にその血統が入る。このパターンは Wolkenflug にも敷衍されているものであり、同馬の場合は名牝 Danubia の3×2という強クロスが発生しているのだが、母父の Nuage を通じて Flying Fox が入る。Flying Fox も当然 Galopin の強いクロスの持ち主だが、その祖父は最強の英3冠馬 Ormonde であり、この馬が Bend Or×Macaroni を提供した。勿論、Danubia はと言うと母に Ayrshire を持つから配合の軸は Galopin×Hampton であることは言うまでもない。ダービー馬 Dionys は父が Sichel と同じ Herold で母父が Wolkenflug と同じ Nuage という馬だが、祖母 Delilah には Hampton しか入らない辺りで、その主張は先の2頭に比べると地味になる。一方で、この祖母は Rosicrucian の5×4を持っており、Ard Patrick 辺りとは相性が良い配合でもあった。もう1頭の牝馬 Fathia は、Fervor 経由で Galtee Moreの血を引き、母は Ormonde=Martagon の5×3というクロスで、4本の Bend Or=Macaroni と4本の St.Simon=Angelica が絡むというなかなか意欲的な配合で、この手の配合というと La Troienne を彷彿とさせる。しかし、Dark Ronald が全盛期を迎えていたドイツの中ではやや時宜を得なかった配合だったのか、成績的にもその後の牝系の伸びとしても地味だった辺りは惜しまれるところ。

◆QMA2:ロミタス@白金8級
 本日は廃プレイなどしてますた。
1)スポ1(6)[4]→学問3(6)[2]→ノン5(5)[5]    (8/12)
2)雑学2(5)[5]→学問3(6)[1]→学問5(4)[5]    (3/6)
3)スポ1(5)[4]→アニ4(5)[7]→芸能5(5)[5]    (5/8)
4)アニ2(5)[2]→スポ4(6)[1]→アニ5(3)[7]    (1/5)
5)ノン1(4)[5]→雑学4(5)[4]→スポ5(4)[3]→1(9)(4/9)
6)学問2(4)[9]→スポ3(6)[2]→アニ5(5)[7]    (6/10)
7)雑学2(4)[5]→学問3(4)[7]→雑学5(3)[7]    (4/7)
8)芸能1(5)[10]→アニ3(4)[12]            (7/15)
9)芸能2(4)[9]→スポ4(4)[6]→芸能5(4)[6]    (6/10)
10)学問1(4)[7]→芸能3(4)[8]→雑学5(4)[6]    (6/10)
11)ノン2(6)[4]→アニ4(4)[10]            (7/14)
12)雑学1(5)[7]→アニ3(6)[5]→学問5(6)[3]→4(10)(4/11)
13)アニ2(5)[8]→芸能3(5)[3]→ノン5(5)[4]→3(10)(5/12)
 完全に3回戦が鬼門。とは言え、叩いたっつーと7ゲーム目の雑学5くらいで(アニ5は2回くらいパネル反応にやられた)、正解率はそこそこだったけど、ミスと詰め甘が重なったという感じで、落ちたうちの3回くらいはもうちょいで決勝行けたのに……みたいな感じ。3回通ってれば+15だからまずは水準なんだけどなぁ。とは言え、やはり廃プレイだとどうしても正答率は落ちるもので、7~10ゲーム目くらいまでの、得意ジャンルで2問落とす、って辺りは結構辛いものがあったなり。そこから何とか持ち直せたのはよかったけど。優勝した回はあからさまにスポ2が地雷って人が2人にスポ2使いが2人という、やや恵まれモードでした。まぁ他のジャンルで1問リード出来たのが勝負を分けたのですが。
 賢者からのトータルは、30-44-48-42#117-97-50で、貢献度は+447。

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