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殿下執務室2.0 β1

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有芝まはるが綴る、競馬話その他の雑談、そしてYet Another Amateur Photography。

クラス分けなどから思う、公営(と中央)競馬の難局。 

 余りこの辺りの議論の流れを追えてないのですが、何となく筆が進んだので。

地方競馬再建案グッドアイデア編@りあるの競馬日記
それがもたらした結果についての考察はノモケンのコラムを読んでもらうことにして、ここでは少し違う視点から見てみることにする。つまり、そうした関心や興味の少ない他場開催でも馬券を売る事ができた理由は、中央競馬には「マスメディアの力」があるからだと思われる。競馬ブックを始めとする競馬専門紙だけでなく、全国のほとんどを網羅するスポーツ新聞に少ないとはいえ、馬柱と記者の予想印が掲載される。
 このメディアの露出量という意味での「情報の断絶」ってのは本当どうしようもないよな、とは思われます。この中でりある氏は「予想のシルシ」に着目されてますが、それ以前の問題として、成績すら統合した形で情報を得ることが出来ないという分離状態な訳でして。
 例えば、フランスの場合は首都圏(と書いてイルドフランスと読む)3場とドーヴィルを除けばおおよそ地方競馬と言っていいと思うんだけれど、それでも例えばフランス・ギャロのサイトを覗けば北はドーヴィルから南はカーニュ、東はストラスブールから西はナントに至るまで全国の競馬の出走表と結果は一覧することが可能です。アメリカでも液ベースを見ればほぼ同様に全国の競馬の開催を押えることが出来るでしょう。日本でもせめてnetkeibaくらいはそういう情報を一本化したDBとして作ればよいと思うのですが。

 で、そういうDBを単純にシステム的に考えるだけでも十分分かるのが「地方と中央のクラス分けの違いによる齟齬」の大きさではあるでしょう。これに関して中央ファンは大概「公営は分かりにくい、合わせろ」と思ってしまうわけですが、ある意味思うのは
「じゃぁ、逆に中央で来週から『B3二組』とかそんなんでクラス分けされたら、おまいらどうよ」
って所だったり。要するに、現在かろうじて公営競馬に馬券を投じてくれてる天使のような馬券オヤジを余りにも蔑ろにしすぎた措置ではあるんだろうなぁとは思われます。まぁ彼らが馬券やめた分、あなた方が馬券を買うと請け負うのならば、やってもいいのかなぁという煽り気味な感じにはなるでしょうか。実際のところこの手の複雑なクラス分けが存在してたのは、比較的限られた馬資源を回すなかで、混戦の番組を演出して馬券的興趣を維持しつつ、走らない馬の馬主にも適度にゼニが落ちるという Win-Win の構図を作るためのものであり、中央と同じクラス分けを現在の開催形態を維持したまま適用するのは無理があるとしか言いようが無いでしょう。まぁ、ある程度「比較的限られた馬資源を回す」競馬開催モデルそのものが崩壊しつつある現状を改善することは公営競馬再生の必須条件と思われるので、そこを変えるならば自ずと修正しなければならないとも思われる訳ですが。

 反面、じゃぁそういう修正を行う中で、中央が今まで維持してきた「未勝利→500→1000→準オープン→オープン」という勝ちあがり制の単純5段階のクラスモデルに関して、公営とどう統合すればよいかって問題はあるかと思われます。中央の現状の制度は、賞金的に偏差の無い状況で運用されていたから実現してたものであり、中央に入って高賞金が得られないことが相応しい駄馬の存在をこのモデルに取り込むことは、中央の開催にとってのリスクともなるでしょう。有芝の知る全国モデル的な方法としては、欧州や香港などで見られるようなハンデ戦中心のクラス設定があり、要するに全国統一のフリーハンデ(レーティング)を設定しそのハンデからの引き算で斤量を算出する、というやり方。要するに「フリーハンデ-10kg」みたいな斤量条件クラスを設ければ、フリーハンデ75の馬は65kgを背負うのでまず出てこない、逆にフリーハンデ55の馬は45kgでは乗せる騎手が居ない、みたいな感じでクラスが分かれるという感じです。まぁ、これを今から適用すればそれこそ「B3二組」とかを適用するくらい混乱要因となるでしょうね。ただ、全国規模で統合するなら余りこれよりもシンプルかつ統合されたモデルもぱっと思いつきづらい(例えば勝ち上がりベースな北米のアローワンスなどの仕組みなんかは、これよりは複雑な印象がありますし)。ともあれ、「賞金体系の異なる主催者間の情報を統合し、何処でも同じようなルールであるとした上で観戦できる」ようになるためには、中央の側も地方の側も相応に現在のファンに少なからざるルール変更を強いなければならないんでは、みたいなことは思ったりします。

 そんな感じで何となく思うに(つまり、余りロジカルな意見とは受け取らないで頂きたい)、現在の中央競馬のある種「統合されたシンプルな」仕組み――そしてそれは、「ファンへの分かり易いインタフェース」として売上増を支えてきた歴史もあるのかも知れない――自体が、ある程度その仕組みで説明しづらい馬を排除する形で成立していたのかな、とも。その上で、そういう排除したものをある意味公営に押し付けながら中央の運営が成立していた部分はあり、それがJRAの公営に対する現在に至るまでの「冷淡さ」の背景にはあるのかも知れません。一方で、「押し付ける」ということは「依存していた」ということでもあるのでしょう。例えばトロさまが呈示するような危機感を共有できないっぽい意見を述べている人は見られますが、まぁ確かに経済規模では以前Southend氏が指摘してた通り「公営なんてある意味タカが知れている」と思う一方で、システムとしてそういう依存関係を持っているならば、やはり公営競馬の全面的な崩壊は中央の現行の競馬モデルや興行のクオリティに相応の影響を与える可能性は否定できないのかなぁとも。
 一方、中央のファンがそういう意味での「地方が隔離されてることによる居心地のよさ」を(半ば無意識のうちに)愉しむ反面、公営のファンも、「大なり小なり中央に統合されてアイデンティティを失った形での公営競馬」をよしとしないのでは、みたいな疑義を持つ部分はあります。そういう意味では、実は双方のファンにとってのソリューションとしては、競馬場を民活と規制緩和によってコスト削減しつつ、競馬場を地域のイベントなどの施設として活用するなどのサイドビジネスも含めた収益などで維持するって辺りかなとは思われますが、それが成立するのかってのも。ともあれ、結局のところ競馬においても「ファンが保守的過ぎる」、つまり客の側が時代の変化を見ずに「今のままやれ」的な無理難題を押し付けてた構図はあるのかも、などと。いずれにせよ、それが維持できなければ(多分出来ないのだろう)お互いが不幸になるだけなので、何とかしなければではあるんですが。
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マル外はアメリカで走ってます 

↑最も身もフタも無い回答例。

マル外はどこへ消えた?@傍観罪で終身刑

 基本的には、外国産馬のレベルは為替レートと連動するものには違いないでしょう。
 その意味では、2000年以降の為替レートはやはり少なからず円安基調なので、まぁ結果として○外の輸入数が減少するのは致し方ないかなと思われます。ただ、それをさておいても、外国産がある程度以上馬主をアトラクトしなくなった要因ってのは何だろうなぁ、みたいなのは考えてしまうところですよね。その上で、元々○外が市場において魅力となっていたのはその「早熟性」故だったのかと思っています。この早熟性の部分でさほど魅力がなくなったことが要因としてはまずあるかなぁって気はしますね。2000年に旧八大競走への外国産開放は動き出した訳ですが、それゆえに外国産を「早熟」に絞って購入する集中力が落ちてしまったという購買的な問題はあるかも知れません。一方で、日本側も特に育成レベルで早熟な方面にかなり対応して行った上で、血統面でも*アフリートや*フォーティナイナーという、輸入されなければアメリカでリーディングを争えるような名種牡馬を引き抜いたことで、国産でそこそこ早熟な馬が作れるようになった面もあるでしょうか。またセレクトセールにようなショウケースを作って、ブランド的な対抗力を築いた面もあるでしょう。
 そのような形である程度○外の足腰を弱めた一方で、実際に開放された天皇賞では*アグネスデジタルや*シンボリクリスエスのような○外の名馬が席巻するシーンもあった訳で(○外では同時代に*タップダンスシチーの活躍もあった。こちらは天皇賞を完全に無視してたが)、その意味では○外の波がまだクラシックレベルに及ぶ余地はあったと思うが、一方である程度レースが開放されたことで○外の「ブランド力」が落ちてきた、みたいな面はあるかも知れません。去年辺りに海外開放ネタを書いたときもちょっと触れたように「規制の作るギミック」からほぼ解放されている現状は、○外の馬からある種の「舶来の権威」を削ぎ落とした面はあったかなとも思われます。勿論、これが外国産の輸入を減少させる要素となったとすれば、それはタイミングの問題でもあったのでしょう。やはり、ある程度のモメンタムがあった時期に一気呵成な開放を行っていた場合、ギミックがなくとも外国産のブランドは存続し、言わば関東馬に対する関西馬的な扱いを受けてたんだろうな、とは思われます。そして、トップレベルの馬産ではかなり貧すれば鈍する的な状況に陥っていたのでしょう。かって偏屈爺師が○外への開放に対して反論していたとき、競走を外国産に開放したことで国内馬産のレベルが挙がった例など歴史的にないという趣旨の議論をされていました。その意味では、JRAのとった開放路線はかなりの時間をかけつつその隘路をこじ開けてしまった印象もあります。そうして、国内馬産をレベル面では支えきって、上位において国際競争に耐えうるものを作った点は率直に評価されるべきなのでしょう。
 一方それが「馬産全体を守れたか」、は問われるべきものではあります。
 結果として馬産は外国産の輸入が落ち込んだことによって苦境を脱せたかというと、まずそうとは言えない状態。その理由は何かといえば、まずは地方競馬の崩壊によってパイが少なからず縮小している、ってのは大きいでしょう。現在の地方競馬の下級クラスの賞金水準は、恐らくフランスやイギリス辺りの最下級条件の賞金にも劣るようなレベルまで来てしまっているように見え、要するに存続している競馬場でも賞金のパイという面で既に大幅に萎縮してしまっている。そして、国内馬産のレベルがある程度上がってしまったからこそ、そういった状況における縮退的な対応、つーか「身の丈にあった馬産のモデル」が講じられなかったことで、中小馬産はある意味牛と競走するカエルのような状況に陥ってしまっているのでしょう。個人的には例えば*テイクオーバーターゲット的な、趣味的・ミクロ的な馬産がある程度底辺の支えとなるようなモデルはあってもいいと思うのですが、ああいうのが本朝で萌芽する兆しは感じられません。その上で、地方との交流の拡大はある意味「地方のために道路を整備したら、その道路整備が過疎化を早めた」国土政策の轍をきれいに踏んでしまったようにも思われ。その意味では、競馬の市場開放は、ある意味「その問題に絞って成功する」ところに血道をあげすぎた結果、成功はしたけれどもややその中で「手段の目的化」的な罠に陥ってる恨みはあるようにも思われます。「格差があることを前提に、ある程度みんなが幸せになれる」方法論は、現在割かれているリソースを再配分しつつ、もう一度知恵を合わせて模索して行くべき部分なのかなと思われますね。

◆んー。
 何か微妙に地に足の着いてないエントリ。悪い意味で評論家的。
 たまにはわむはコメントではなくトラバでじっくりとこの手の話に勝負してみてください(姑息な予防線

◆ところで。
 有芝はいまだに前時代的な「*マルガイ」的な輸入馬表記を続けているのですけれど、それは単に散文の中で「マルガイUSA」的な国略称表記をするのが自分的に違和感あるから、みたいな面はあります。最近はデルマ任せなので余り書かないけど、もしテーブルで血統表組むようなエントリをあげる場合には、その中に限定して国略称表記にすることは吝かではないのですが。因みに、もし国略称表記を地の文でも受け入れるとしたら、ある程度見やすいように国略称にはカッコを入れようかなと思うし、また文中で複数出現する場合には2度目以降は国略称を省略するつもりではあります。ただ、実のところはアメリカの血統ライター的な人の文章をたまに見ると未だに *Princequillo 的な表記が根強くて、それの顰に倣うという非常にスノビッシュな背景もあったりして(笑)。
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予定調和でもない、年度代表投票。 

 ひとまずは、ディープインパクトのベストレース投票、ご協力頂き有難うございました。
 天皇賞が圧倒的にトップなのはある程度予想通りでしたが、2位で06有馬というのは意外な感じで、ここはダービーか若駒だと思っていた所ですが、やはりある種の「完成の域」的な趣を演出できた辺りでの評価、というのがコメントからも窺えるところで、最後のレースできっちりとそういう回答を出せた辺りは、この馬の鞍上が一貫してユタカであったことの幸運な要素であったと思われます。一方で、若駒のほうは逆に「ディープインパクトの原点」ってことなのでしょうな。自分はあのレースを最初映像で見たときに、一瞬ワープしたのかと思うような動きだと思いました。菊花賞は意外と少なかったなぁと思いましたが、こういう「困難を乗り越える」レースよりも、とにかく圧倒的に勝つほうがディープらしい、という思いの人も多い気はしますね。ジャパンCが少ないのもそれと通じるのかも。
 では、世間的に注目を集める方の投票を。

◆年度代表馬投票
 1票フェチ的には過分な結果ではありました。
 ネタ的にも実に美味しいところを仕込んできた、という感じ。最優秀ダートホースのフィフティーワナーとか選んだ人は結構センスがいいなぁと思うし、バラゲで1票投じた人も結果自分だけとして「勝った!」と思ったに違いありません。何に勝ったかは知らん。一方で、メイショウバトラーは古牝馬よりは○父の方で1票にして欲しかったか。ある意味充実の○父というべき年にあって、ケーキのアタマに乗せるチョコとなる素材ではあり(何。しかし詰まる所は、例えば1987年の最優秀4歳にタマモクロスを入れるのが妥当か、みたいな話にはなっちゃいますかねぇ。アンバージャックは一応どこまで伸びるか注目ではあるかと思います。しかし、その発想だったら何故にアロンダイトに入れなかったのかも不思議といえば不思議ではあり。あと、3歳牝馬のパンドラも別に1票でいいと思うが、こっちに関しては余計なことしやがって、とは思うw。1票といえばむしろ注目がくるのはダメジャーかも知れませんが、彼はあれくらいは出来る子です。だって、関東馬なんだもん。と思うに、もしハーツクライが関東馬だったら、去年の年度代表馬投票の票数はどうなってたかなどとも思われ。その辺りはこの記者クラブ制度のお約束ではあるので、まぁ、という所ではあるのでしょう。個人的には、最優秀栗東調教馬/美浦調教馬とかは作ってもいいとは思います。
 ただ、実は有芝としては別の馬に年度代表馬&4上牡馬の1票を取って欲しくて、それはデルタブルース。メルボルンCを勝ったことの意義を考えれば、この馬に投票するというのもありではあったかと。ディープが海外G1を勝てなかったことを考えれば、そこでリードを得ている馬ではあったのだし、また過去の年度代表投票がある程度海外の実績をありがたがる傾向があったことに対する敬意を表することとなったでしょう。そう思うと、最優秀○父ももうちょっとカワカミとデルタで票が割れるかなぁとは思っていたのですが、そういう点では結構ワンサイドになっちゃったな、の感。まぁでも、今年に関しては一番気の毒なのはドリームパスポートか。ちょっと前の最優秀○父のレベルならばこの馬が結構有力でも全然問題なかったくらいの実績はあったのに、現在のハイレベルぶりではこちらで1桁、なおかつ3歳牡馬でも1桁ってのは何だか実績を反映してない風味。まぁ特別賞には実績として足りなさ過ぎるし、難しいところだなぁ。まぁJRAの新しいCM(織田裕二の出てないやつ)は、何かドリパ応援モードみたいな作りになってるから、そこで救済、ってことか(多分違。
 単純に「結果としておかしい」意味では、ダートのアロンダイト。恐らく、レート的にも年間のインパクトとしてもブルーコンコルドを上回ることはないと思うし、実力的に春だけのカネヒキリと比べても秋だけのアロンダイトがどの程度上回っているのかとは思うけど、このカテゴリが「JCダートの勝ち馬が自動受賞」という2歳牡馬・牝馬と同様になるものとするのは、あまりにもダート路線に対して敬意を欠いているというか、そういう意味では選考のスタンスとしてあるまじき態度ではないかと。この馬にむしろ相応しいのは、現状そんなカテゴリはないけれど「最優秀上がり馬」でしょう。このカテゴリでは恐らく同じ父親のソングオブウインドと並んでなかなか近年としては良い勝負となったのではないか。あとはポップロックもこのカテゴリで優秀でありましたし。「最優秀繁殖牝馬」と並んで、現在のアウォーズに是非加えていただきたいジャンルではあります。ちなみに今年の最優秀繁殖牝馬はスカーレットブーケ。多分一昨年には受賞してなかったと思うので、ちょうど今年が順番巡って来る頃でしょう。兄弟G1出走に敬意を表してレディの方でもいいのだけど、やはりダメジャーの今年の上昇が出色であっただけに。

◆ハヤテのごとく!
 マリア2位は結構意外というか、ハヤテ票の無駄な分散とか以前の問題として、あれだけナギと西沢さんに差をつけたあたりは作者的にも新鮮だったのではと思う。やはりあそこに投票する向きは「んでもって」とか読んでる人が多いのか?というか、西沢さんが案外だったのかも。個人的にはこの子とヒナギクの票差が大体トリプルスコアくらいと踏んでいたので、大雑把に今回の票数ならば1000票くらいはいって、ナギと争うくらいを見てたのだけれど、この数字だと今後ハム好きさんには辛い展開かなと案じてみたりも。ヒナギクとかこの子の場合はメインヒロインという格付けが存在しない以上、ある程度こういう場所でどれだけ稼げるかが作者の扱いを左右する部分はあると思われるので。一方で、投票全体を見る限りでは、この作品の方向性をさほど大きく変える結果にはならなかったのかな、という思いもあり。もともとヒナなどは投票である程度得ても逆に読者に適度な飢餓感を抱かせるくらいでちょうど良いキャラでもあると思われますし、そもそもツンデレのある種の宿命として「動かしづらい」ってのもあるので、これを機に動きが増えるってものでも無いのではと。
 でも全体としては「この人が意外に高い」よりは「この人が意外と低い」の方が目に付いたのかな。例えば美希がヒムロ以下ってどーゆーことよ?とか。でも、あんまり捻った組織票が上位を占めすぎなかった辺りはバランスが取れてたかと。久米田師匠とかがベスト10とか入っちゃったら、オチとして使えないというか微妙に引いちゃう面はあるからねぇ。

◆ちと追記。
 しかし、バックステージ読む限りでは、火田クンってやはりアンケート結果で自分の描いてるストーリーラインにそぐわない結果が出たときには、アンケートの方に合わせてライン変えるよりは、何とかそのキャラが人気出るようにプッシュする方向を選ぶタイプなのではないかな、と思った。そういう意味では西沢さんは微妙にキャラを変えつつプッシュされる面はあるかも知れないし、ホワイトデー以降のヒナギクとの友情なんかのあり方に関しての料理の付け方は興味深い所はあるかも。ただ、春の段階でのゴール地点をある程度決めてるだけに、なかなか簡単ではない手順とはなりそうですが。
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有馬記念前雑考…王道に翳さす時代に。 

 菊花賞の繰上げは、古馬の秋の王道に並行して、3歳の菊→JC→有馬という路線を整備する目的があったが、その首尾は決して芳しくない。それは、思った以上に古馬側の王道路線のノウハウが確立されてしまったからでもあるのだろう。この改変が行われた頃は、まだ秋天→有馬ですら連勝は難しく、まして3連勝などハードルが高すぎると思われていたが、早くも2000年のテイエムオペラオーがあっさりそれを達成し、JCこそ勝てなかったものの*シンボリクリスエスは2年続けて2つ勝ったし、ゼンノロブロイがそれに続いた。ハーツクライは秋天こそ凡走であったが、JCで2着から有馬勝利に繋げた馬は初めてであったはず。そのような古馬に対し、菊からJCと有馬を使う組はどうも冴えない。2年前のデルタブルースとコスモバルクは有馬で惨敗し、そこから立ち直るのにかなりの時間を要した。結果として、3歳側のノウハウが確立される前に、この両路線は大きく現状に差が出来てしまい、バランスを欠いたように見える。
 そして、全体的にこのローテに挑む陣営も少なくなることでノウハウが蓄積されづらくなる部分もあるし、そもそもクラシックの負荷が高いだけに、ある程度ノウハウを作ること自体が難しいのかもしれないし、最初のG1が3000からスタートってのも並行する古馬の路線以上にノウハウの確立を難しくする可能性も考えないといけない。結果だけ見れば、菊の繰上げは現状では失敗と言わざるを得ず、「元の日程に戻せ」と主張することも少なからず正当ではあるだろう。

 しかし、ドリームパスポートは、結果次第ではそのような風潮にクサビを打つ存在になるかもしれない存在として、この有馬記念に臨んでいる。G1勝ちはないが、菊とJCで連続2着。JCで先着した相手が旅上手な名牝*ウィジャボードだから、十分すぎるくらいの価値はあろう。一方、このローテがある程度以上チャレンジングなものであるにも関わらず、どうもそういう要素が評価されずに漫然と人気を得てしまっているのが気になる所だ。水上氏もむしろこの馬にこそ「無理せず休んで、来年の競馬界を支えてくれ」くらいの主張をすればいいのにな、みたいなことも例のアレなエントリを立てた時に思ったのだったが。ディープインパクトの2着クラッシャーぶりは知られるところであるが、思えばディープの2着になった後にすぐに故障した馬はナリタセンチュリーくらいで、大概がその後間をおかずに次のレースに出て、そこで負けているのである。ならば、ドリームパスポートは休養に入ることでその「呪い」に対する厄払いをするのも選択肢として正当であったかもと。
 ただ、それを覚悟で挑戦する価値があるのもディープインパクト、であるのだろう。
 そうだとしても、その挑戦は実際のところ、一定以上の悲壮感を伴うものであるはずだ。いかにこの馬が今まで故障らしい故障もなく複勝を払い戻してきたとは言え、今回それを繰り返すことが出来るとすれば、少なからず「激走」である。その上で、前にも書いたが今年の菊花賞をパトロールで見ると比較的馬場が掘れていて、レコードは「クッションではなく、路盤で出た時計」であったようにも見えた。つまり、負荷が高かった可能性は高く、この馬がここで活躍して古馬でも、という見立てをするのは聊か難しくも思われる。個人的には、そういう場合にはその馬の馬券をあまり買いたい気持ちにはなれない。少なくとも、自分がその「悲壮感」に乗れる立場が無いのなら。

 一方、古馬の王道路線と言えば、今年はディープインパクトとハーツクライの大駒2頭を欠くこととなった。そして、デルタブルースのようなクラシックホースもまたメルボルンCのごとき選択肢を経て有馬に回っている。また今後も、一つの方向性としてトップホースを凱旋門の代わりにBCターフに向けて「実を取る」選択肢も広がるかも知れない。
 このように本朝の競馬が世界に通用する時代にあって、シービーとカツラギエースに始まり、オグリにより確立し、オペラオーが完成した秋天→JC→有馬のローテも、ターニングポイントにある気がする。反面、両アドマイヤ(って、3頭出しだけど)の香港からの挑戦も一つの実験として提示されてることまで含めると、結局、海外を含めた選択肢の多様化は、グランプリとしての求心力をやや失いつつあった有馬記念の相対的な地位を再び押し上げるものとなりそうである。今年のジャパンCに関して、遠征馬が少ないという「外患」が取り沙汰されたが、むしろ上述した「内憂」の方が大きい課題であろう。そして、そんな中で古馬の王道路線で2戦掲示板を確保して今年の有馬に向かうのが公営馬コスモバルクであるのは、なかなか良く出来た皮肉だ。そして、シンガポールでG1を取ってからのバルクの飄々とした走りぶりは、ある意味3歳が王道に挑む重苦しさと対になっているようにも見える。
 いずれにせよ、国際化された「オープン」な場で「王道」を作るのはなかなか難しい。その中で、年の終わりにそれぞれの道を歩んできた馬たちの思惑が様々な方向に表現される「決戦ではなく、競演」の舞台として、有馬記念は未だに機能し続けているように見える。それはそれで古今続いてきた有馬記念の魅力ではあろうが、では、「決戦」をどのようにこの国の中で実現するのか?その大きなテーマについて、主催者もファンも考えていかねばならないのだろう。
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